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<ミャンマーで今、何が?> Vol.7
2012.8.21

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar


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■今、ミャンマーが抱える不気味なマグマ
・スーチー女史、議員として初の大統領会談
・副大統領交代劇
・民族平和交渉
・八のぞろ目
 ・米国大資本の参入
 ・緊急情報

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・ミャンマーで今、何が?

■今、ミャンマーが抱える不気味なマグマ

ミャンマーが抱える問題はロヒンジャーだけではない。

今、ミャンマーの国内・国外で不気味な振動が起こっている。まだ噴火には至らぬがその可能性が大きいマグマの振動だ。今回はそれを駆け足で覗いてみよう。

その前にお断りしたいのが、ミャンマーの民族としてこの地域固有の136の民族・中国系・ロヒンジャーまでは解説したが、肝心要のインド系にまでは及んでいない。これは大英帝国植民地経営の核心で、民族シリーズの締めくくりとして後刻必ずお届けすることを約束して、今回はその群発マグマに迫ってみた。


<スーチー女史、議員として初の大統領会談>

8月12日(日)、スーチー議員は現在議会開催中のネイピードでテインセイン大統領と会談した。広範囲にわたる諸問題を話合ったとされるが大統領府は2時間にわたる会談内容は前回同様極秘であると発表した。会談には内閣のアウンミンおよびソーテインの上級両大臣が同席しているので、各民族との平和協定が主要テーマのひとつとは想定できる。

しかし、この二人は今のミャンマーにとり最も重要な鍵を握る不可欠のコンビといえる。そのどちらが欠けても達成できない。ミャンマーの命運はこの二人にかかっているといっても過言ではないだろう。

スーチー議員は先週、15人の議員で構成される国内法実施委員会の委員長に任命された。彼女が率いるNLDが党是とする3つの目的(民族和解の達成、国民のための法律制定、国民のための憲法改革)を実現する布石にもなりうるし、反改革派を激怒させる危険性もある試金石だといえる。同じ1945年生まれの二人は今年67歳となった。テインセイン大統領は憲法上ではミャンマー最高の権力者であるが、引退したタンシュエ議長が直接ピックアップし、その後で国会が承認している。したがって、いつ何時、元議長の逆鱗に触れ、その座を追われたとしてもミャンマー人ならそれもありうると考える。体調・病気を理由に排除することも陰の権力者なら可能だ。実際にペースメーカーを埋め込み心臓に爆弾を抱えていることはすでに述べた。同年齢のスーチー議員も選挙期間中、そして欧州旅行中に体調不良をしばしば訴えている。決して二人ともトゥーヤングではないのだ。そしてスーチー議員の悩みは、彼女がバトンを引継ぐべき次の世代をまだ育てていないということにある。それだけに二人の健康にはなんとしても留意して欲しいと願うだけである。特にテインセイン大統領には重責を放り出し逃げ込む逃避先はこの世に存在しない。彼の渋面に似た顔付きからは2015年までにやるべきことはすべて片付るとの決意が見られる。多分その報酬はミャンマーで二人目のノーベル平和賞となるのではというのが東西南北研究所のでしゃばった異例の予測である。その時は先輩スーチー女史と酔うほどにシャンペングラスを傾けて欲しい。

だが、今この瞬間、この二人がミャンマーが抱える最大のマグマである。


<副大統領交代劇>

ビルマは歴史的な経緯もあり英国法が基本となっている。しかし、軍事政権時代は植民地時代の過去を唾棄するかのように英国または欧米へ反発する政策を取ってきた。そして2008年のミャンマー憲法では副大統領職は2名として、その上級副大統領は議会選挙ではなく議会で25%を占める軍代表団が指名することになっている。大統領に万が一が発生した場合にはこの上級副大統領が自動的に大統領に昇格する。平和裏での‘万が一’なら仕方がないとも言えるが、この国の近代史はクーデターの歴史でもある。その危険性を読み取って欲しい。スーチー議員が現憲法改正を果敢に要求する理由のひとつはここにある。

前副大統領はシンガポールでの健康診断から帰国した今年5月3日に健康を理由に辞職願いを大統領に提出した。元タンシュエ議長には忠誠で信任厚く、議会内の軍代表団から正式に選任され、民主改革派に対抗するタカ派最大の大物と見なされた前副大統領である。突然の辞任に国内外で憶測が駆け巡った。テインセイン大統領の民主化改革スピードがあまりに速く、当時それを危険視する強硬派から非難の声が続々と上がっていた。辞任願いはそれに対する無言の反旗か、あるいは議会内で改革派が徐々に勢力図を伸ばしている証か?

前副大統領は自宅には戻らず僧院から僧院へと居所を変え雲隠れした。大統領は多分苦渋の選択と思われるが、辞職願いは受付けずに2ヶ月間の休暇を副大統領に命令した。その期限が切れたのが7月初旬である。議会で同副大統領の辞職願いが受理され、憲法に基づき軍代表団に新しい副大統領候補の指名が要求された。軍代表団が次に指名したのがミエンスエ中将(61歳)で、マウンエイ上級大将に取って代ると噂されてきた人物で、旧体制でいえば元タンシュエ議長の次のポジションを占める権力者である。現在の肩書きはヤンゴン地区首席大臣となっている。もちろん元議長からの新任は絶大である。

改革派とされる人たちからは大きなため息が漏れた。改革を少しでも阻止したい保守派からは打ってつけの人物と賞賛された。

しかし、選挙管理委員会からは1ヶ月経っても‘ゴー・サイン’が出ないのである。同候補の経歴を徹底的に精査した結果、同候補の娘がオーストラリア人と結婚し、現在オーストラリアに住んでいる。これがミャンマーの現憲法に抵触するという。だから副大統領に就任できないと噂されている。

ミャンマーのマグマはその更に底流を読まねばならない。ミャンマーのニュースは表をみているだけでは何も見えない。行間にすべてが書いてある。

2015年の総選挙ではスーチー議員が大統領職に挑戦すると本人は語らなかったがその意欲は満々だ。そして欧州旅行締めくくりのパリでは、“いつかはミャンマーの指導者になるつもりか?”とのAFP記者の誘導尋問に対して、“すべての党首はその可能性に準備せねばならないのでは”と巧みな即答をこなしている。

ここで、スーチー女史がどこの国の人間と結婚してどこに住んでいたかを読者はもう一度考え直して欲しい。強硬派である新副大統領候補の否認は改革派にとっては朗報だが、諸刃の剣である。その否認理由が表面化したときにどれだけ危険な試金石であるか考えて欲しい。そして、スーチー議員が議会初登院前にどれだけ憲法改正に固執したかを。単純に改革派が進歩的で、頑迷保守派は単に古臭いと見ないで欲しい。旧植民地時代に“老獪さ”というものをたっぷりと学習している。学習したのは頑迷保守派であり、スーチー議員であり、そしてテインセイン大統領である。これはミャンマーの対外外交で十分に活かされている。中国に対しても、アセアン9カ国に対しても、英米に対しても、そして日本に対しても。鎖国政策を転換し、軍服を民間服に着替えて、日本のビジネスマンどころかペプシコーラまですでに上陸してしまった。この短期間にである。東西南北研究所ではこの成果は西洋世界から十分に学習した“老獪さ”が活かされたものと見ている。この大事業が達成されればその様変わりは古今東西の歴史に例を見ないものとなるであろう。


<民族平和交渉>

反体制派各民族武装グループと交渉を続けてきた政府作業委員会委員長のサイモークカム副大統領は8月12日、交渉中の11の武装グループの内10グループと政府は平和協定に合意したと首都ネイピードで声明を発表した。

他民族が混在するミャンマーの改革発展には反体制派武装グループとの平和協定が必須と欧米各国政府からテインセイン大統領に圧力がかかっていた。これを受け、5月3日にミャンマー政府は大統領が直接指揮を執る11名からなる中央平和委員会を設置し、その下部組織として52名という異例の作業委員会を結成し、サイモークカム副大統領が交渉団委員長を務める布陣を敷いた。

交渉団は平和協定に3つの段階を設け、州レベル・中央レベル・議会レベルのステップを踏むことになっており、今回合意に至ったといってもそれは第1段階の州レベルの話である。実際に武装グループが武器を置き、中央政府の政府軍と合体される第3段階の議会レベルへの道は遠い。世界のマスコミはミャンマー中央政府が各民族との平和交渉に合意とのニュースを撒き散らすことだろうが、実際には永遠の平和を保障する第3段階に到達するにはどれほどの難局が潜んでいるか誰にも読めない。いわゆるマグマである。些細な意見の食い違いで武装グループがあるいは政府軍が発砲するかもしれない。そして不信感が双方に芽生える、これまでに何度も繰り返されてきたことである。

それだけに、副大統領は釘を刺す。「平和協定への署名は単に平和の確立を意味しない。状況は非常に脆弱である。いつ何時協定が覆されてもおかしくない」と。そして、「社会的・経済的・政治的に、外国からの援助が直接地元に届き、紛争地区から逃げ出した人々が再度ふるさとに定着し、地元の人たちが事業を起こせる法制環境を整えられるような平和センターの建設を政府に促し、政府支援を要求した。同時に両サイドの連絡事務所設置を要求している。

これはロヒンジャーとはまったく異なる民族問題で、32歳で暗殺されたアウンサ
ン将軍が1947年2月12日にパンロン会議で協定した65年後の約束と解釈することもできる。

副大統領が強調するのは、ミャンマーが世界最貧国のひとつに成り下がってしまった悔しさを訴え、そこから這い出すには各民族の安全を保障された経済的繁栄が必須であると語っている。もちろんテインセイン大統領の意向を反映した言葉だ。

そして第11番目の交渉相手であるカチン独立団体(KIO)およびその傘下の武装グループであるカチン独立軍(KIA)には逆に政府に対する不信感が生じている。その複雑さは独立した記事として説明せねばならないほど込入っている。テインセイン大統領が中国政府に諮らずに突如計画の停止を発表したミッゾーン・ダムはカチン州にある。今年4月1日の補欠選挙で情勢不安定として選挙区が取り消されたのもカチン州である。中国に接する国境線が長いため正式・違法ともに中国人が活躍するチャンスが多いのもこのカチン州である。この複雑さの解明はまたの機会にしたい。

このマグマも生きている。そして流動している。成り行きを見守りたい。



<八のぞろ目>

ぞろ目とは二つのさいころが同じ数を出すことだが、ミャンマーでは八が四つ並ぶ。しかし、これはミャンマーでは禁句だった。というよりも危険な数字だった。路上の喫茶店で隣に座った秘密警察に“はち”という発音を咎められたらブタ箱行きを覚悟せねばならない。だから、メール発信でもうっかり8という数字を使用していないかチョット前までは神経を使ったものだ。

それが8888と書いてもオーケーだ。これが現在ミャンマーで躍動中の民主化である。これもマグマといわせてもらう。

1988年8月8日。学生を中心に民主化を要求するデモの嵐がビルマ全土に吹き荒れた。政府軍は銃砲を外敵に向けるのではなく、自国の人民に向かって発砲した。何千人という大虐殺である。そしてその指導者は徹底的に追及され、屈辱的な拷問を受け、仲間の密告を強要され、地元から遥か遠い監獄に入れられた。その大半が釈放されたのはつい最近の大統領特赦によるものだ。24年振りである。だから、日本では末広がりの縁起物だが、ここミャンマーでは死の臭いを含んだ危険な数字である。

その釈放された政治犯である当時の学生リーダーたちを中心にヤンゴン・マンダレー・各都市で“8888”の24周年記念集会が開催され、政府はこの大群衆が参加する集まりを正式に認めた。ここでのテーマではないがスーチーさんの人生が大きく転回し歴史に組み込まれていったのもこの“ハチ・ハチ・ハチ・ハチ”がキッカケである。

テインセイン大統領はその前日の7日に内閣から二人の大臣を主催者本部に派遣して政府はこの全国集会を承認すると正式に通知している。それだけではない、この組織本部の元学生運動のリーダー・ココジー(当然彼も最近釈放された政治犯である)に対して政府から100万チャット(=US$1,200)の義捐金を手渡している。“政府がこの集会に賛同参画したと言っても良いのではないか”とココジーが語っているが、今ミャンマーは誰もが予想できない方向へ、予想できない速度で進んでいる。

大統領府は、政府はこの記念集会を“歴史的な行事”と再評価し、大統領が常に口にする国民和解を図りたいとする大統領の誠意を表明したものだと語っている。

しかし、ココジーはそれでもまだ収監されたままの仲間がおり、海外逃亡した当時の学生活動家が大勢いると話している。


<米国大資本の参入>

大型プロジェクトのガス・石油などのエネルギー関連は対象が巨大すぎて他所の国の話のように聞こえるが、ペプシコーラなら一般の人々にもお馴染みである。コカコーラはミャンマーに再入国すると6月に発表したが動きは遅い。ペプシコーラは4千人の従業員を雇用しミャンマー全土に販売網を持つ地元パートナー;ダイアモンドスター社と販売協定に合意したと8月16日発表した。契約内容は発表されていないがペプシコーラ・セブンアップ・ミリンダ印のミャンマー国内における輸入・販売・流通の独占権が同社に与えられた。

ペプシ側の動きは早く、ヤンゴン市内の大型スーパー・ハイパーマーケットではペプシの清涼缶と同じブルーのユニホームを着た若い女性が試飲用の小型カップを買い物客に勧めている。

ペプシは1997年にビルマを撤退している。しかし、ミャンマービジネスのノウハウはデータとして残されているはずだ。それだけに着手は、ミャンマーで躍動し始めた早く新しいマグマといえるだろう。



<緊急情報>

8月15日、議会はニャントゥン海軍大将(58歳)を上級副大統領に任命し、同日、議会で宣誓式が行われた。決着がついたのである。

当然、軍代表団が指名するという手続きを踏み、選挙管理委員会の精査をパスし、上院議長が上院・下院合同議会でこれを発表した。彼は物静かで柔軟な考え方をし、3人の子供がいてシンプルな生活を送っており、政治的には穏健派と見られている。ここでの“シンプルな”という表現も行間から、軍のトップと緊密な関係にあるとか、子供たちが父親の権力を乱用して特殊な商売に手を染めているとか、デモの鎮圧・前首相の追出し劇に貢献したとか、とにかく胡散臭い話が聞こえてこないと解釈せねばならない。

もう一人の副大統領はシャン州出身でそれほどの権力は付与されていないと一般には受け取られている。それだけに上級副大統領の権限は強大ということになる。だが、この新副大統領の詳細は明らかにされていない。本人自身の今後の行動・発言に注目していきたい。


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