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<ミャンマーで今、何が?> Vol.53
2013.7.17

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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 ・週刊メルマガ一周年記念特集最終号=

 24:初代麻薬王“ローシンハン”ヤンゴンの自宅で死去
 25:ミャンマー成功の鍵は国軍士官学校にあり

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24:初代麻薬王“ローシンハン”ヤンゴンの自宅で死去

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米国政府から“ヘロインのゴッドファーザー”と渾名された初代麻薬王ローシン ハン(羅興漢)が7月6日ヤンゴンの自宅で死去した、と家族が発表した。生年は 1935年とされるが年齢は80歳との報道が多い。死因も明白でなく、心臓麻痺または心臓発作とされた。

ローシンハンは今から40年以上前の1960年代、当時の独裁者ネーウィンと手を結 び、地元のシャン州北東部コーカン(果敢)地区で強力な私設軍団を率いビルマ政府軍とともに現地を占拠したビルマ共産党軍と激しい戦いを繰り返した。この 時期は1965年から10年間続いた中国文化大革命と重なり、国境地帯における中国の支援を受けたビルマ共産党軍との戦闘は熾烈なものであった。迎え撃つビルマ軍を全面的に支えたローシンハンの功績は大きく、ネーウィン将軍は同地域一帯におけるアヘン・ヘロイン取引の独占的認可を与えることでそれに報いたとされる。

当時のビルマで最強といわれた私設軍団を率いるローシンハンは間もなくこのゴールデントライアングル一帯における最大の麻薬王にのし上がり、当時のニクソン政権からは“東南アジアのヘロイン王”と呼ばれた。

原料のアヘンは山岳地帯からキャラバンを組み何ヶ所かに散在する精製工場へ運ばれ、さらに純度の高い最終商品とするためにタイ国境地帯の秘密の精製工場に運ばれ、国境をすり抜けタイを経由して欧州・米国と世界の麻薬市場へ密輸されていった。約3,000名に上る私設軍団は秘密の精製工場やキャラバンの警護につき、軍隊や警察に遭遇しても相手は手の出しようがないほど強力な軍団であったと伝説は伝える。

この辺りの経緯はハリウッドが製作した実話に基づく多数の映画(DVD)に描かれている。“地獄の黙示録”もそうだが、特にダンゼル・ワシントンとラッセル・クローが主演した“アメリカン・ギャングスター(日本名タイトルは不明)”はお勧めしたい。

歴史を紐解くと、中国の文化大革命を1966年から1977年とすれば、ベトナム戦争は1964年のトンキン湾事件から1975年までとされている。ベトナム爆撃への重要な発進基地に使用されたのが国境沿いにあるタイの空軍基地で、そこに武器と兵隊を大量に積載した大型輸送機が米国本土から続々と下り立つ。バンコクの紅灯の町は最前線から生還した精神的にも打ちのめされた米兵たちの慰安の場所となり、酒と女と麻薬にのめりこんでいく。バンコクが米国CIA諜報員たちの暗躍す る魔界都市となっていった。タイ国は日本の企業進出で繁栄していったと情報通の先生方は解説するが、バンコクの米国大使館は米国国務省・国防省によって世界でも最重要情報基地として格上げされ、米軍とタイ王立国軍との特別な関係はこのベトナム戦争時代にスタートしている。日本経済が朝鮮戦争で飛躍したように、タイ国経済はベトナム戦争で大きく飛躍した。特に欧米人が集まるナナプラザ近辺をはじめとしてバンコクの酒場にはCIAや米軍を退役した米国人がオーナーとして数多く残留している。そしてハリウッドのベトナム映画には元将軍たちと のコネを利用したCIA崩れの米国人ブローカーが暗躍し、タイ国軍のヘリコプターやタンクを借り受け、国境沿いのジャングル地帯をベトナムに見立てた大掛かりな作品が数多く撮影された。

この大型輸送機の復荷は米兵の遺体や傷病兵だけで一杯になったわけではない。高純度のビルマ産は世界最大の麻薬消費地であるニューヨークへ大量輸送されるようになった。ミャンマーのお役所は今でもそうだが、ミャンマー産品の輸出は すべてFOB渡しである。国際貿易に手を染めた方なら簡単に理解できるはずだが、FOB渡しということは買い手が自国への輸送手段を手配するということである。この米軍輸送機を復荷スペースとして活用したのはNYマフィアの組織である。

ありがたいことに身体の一部を吹き飛ばされた米軍傷病兵を癒したのは純度の高 いビルマ産ヘロインであった。送還されると彼らがニューヨークで西海岸でその効用を宣伝してくれた。マフィアの仕事はロジスティックを確保するだけで、販促をしなくてもマンハッタンで、ロスで、そしてシスコでもヘロインは飛ぶように売れた。それがベトナム戦争の時代背景である。

そしてローシンハンは当時のニクソン大統領に‘麻薬を撲滅して見せる’と大見得を切ったが、冷たく無視されたという話は今年5月15日付記念特集第1号で記載 したとおりだ。話が飛び火してしまったので話を当時に戻そう。

ビルマ各地で頻発する暴動や反乱で国内が不安定な時期、麻薬キャラバンのタイへの護送役はビルマ国軍が引き受けたと公然の語り草となっている。ところが、ローシンハンは1970年代初期に同盟相手をビルマ国軍から独立を求める地元乱軍(SSA=シャン州立軍)に切り替えた。ビルマ国軍は裏切り者としてのローシンハンを国外に追放する作戦を強行し、タイ警察は1973年にローシンハンを逮捕。

身柄はビルマ政府に引き渡され投獄。国家反逆罪で死刑の判決を受ける。注目し たいのは、違法麻薬の罪ではないことである。だが、実際には監獄内で丁重なVIP待遇を受けていたとの伝説が残る。その後死刑であった判決が終身刑に減刑 され、そして1980年には一般特赦令で自由の身となった。

これがローシンハン後半生の転機となり、その後はビジネス・パートナーとしてビルマ軍事政権を側面から支えていくことになる。不穏な少数民族反乱軍との平和交渉に手を焼いていた中央政府に反乱軍のメッセージを持ち込んできたのがこのローシンハンであった。当然、政府の回答を届ける密使もローシンハン以外にいなかった。精鋭反乱軍との平和交渉においてローシンハンは実に重要なブローカーであったとキンニュン元首相はあとで述懐している。これによってローシンハンは当時の軍事政権からさらに、いかなる刑罰も受けずに麻薬事業を継続する保証を得たとされている。

1992年6月5日に、ローシンハンは巨大な複合企業集団アジアワールドを設立し、 息子のスティーブン・ロー(ミャンマー名:ウ・トゥンミエンナイン)を会長職に据える。

スティーブンはビジネスパートナーであったシンガポール人のセシリア・グと 1995年に結婚。現在アジアワールドの海外支店はシンガポールだけでも10社あり、すべてスティーブンの妻によって運営されている。米政府の高度な情報によれば、 セシリアは地下銀行を組織し、政府とのコネを利用して麻薬で得た膨大な金をシ ンガポールに蓄積しているとのことである。スティーブンは東南アジア最大の大 富豪ロバート・クウォックとも仕事上で親密なコネを持つ。ご存知ヤンゴンのト レーダーズ・ホテルは彼の経営するシャングリラ・グループのほんの一角である。

米政府情報によれば、アジアワールド企業集団は麻薬取引の最前線基地となって おり、麻薬の汚れた金が洗浄されクリーンな金に換っていくローンダリング機能も果たしている。このようにしてローシンハンとその息子スティーブンはミャンマー屈指の大富豪にのし上がり、軍事政権と持ちつ持たれつの関係で、港湾・ハイウェー・空港など国家プロジェクトともいえる甘い汁の利権事業を数多く手に入れてきた。テイザーやゾーゾーなど駆け出しの成金とは規模が違う。

詳述したとおり、旧軍事政権とローシンハンとの関係はネーウィン将軍の時代に芽生え、その後もキンニュン元首相の時代に少数民族反乱軍との平和交渉で重要な密使役を果たしてきた。そして時代は変わり、2011年から軍事政権から新政府 へとミャンマーは大転換をしたように見えるが、テインセイン元将軍が新大統領となり、最初の外国訪問先に選んだのが中国である。そのときに同道したのがこ のアジアワールドの総帥スティーブン・ローである。

そしてテインセイン大統領の大英断で一方的な工事中止を宣言したミッゾーンダ ムは中国主体の工事でその仲介役はスティーブン・ローであった。ミャンマーで第3番目の深海港であるラカイン州チャオピュー大工業団地も中国が主体となって開発を進めており、ミャンマーの天然ガスおよび中東の原油を中国へ送り出す 大動脈のパイプラインもこのチャオピューが基点となっており、中国をパートナー としたこの大事業計画もすべてスティーブン・ローが仲介役を果たしている。も う少し時計を逆戻りさせると、今脚光を浴びている新首都ネイピード大都市圏建 設計画の大工事は彼のアジアワールド企業集団が請け負ったものである。

この辺りの諸経緯は、「ミャンマーで今、何が?」のバックナンバーを紐解けば お分かりいただけると思うが、ゴッドファーザー・ローシンハンの死去によって 旧い時代は過ぎ去っても、息子のスティーブン・ローはミャンマー新政府と中国政府との仲介役としてはなくてはならない機能を果たしており、ひいてはシンガポール・マレーシア・東南アジアの特に華人との仲介役としても重要なパイプ役 となっている。親父が確立した反乱軍との密使役としてのノウハウは新しい時代 に適応する形で見事に息子に受け継がれている。DNAのなせる業であろうか。

ヒマラヤ東端の雪解け水を源泉とするイラワジ上流の清流も、末端のヤンゴン川 にたどり着くころには一寸先も見えない濁流に変わっている。その営みは旧軍事 政権時代も、新政権となってからも何一つ変わっていない。そして大英帝国時代
のインドとの併合を含めた植民地時代からも何一つ変わっていない。

今世界のサミット何十カ国のリーダーの大半も精神的には無菌状態の保育器で育
てられたニュー・ジェネレーションに代わりつつあるが、ミャンマーのテインセ
イン大統領には清濁飲み込む時代の度量が見受けられる。悠久たるイラワジの濁流を見つめながら身につけたものだろうか。週刊メルマガ「ミャンマーで今、何 が?」が指摘したいのはそのことである。

米国財務省はローシンハンを“ヘロインのゴッドファーザー”と呼び同族ファミ
リーを2008年から経済制裁の対象としてブラックリストに掲載している。

葬儀は7月17日にヤンゴンで行われるとローシンハンの死亡記事がビルマ語版国 営新聞に掲載された。特に注目されたのが、現役の農業灌漑大臣と国境問題担当大臣がその肩書きとともに署名入りでビルマ語版国営新聞ミャンマーアリンとミ
ラーの両紙に“我々の悲しみはご遺族同様に深く、安らかな眠りを祈ります”と哀悼のメッセージを掲載したことである。この辺りの感覚を見逃すとミャンマーの現実を見誤ることになる。そしてヤンゴン・タムウェー町区にある将軍村の大豪邸には訃報を聞きつけたミャンマーの政界および財界の大物たちの高級車が続々と押しかけている。

ローシンハン死去のニュースはミャンマーの旧い時代が過ぎ去り、新しいミャンマーが衣替えし、しかも容認され引き継がれていく様を見事に象徴している。5月15日に開始した週刊メルマガ一周年記念特集号はこの初代麻薬王ローシンハンからスタートした。実に不思議な因縁でもあるので、今回は記念特集号の締めくくりとして、ミャンマーの昔・今・明日を語るときに避けては通れない“ミャンマー国軍”を少しばかり触れて週刊メルマガ一周年記念最終号としたい。


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25:ミャンマー成功の鍵は国軍士官学校にあり

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ミャンマー国軍は正式にはTamadaw(タッマドー)と呼称される。国防省の指揮下にあり、陸軍・海軍・空軍の三軍と補助組織としてのミャンマー警察軍(通称ナサカ)で構成されている。

しかし、その生い立ちには太平洋戦争前後の南機関、鈴木敬司大佐、30人の志士、アウンサン将軍、ネーウィン将軍などが深くかかわり、日本との関係は非常に濃厚である。当然英米の歴史観とは見方は異なる。その辺りは実に多くの関連書が西洋・東洋の両サイドから発行されているのでそれを参照していただきたい。こ
こではすべて省略する。

前回も触れたが、2011年に新政府が誕生するまでは、そして今でも、国づくりの土台に最も重要とされる教育制度はなおざりにされてきた。

形式的な大学はあるが、キャンパスは郊外に分散され、学部は分断された。そし て5名以上の集会は禁止され、自由活発な討論を行う機会はまったくなくなった。旧政府が神経質なほど学生たちの決起集会を恐れたためである。路上の茶店でも秘密警察の目が光り、屁のツッパリにもならない会話しかできなかった。

高等学校以下の教育の現場でも教師は完全にヤル気をなくした。一ヶ月3,000チャットの安月給で誰がまともに教えられるかというのが、教師の言い分であった。もっともな話である。だが、これではイカンと頭の良い教師が考案した秘策がいつしかミャンマー全国を制覇した。これにはミャキョーソ(ミャンマー教職員組合)はまったく関与していない。

その秘策とは、各先生方が受け持ちの科目を自宅でテューイッションするというウワサを流すのである。教育ママは日本人・韓国人・中国人だけではない。世界共通の現象だ。そこで先生方は俄然ヤル気を出し、学校では授業をほったらかしにして夕方からの自宅での教材作りに精を出し、一人の生徒から3,000チャット 以上の個人授業料を稼ぎ出す仕組みが出来上がっていった。ヤル気とはすごいもので学校が休みの土日の朝から晩まで精を出す先生方が続出する。それだか需要があるということである。このようにしてミャンマーの教育制度は完備されていっ た。

その中で唯一まともな教育機関はMyanmar Defense Service Academy (DSA=国軍士官学校)だけだったというのが、東西南北研究所の見解である。それがミャンマーの繁栄を作り出したという分析である。

ミャンマー国防軍の将来の士官を教育する機関でマンダレーの北部高原ピンウー ルインにあるのがそれである。国防省の管轄下にあり、男子のみが入学でき、一 般教養、理学士、およびコンピューター・サイエンスの学位を修得する超エリー トコースである。ここを3年間で卒業した超エリートたちは士官として陸軍・海 軍・空軍のひとつに配属され、尉官・佐官・将官と階段を上り詰めていく。

2011年から形式的には民間政府となりミャンマーが世界に向かって開放され、世 界のビジネスマンが飛び込んできた。だが、世界の情勢に通暁しているのは残念 ながら民間人ではなく、これらのエリート将官たちである。もちろん優秀な民間人はいるが少数だ。数の点ではこれらのエリート将官たちには適わない。

平和ボケした感覚で軍事国家は大嫌いだとか、軍人は嫌いだとか、主張するのは 構わない。だが、ミャンマーが今の大変革期を巧妙に舵取りできるのは軍隊式トップダウンが有効に作用しているためではないのだろうか。だが、2015年を境目に天下分け目の移行期に転じるのか、あるいは今の軍隊式がそのまま続行するのかは、誰にも分からない。

今ヤンゴンから世界を眺めると、このミャンマーに出入りする諸外国の要人は政 界・国軍・実業界・NGOを含めてトップから実務レベルまでと半端な数字ではない。それをミャンマーのカウンターパートナーたちがそれなりに対応している。 そして今現在、ミャンマーのテインセイン大統領はEU第2回目の訪問で英国とフ ランスを訪問している。ミャンマーをここまで成功裏に誘導してきたのはこのテ インセイン大統領に他ならない。土地も持たぬ貧農の家庭に生まれ、国軍士官学 校からエリートコースの道を歩き、大統領職にまで上り詰めた。そして大過なく どころか、ミャンマーを貧困から繁栄の道へと誘導している。テインセイン大統 領の経歴と彼自身の才覚がなせる業であったといわざるを得ない。



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