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<ミャンマーで今、何が?> Vol.287
2018.12.18
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ケーススタディ:カレン州“パーアン紀行”
・01:コトの発端
・02:竹林精舎の一睡
・03:ヤンゴンから高速深夜バスでパーアン
・04:フィールドワーク開始
・05:国境の町ミャワディ行きは取り止め
・公式ツイッター(@magmyanmar1)
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最初にお断りしますが、今回は個人用記録として書き留めたものです。ご多忙の方はどうぞスキップしてください。人生死ぬほど退屈な方のみ、お付き合いください。
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・01:コトの発端
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学生の一人が、家族友人計7人でカイン州の州都パーアン旅行を企画、同行しないかと誘われた。
高速深夜バス利用、全員オバの家に宿泊、ワタシにはホテルを予約するという。久しぶりに一般家庭以下の、むしろ貧乏家庭に属する生活の実態が観察できる。文化人類学でいうフィールドワークだ。喜んで誘いに応じた。
12月突入の前日“義弟”を亡くし、喪中を口実に、酒断ち・パーティ断ちを続けている。ミャンマーの師走は、僧侶も平信者も国民全員が大忙しである。最近は仏教徒もクリスマスを盛大に祝い、どこもかしこもLEDの電飾だ。酒席の集まりも多い。勝手ながら、賑やかな集まりは敬遠してきた。
それだけに、ヤンゴン脱出の地方旅行は、何よりの憂さ晴らしとなる。
15年ぶりのパーアン旅行。出発までの余裕は2日しかない。世話になる“オバさん”への土産を相談し、洒落たデザインの皮革製高級バッグを奮発した。資料をひっくり返し“カイン州”と“パーアン”関連のデータを集めはじめた。
話は横道に逸れる。中国・台湾・日本の住所表示は非常に優れている。例えば、東京都千代田区神田a丁目b番地cビルd階e号室、と全体枠の最大から順番に絞り、最後は最小枠の目的地表示となる。欧米式住所表示にはじめて接したとき、どうしてこんな要領の悪い書き方をするのかと思った。
戦後の日本はアメリカの影響が強い。特にビジネスでは結論を先に述べよと教えられた。悲しいかな日本文化はそれを受け入れた。21世紀の今、これを哲学すると、これこそがコンビニ的簡略法の原点と思い至る。グダグダはいいから、結論を早く言え!!と、促される。日本で居心地が悪いと強く感ずるのは、ソコのところである。
日本人が“あそび”という余裕を失くしてしまった。合理性という呪いに縛られている。ヤンゴンで実践しているのは、その真逆の方法である。どの物語も混み入った事情がある。そして、それなりの結論は最後の最後にやってくる。
セールスでも、これはイチオシだから買えという。押し売り商法としか思えない。これでは売れない。最初は、セールスだと思わせない。ついつい話に釣り込まれ、気がついたら買わされていた。これが、セールスの極意では?
今の時代、アメリカ商法では売れない。警戒心を起こす宣伝が多すぎる。それをマネする日本商品も売れない。トランプ大統領の勘違いは、ソコにありそうだ。しかも、結果の収支だけで判断するから中国も面食らっている。
モノゴトには、ナニがナニしてナントやらと、決して単純でない物語がそれぞれにある。
スーチーが日本の外務大臣に「ミャンマーは複雑なんです!」と、半分非難口調で発言したのはソコのところでは? 同様に、NHKの独占インタビューアーに半分イライラしながら釘を刺したのも、同じコトだったのでは?
日本を占領したマッカーサーは、アメリカ式エロ・グロ・ナンセンスを根付かせ、 12歳レベルの日本人を愚民化した。だが、日本の住所表示までは気づかなかった。大抵の軍人は文化人類学の知識を持ち合わせていない。だからルース・ベネディクトの「菊と刀」を100%信じた。この名著はフィールドワークを実施せずに書き上げた。それが唯一の欠点とされる。
オリバー監督流に言えば、この住所表示が生きている限り、日本的思考方法を復活させるチャンスは残されている。
若者の話を聞きながら、自分の家族のコトなのか、学校のコトなのか、あるいは職場なのか、要領を得ない。家庭でも学校でもその訓練は受けていない。
地図を持ち出し、ここがミャンマー全土、続いてここがヤンゴンと自分の立ち位置をまずハッキリさせる。ソコからゆっくりと方向を進めて、ここがカイン州(カレン)と、州全体を指で示す。東側のこの太い線が国境で、向こう側は隣国タイだ。だからカイン州は国境の州である。地図は平面だが、言葉の上で3D説明を心掛ける。最後にカイン州の真ん中に“パーアン”を見つけ、今回の旅行はここヤンゴンからここパーアンまでと指で行程を往復させる。
“パーアン”はどこにある?ともう一度学生に質問し、同様の要領でひとりひとりに説明させる。目ざとい学生ほど、即座に“パーアン”を指差すが、それでは他人への説明とならない。この手順をマスターできれば、アナタは立派な観光ガイドと、もう一度、学生一人ひとりに大→中→小の順番で説明してもらう。
ここでも山本五十六の「ヤッテミセ、イッテキカセテ、サセテミテ、ホメテヤラネバ、ヒトハウゴカジ」が生きてくる。
前段が長くなったが、その伝に則って、説明を試みたい。
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・02:竹林精舎の一睡
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パーアンの印象。
これまで慣れ親しんだミャンマーの風景とはまったく異なる世界である。有名なズエガビン山(標高725m)に代表される巨岩の山が、突然平原から立ち上がり、連山あるいは孤立して立っている。造山の仕組みは分からないが、石庭のように、まっ平らな平原に岩山だけが取り残された様相を呈す。巨岩が露出しているのもあれば、山全体が木々に覆われ、人跡未踏の深い森となっているのもある。そして山の麓あるいは平原は、水を湛えた池や湖、あるいは、緑の水田が広がる。
しかし、郊外の道路は未舗装なので、車が通過するたびに土ぼこりが舞い上がる。気の毒なのは、道路脇に植えられたチークなどの木々だ。土ぼこりで葉っぱは真っ白、気孔もほこりで埋まり、本来の光合成は期待できない。カイン州はチークの産出地として有名だが、これでは元気で優良な成長は難しい。もったいない話だ。
チベットを源流とするタンルウィン川はこのカイン州を北から南に貫流し、パーアンを通過して、モン州のモーラミャインでモウッタマ湾に注ぐ。その大河に架かるタンルウィン橋から上流・下流を眺めると、この石庭はさらに幽玄で中国の桂林を髣髴させる墨絵の世界となる。とくに朝ぼらけ夕方の景色に雲がたなびけば一服の絵ができあがる。
ミャンマーの行政区分は、最大多数のビルマ族が支配する8つの地区(ネイピード特別首都地区を含む。民主化以前は軍事政権らしく管区と称した)と、7つの主要民族にそれぞれ州(シャン、カイン、ラカイン、モン、チン、カチン、カヤー)を配し、合計8地区、7州でミャンマー連邦を形成している。
今回の“カイン州”はKayinと綴り、カレン民族に割り当てられている。西洋人には昔の名前“カレン州”が発音しやすく、一般にも通用している。
カイン州のカレン族はすべてではないが大半が敬虔な仏教徒である。複雑系の話をすると、辺境地区のカレン族は自然界のさまざまな霊魂を信じていた。英国の民俗学者はアニミズムと一括りにする。老獪な英国は彼らに英語を教え、教会に通わせ、欧米の生活習慣をマネさせて、キリスト教に改宗させた。その少数民族カレン族を優遇して、大英帝国の兵士あるいは役人として雇用し、最下層のビルマ族を監督・管理させた。
その大半のキリスト教カレン族が居住するのは、ここカイン州ではなくヤンゴンの西隣エイヤーワディ地区である。
当然、この分断政策は、ミャンマーの歴史に、ロヒンギャに似た悲劇と禍根を残した。最大多数のビルマ族は火器類には触らせてもらえなかった。それだからこそ、アウンサンに率いられた三十人の志士たちは、国外での軍事訓練にビルマの独立を夢見た。
大雑把にカレン族には仏教徒とクリスチャンの2派が存在することを、基礎知識としてインプットしておきたい。
だから、観光の初日にワタシが冗談のつもりで口にしたのが、午前中はパーヤー、パーヤー、パーヤーの連続で、午後からはケイブ、ケイブ、ケイブの連続であった。どういうことかというと、午前中はアチコチに散在する仏塔を何ヶ所もめぐり、午後からは岩山の洞窟内に納められた仏像めぐりの連続であった。不信心ものの冗談は不評であった。
“オバさん”は得意顔でアッチの洞窟、コッチの洞窟と連れまわしてくれた。一ヶ所を極めれば、それで充分と思ったが、ヤンゴン組みは有難がって、スタンプラリーのように洞窟めぐりを楽しんでいる。入り口部分とだだぴろい空間も電気が乏しく、しかも床が濡れているので滑りやすく、裸足での歩行は危なっかしくていけない。その内にズルをして、出口の土産物屋兼食堂で、ココナッツや砂糖キビ・ジュースで皆が出てくるのを待つことにした。洞窟内は涼しいが、湿度が高い。洞窟外は暑いが、日陰だとわずかな風が心地よい。砂糖キビ・ジュースには氷を入れるか聞かれるので、“当然”と答える。冷えたジュースは実に美味い。だが、一般の旅行者にこの氷はお勧めしない。
仏塔は通常、山の頂とか、眺めの良いところに建てられている。だから、心臓パクパクの身には結構シンドク、同じ道を戻ってくるのならと、頂上を極める彼らを途中で見送った。往復で2時間ほど掛かるという。時間はたっぷりとある。階段下のスタート地点にゆっくり降りた。
辺り一面、直径13-15cmほどの太い竹がすくすく伸び、竹林となっている。原始仏教の竹林精舎が偲ばれる。その一角に庫裏があり、食堂がある。無料でベジタリアン料理が供されるという。降りてきたら、皆で一緒に遅めのランチを約束してある。竹林精舎の中にいると、身体が融けるようで、眠くて仕方がない、どこかで大の字になって休息したい。
その庫裏の裏手から老僧がお供を連れて出てきた。話しかけられるが、言葉が通じない。念のために英語は分かりますかと聞いてみた。まったく通じない。困った。
自分の胸を指差し、老僧にゆっくりと“ジャパン”と云ってみた。“ホッ!”とひと言返ってきた。そのひと言で充分だ。
老僧はお付の者に、食事でも!とお誘いの雰囲気。“ティーズーティンバーデー!”と声に出し、手を横に振り、断りの意思表示で応える。今度は“フレンド”という単語を試してみる。空中に大きく山形を描き、指をテクテク折りながら、頂上まで歩く友人を表現する。そして山の頂で360度のパノラマを眺める素振り、それから指を折って山を降る。最後が、全員でドンブリ飯を掻き込むマネをする。英語が通じないとき、世界共通の言語がある。ワタシのリンガフランカも捨てたものではない。
驚いたことに老僧はすぐに悟ってくれた。そしてコッチに来いと手招きし、草履を脱いで庫裏にあがり、奥から竹製のアンペラを引っ張り出し、床に広げた。檀家から献納されたのか新品である。しかもビニールに包まれた真新しい枕まで用意し、寝釈迦仏の格好をしてみせる。さらにはブランケットまで用意してくれた。実に有難い。
言葉は何一つ通じない。だが、ワタシの気持は完全に読み盗られた。相当の高僧に違いない。すべてを高僧に預け、横になり、目をつぶる。眠くて仕方がない。身体の疲れがほぐされていく。
遠くで犬が吠え、小枝が枯れ落ちる音がする。近くで鶏の鳴き声、笹の葉が摺れる音がする。入れ替わり小鳥がやってくる。心地よいそよ風で睡魔に襲われる。ウトウトと夢の世界に。ときおり摺り足で高僧が覗いていくようだが、もう夢の中・・
若者たちに起こされたのは、ちょうど2時間後であった。グッスリと眠れた。
便利な世の中になった。頂上からのパノラマビデオでパーアンの地形図はジオラマだ。
高僧には合掌して“ティーズーティンバーデー!”と心底精一杯のお礼を述べた。
アンペラと枕まで用意してもらい、高僧の好意にすっかり甘えてしまった。お陰で竹林精舎の自然の中で熟睡できたと、ビルマ語でお礼を言ってもらうよう22歳の娘に頼んだ。
“ティーズーティンバーデー!”のたったひと言で、すべては片付けられた。
今時の若者は!と、口に出掛かったが、それは飲み込んだ。
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・03:ヤンゴンから高速深夜バスでパーアン
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パーアンを中心に主要都市までの大雑把な目安は、西のヤンゴンまで約150km、東のミャワディ(タイとの国境の町)まで約100km、北のチャイティーヨ(ゴールデンロック)まで約50km、南のモーラミャイン(モン州州都)まで約50km。
ヤンゴンのアウンミンガラ高速バスターミナルを午後9:00時に出発。荷物を横腹に収める高床式の中国製車両で快適。冷房をギンギンに効かすので長ズボンと厚手のセーターは正解。チャイトンに翌午前01:30時に到着、全員強制下車。レストランを利用させられ、トイレも済ます。土産物屋にはローカルの人たちが集っている。約20分ほどの休憩で出発。15分ほどで次のタートン駅に停車して、最終目的地のパーアンは午前3:45時の到着。
ワレラご一行様はオバさん2人に27歳以下の娘たち5人組み、そして老書生を加えて合計8名。
最終目的地の一駅手前で全員下車。目の前がとある省庁(敢えて名前は伏せる)の官舎前。真っ暗な中をスマホで照らしながら、官舎の曲がりくねった小道をゾロゾロ追いていく。暗闇の中に一軒だけLEDの電飾が点灯していた。そこが“オバさん”の宿舎のようだ。
高床式で2畳ほどのベランダがついている。室内入り口の一室に7名が雑魚寝。室内灯が消え、直に寝息が聞こえてくる。ワタシはベランダの椅子に脚のせ台を設え、毛布にくるまって寝た。外には樹木が繁り、やぶ蚊が飛び交っている。手ぬぐいで銀行強盗スタイル、麦藁帽子で顔を覆い、夜明けまでグッスリ眠った。
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・04:フィールドワーク開始
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娘たちが朝飯に行こうと誘ってくれる。
井戸水で歯を磨き、顔を洗う。そして、ついでに上半身も拭き、すっきりした。
大通りはバス、バイク、自転車と朝のにぎやかさで一杯。歩いて7分のところに典型的な大衆食堂があった。焼き飯、焼きソバ、それぞれめいめいに注文。煤けた壁にはかなり古ぼけたアウンサン青年、将軍の写真が何枚も貼り付けてある。この食堂の名前は「アウンサン将軍最後の戦い」というそうだ。気に入った。これだけでワタシのパーアン旅行は満足だ。
娘たちがピーチク・パーチクやっている合い間に、同行者全員のフルネームと年齢、お互いの関係などをノートの書き留める。人名も発音は尻上がり、尻下がりと、意外に微妙である。この要領を習得すると後が楽だ。そしてフルネームで、必ず呼びかける。
娘たち全員が同じ大学の卒業生で、その内3名が同じ学科の同級生、特に仲良しと判明した。そこから個別アタックがはじまる。どういう会社に勤め、仕事内容は? 勤務時間は?週休は? 家族構成は? 兄弟・姉妹の仕事は? 両親の仕事は?仕事の内容は?ポジションは・・と、秘密警察なみの調書ができあがる。これが意外と、メルマガ関連のネットワークとなる。あるいは、ボーイフレンドに昼飯を驕る約束で、パソコンを修理してもらう。
食事の後、町並みを見回しながら、宿舎に戻る。
民主化とはいえ、ミャンマーでは古い仕来たりが今でも横行している。
例えば、政府系の敷地、特にプライベートの住居など官舎への侵入は、極力目立たない振る舞いが必要とされる。これは自分だけでなく、相手にも迷惑がかかる。下っ端役人の場合は、特に気をつけることだ。相手が政府高官の場合は、まったく問題はない。好き放題に振舞ってよい。今回は、下っ端も下っ端である。写真の撮影も同様である。
友人の四輪駆動乗用車で、ヤンゴン管区を脱出してバゴー管区に入った途端、背の低いプラスチック製円筒を車外に取り付け、赤い警光灯がグルグル廻り出したときには驚いた。あとは渋滞だろうが、交差点の真ん前まで行き、好き勝手の運転だった。こういう特権階級がいるのと同時に、虐げられる底辺がいることは、肝に銘じておきたい。
断って、部屋の中を見せてもらい、写真撮影の許可ももらった。今朝早朝、皆が雑魚寝した部屋は6畳ほどで、上方に仏壇があり榊が飾ってある。そしてお決まりの、特に姉妹たちのガウンを着た卒業写真が何枚も掛けてある。ということは、彼女たちはすべて大卒である。三方の壁の周りにはタンスやTVなどが所狭しと置いてあるので、実質空間は5畳もないのでは。ここに7人が雑魚寝したことになる。この部屋ではすでに4人ぐらいの子供たちが学校行きの準備中だ。
奥の部屋は夫婦子供のベッドルームで、4畳半ぐらい。
その更に奥がキッチンとなっており、ここで飯炊き、料理の準備、裏戸を開けると井戸があり、トタン屋根が張られている。ここで水を汲み、洗髪・シャワー、朝の支度。少し離れて潰れかけたような戸外の共同トイレ。電気がないので、夜は注意。
部屋に戻り、この家の女主人を確認し、聞き取り聴取の開始。
彼女がある省庁の下っ端お役人。事務所まで歩いて5分。ご亭主はヤンゴンでタクシーの運転手。子供は二人だが、自分の兄弟とか、夫の兄弟なども同居中。皮革製バッグの“オバさん”は彼女の母親と判明。この一家の大黒柱は、やはり“オバさん”で、彼女の同意を得ないと何事も進展しない。バッグの贈呈は間違っていなかった。“オバさん”には2男2女があり、下っ端役人は長女、一番下の次女が軍人に嫁ぎ、興味津津だったので日中の自宅訪問を画策したが、外国人は許可取れないとの返事が返ってきた。彼のランクは下っ端の軍曹で、下士官クラスでは利用価値がないことを物語っている。
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・05:国境の町ミャワディ行きは取り止め
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日中は小型トラックを借りきりパーアン観光に出発。荷台にはゴザを敷き、全員あぐらのお花見スタイルだ。ロデオの荒馬を思い起こす運転で、尻が痛くなってくる。我慢できずに、運転台の助手席に移動。冷房が効かずに灼熱地獄、窓を開けると真っ白との土ぼこりが飛び込んでくる。
運転手はほとんど英語が喋れない。
だが、パーアンから国境の町ミャワディまでタクシーで片道5時間とまでは聞き出した。パーアンもそうだが、ミャワディは三十人の志士のひとりが密出国に成功した町でもあり、バンコクから祖国ビルマに進軍を開始し、通過したた町でもある。ワタシにとっては、思い入れ深い地域である。是非とも行きたかった。
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