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<ミャンマーで今、何が?> Vol.258
2018.7.10
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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■シュエマン著「レディと私、そして国家問題」
・01: ミャンマーの出版事情
・02: エピソードごとに選別
・03: 第一話はスーチーとシュエマンの初出会い
・04: 2015年8月12日真夜中のクーデター
・05: それではシュエマンの見解を拝聴しよう
・06: 下院議長演説
・公式ツイッター(@magmyanmar1)
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01: ミャンマーの出版事情
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英語の原題は”The Lady, I and Affairs of State”となっているが、勝手に日
本語仮題は上記の通りとした。(ミャンマー語版)
最終ページ数:98頁、第4版、2018年4月、発行部数:5,000部、定価:2,000チャ
ット(英語版)
最終ページ数:129頁、第1版、2018年5月、発行部数:1,000部、定価:9,000チ
ャット
ミャンマー語版も英語版も表表紙、裏表紙、および本文中に使用された写真はほ
んの数例を除き、まったく同じモノで、レイアウトもほぼ同じ構成となっている。
この本の薄さからしてミャンマー語版の定価は高め設定で、英語版にいたっては、
普通のミャンマー人にとっては手が出せないほど高額となっている。現政権でスー
チーの影武者として睨みを利かす、シュエマンの内幕ものとして、発行者は強気
に出たのであろう。購入したミャンマー語版はすでに第4版で発行部数5,000部と
なっていた。高めの価格でも話題を呼び順調に版を重ね、売り上げを伸ばしてい
るようだ。発行者の目論見は当たったことになる。
シュエマンは題名からも読み取れる通り、スーチーの出版許可を得るどころか、
スーチーとは入念な打ち合わせをした上で、自分の信念を吐露し、まるで職責の
一部であるかのように、スーチーへの応援歌ともなるような内容となっている。
笑ってしまうのが、英語版の発行部数がたったの1,000部となっていることであ
る。日本だと素人の自費出版レベルにも満たない数字である。これではプライド
の高いシュエマンの沽券に関わると、気になるところだが、これにはウラ事情が
ある。
ミャンマーの出版業界に通じた友人の話だと、印刷されている1,000部はあくま
でも税金対策として部数を低く抑えてあり、実際にはその倍、あるいはそれ以上
印刷して、一部は発行認可を受けるためにアンダーテーブルとしてお役所高官に
現物配布され、著者にも南部か渡される。基本的に著者には執筆契約金と最初の
1,000部の印税が手渡されるが、それが全てである。たまたま売れ行き好調で増
刷しても、著者には挨拶なしで、すべてを出版社の利益として取り込むのが、業
界の慣習であったようである。海外の圧力で著作権法が厳密に浸透してくれば。
今後は改善されていくかもしれない。
欧米の著名政治家であれば、キッシンジャーやヒラリー・クリントンなど、回顧
録執筆を約束するだけで、支度金として何百万ドルが前払いされ、出版社はテレ
ビ・ラジオ・新聞・雑誌・ポスターなど巨額な宣伝費用を掛けて、ベストセラー
を作り出すメカニズムが出来上がっているが。ここミャンマーでは文化の価値は
廉価である。
シュエマンは今をときめく最高権力者のひとりであるだけに、その出版契約がど
うなっているかは非常に興味のあるところである。耳をダンボにしていれば、事
実に近いウワサが流れてくるかもしれない。
ということで、ビルマ語の読めない所長は、英語版だけを頼りに話を進めていき
たい。
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02: エピソードごとに選別
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軍事政権時代、参謀本部の中枢から将軍としてトップにまで上り詰めただけに詳
細な内幕モノ年も読める。スーチーとの出会い、スーチーとの信頼関係が深まっ
ていく。軍事政権によって壊滅されたこの国そのものをどの方向に持っていくか?
ミャンマーの若者世代の未来は?
だが、アメリカの大統領でも、イギリスの首相でも、政治家はクセモノである。
ミャンマーの軍人でさえ、世渡りを含めてスマートな人間はいくらでもいる。著
者の記述を信じるかどうかは、アナタ次第でアナタの勝手。
元軍人、元将軍と聞いただけで、評価をくだすコンビニ型人間がいるが、このメ
ルマガはその人物の発言、行動を見極めてそのどれが本物で、そのどれがFakeだ
と評価する努力をしてきた。だから、元将軍のシュエマンといって短絡的な結論
は控えたい。同じ人物でも、青年期、壮年期、老年期で考えも行動も変化するの
は当たり前である。ある人物の別の面を発見して、目から鱗の経験はあり得る。
それを成長と捕らえるか変節と捕らえるか、それもアナタの勝手。
ところで、この本は総ページ数わずか129頁。全文をそのまま拙訳してお届けす
るのも一法だが、あまり知られていないエピソードを選択して配布するのも、ひ
とつの考えだ。そこで悩んだが、例の野次馬精神で、後者を取ることにした。あ
まり長い話だと、読むほうもくたびれるでしょうから、エピソードは分割してお
届けすることにしよう。
事実は小説よりも奇なりで、コンビニスタイルで結論を急ぐよりも、後になって
事実が判明することはヨク有ることだ。事件が一段落した今頃になってシュエマ
ンがこの内幕モノを発表した。ナルホドと納得したことが多々ある。過去の事件
と思われたものが、今新たにフレッシュに蘇った。過去ではない「ミャンマーの
今」の範疇として容認いただければ、ありがたい。
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03: 第一話はスーチーとシュエマンの初出会い
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1988年8月は激動の年で、月であった。語呂合わせの8日一日だけではない。この
月この年すべてが、ミャンマー全土で学生を主体としだデモが拡大化して騒然と
していた。独裁者は国防軍とは言うものの銃口を敵国に向けるのではなく、自国
民に狙いを定めて発砲した。路上で逃げ惑う女子学生、一般市民、幼児、そして
僧侶までが殺戮されていった。
その騒動の中で、スーチーの名前が立ち昇ってきた。本人は政治活動に巻き込ま
れることを極度に避けていた。それにも関わらずである。スーチーの母親ドー・
キンチーは接待上手であった。本人は外出は控えていたが、インヤー湖畔の邸宅
は、上流階級を主体としたサロンの様相を呈していた。重病に陥ってからも、スー
チーが英国から戻ると、外国大使を始めありとあらゆる人たちがこのサロンに集
まってきた。父親アウンサン将軍を知るヒトは、スーチーの話を聞く態度、簡潔
な話し方、臨機応変の応答、ユーモアに、父親瓜二つでビックリさせられたとい
う。このようなウワサはラングーンから発信されたが、上ビルマの遠隔地からも
スーチーのウワサが木霊のように戻ってきた。
軍人グループといってもピンキリである。独裁者ネウィンを諌め、面と向かって
逆らった骨のある軍人も軍内部には多数いた。当然のことながら逆鱗に触れ、投
獄され地方に飛ばされた。解放されると彼らもスーチーのインヤー湖畔の邸宅に
続々と集まってきた。シュエマンも、この頃、スーチーの名前を耳にしたという。
一般のミャンマー人と大差はない。あくまでも自分が深く尊敬するアウンサン将
軍の娘ということで、特別に関心を抱いたとしているが、これはあとからの付け
足しだろう。あまり意味は無い。
スーチーは1945年6月生まれ、シュエマンは1948年6月生まれの3歳年下である。
当時スーチーは若く見えたが、すでに43歳。シュエマンは40歳で独裁者ネウィン
に逆らうことなく国軍エリート街道をまっしぐらに突っ走っていた頃である。
スーチーはオックスフォード大学敷地内の閑静な住宅で、ブータン学者の夫マイ
ケル・アリス、長男のアレキサンダー・アリス、次男のキム・アリスに囲まれ何
不自由ないアカデミックな生活を楽しんでいた。だから、スーチーはありふれた
家庭の主婦で、(ミャンマー)政治のことなど何も分かっていないという報道が
流れてくる。日本ではそのような情報が大好きでお得意だ。
父親アウンサン将軍が暗殺された7月19日の「独立の英雄殉難の日」には、スー
チーは毎年イギリスからヤンゴンに戻り、約一ヶ月ほど滞在した。学校が休みだ
と家族も帯同した。その間にも、著名な人物が母親のサロンに集結した。外国生
活が長いとはいえスーチーのビルマ語は流行語も吸収していったといわれている。
それだけではない。将軍の未亡人であるドー・キンチーのサロンには、アウンサ
ン将軍の旧部下、現役の将軍・大佐なども多数集まってきたので、ネウィン批判
も含めて、スーチーはミャンマーの現状を諜報機関なみに正確に把握していたと
いわれている。
女好きで有名なネウィンは女房を何度もとっかえひっかえした。そのネウィンも
何度目かの妻キティ・バタンを連れて一度だけドー・キンチーの招待に応じた。
その席にはスーチーと兄のアウンサンウーもいた。スーチーの記憶では、キティ・
バタンは少しばかり世間話をしたが、ネウィンは食べるだけで、一言も話をしな
かった。
シュエマンの著書について語るつもりだったが、細かい事実を検証するうちに、
他の書籍ピーター・ポパム著「アウンサンスーチー 愛と使命」宮下夏生他訳、
BBC製作のDVD“AUNG SAN SUU KYI ? LADY OF NO FEAR”や同じくBBC製作のDVD”
WHO REALLY KILLED AUNG SAN?”、その他関連資料を片っ端から閲覧している。
そのうちに本来の作業を忘れ、迷い道に紛れ込んだようだ。このメルマガのいい
加減なところである。
話を再度、シュエマンとスーチーの初出会いに戻したい。
2001年末、シュエマンはヤンゴンにあった国防省陸海空軍統合本部の総司令長官
に就任した。現在ミンアウンラインが掌握する三軍最高のポストである。そして
ネウィンの時代は去り、タンシュエが独裁者となっていた。
翌2002年1月29日、唯一の政権党であるSPDCのタンシュエ議長はインヤー道路14
番にある国軍本部のゲストハウスにスーチーを招待し、シュエマンはそこで初め
て、スーチーを自分の目で見て、声を聞き、話をする機会を得た。この時期、スー
チーは何度も自宅に拘禁され、釈放されるということを繰り返していた。この会
談はタンシュエとスーチーの一対一ではなく、軍部とNLD双方の要人も出席して
いた。
白黒写真三枚が添付されているが、当時の白黒写真であまり鮮明でない。真ん中
正面長椅子にタンシュエが座り、向かって右が軍事政権側、不鮮明で間違ってい
るかもしれないが、マウンエイ、キンニュン、シュエマン、ミエンスエ、そして
テインセインの順番だ。
NLD側はドー・アウンサンスーチー、ウ・アウンシュエ、トゥラ・ウ・ティンウー、
ウ・ルウィンとキャプションがついている。
初出会いと項目を設けながら、これ以上の細かい記述は無いので、当時軍事政権
側のシュエマンにとってスーチーの印象はそれほど深くなかったのであろう。
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04: 2015年8月12日真夜中のクーデター
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この本の最大のハイライトがこの事件である。クーデターで追放された将軍の言
葉だけに読者は興味津々である。読者はこれを読みたいがゆえに、この本を購入
したと言ってもオーバーではない。今回はこの事件を特集した。
軍事政権与党USDPを二つに分裂させた事件で、軍人として最高位にまで上り詰め
たシュエマンを大きく狂わし、彼自身の人生観をも変えた事件である。
状況説明すると、国会の議席は当時軍事政権が大半を占め、その与党USDPの党首
でしかも国会の下院議長の要職を務めていた。それがこのシュエマンである。シ
ュエマンは性格として多くは語らない。だが、国内外の記者会見では率直に自分
の考えを述べていた。年末に迫った国民総選挙では、自分は次期大統領になりた
いと。目標とする民主国家への考えはスーチーと同一であること。スーチーが現
憲法上大統領になれないのであれば、NLDと連携して、スーチーを副大統領ある
いは首相に任命して、国政をスーチーに任せても構わないとまで言い切っている。
このクーデターが発生するまで、シュエマンは自分がミャンマー連邦の次期大統
領になれると信じて疑っていなかった。
USDP上層部の頑迷固陋な保守派長老は、それを危険思想と判断し、国家転覆の謀
と見た。野党NLDは補欠選挙とはいえ、これまでも怒涛の勢いで議席の大半を奪っ
ていった。総選挙は間近に迫っている。前々回の国民総選挙、すなわち1990年の
悪夢が再び発生しかねない。USDP内部は待ったなしの恐怖感に包まれた。一刻の
猶予も無い。危険思想の改革派を党内から一掃する。軍隊そのものは動員しなかっ
たが、その傘下にある警察権力が動員された。それが、この8月12日真夜中のクー
デターである。
保守派長老に担ぎ出され、御輿に乗っかったのが、当時の大統領テインセインで
ある。この瞬間にテインセインは民主主義の救世主といわれたその名声、栄誉を
汚してしまった。一方、権力の頂点とも言える与党議長から蹴落とされたのがシ
ュエマンである。この二人は今でも犬猿の仲といわれている。
このニュースをキャッチすると、スーチーはすべてのスケジュールをキャンセル
し、シュエマンとは緊密に連絡を取っている。米国・英国の情報局は大使館を通
じてかなり正確な情報を掴んでいた。マスコミからリークされる情報で米国・英
国の凄さは垣間見ることが出来た。このシュエマン内幕モノを読むと、スーチー
もかなり正確な情報を掴み、天下分け目の奇策を準備していたことが分かる。日
本の外務省筋からは何も聞こえてこなかった。
このメルマガではNo.158およびNo.159でこの事件の速報を流した。それまでは、
テインセインの民主化改革はノーベル賞ものだと賞賛してきた。だが、特にスー
チーとタンシュエ巨頭会談のあと、テインセインは大統領とはいえ、最初から最
後までタンシュエの操り人形であったことが暴露された。それを確信すると、こ
のメルマガではテインセインの評価を180度転換しボロクソに書いた。その年の
年末だっただろうか、記憶は不確かだが、テインセインをいまだに高く評価する
日本の外交筋の意見にショックを受けた。欧米の情報とまったく反対の評価だっ
たからだ。
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05: それではシュエマンの見解を拝聴しよう
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この事件前に警告はあった。シュエマンへの弾劾運動、表立った批判、中傷、差
別的な動きなど党内の空気はエスカレートしていった。この事件直後、スーチー
はシュエマンを勇気付けてくれた。「冷静さを失わないように、決して衝動的行
動は取らないで!」と。「監獄であろうともシュエマンを訪ねますわ!」とまで
言ってくれた。
この一事からも読み取れるが、スーチーとシュエマンは同志のごとく結束は堅く、
スーチーの判断は的確で、与党USDPの中でも捨てるのは誰で拾うのは誰と、事後
を冷静に分析していた。
シュエマンは当日を振り返る。
問題の2015年8月12日朝、今年末の総選挙に予定されている党推薦の全立候補者
はUSDP本部に集められ、中央執行委員会のメンバーが相対していた。そしてUSDP
議長のシュエマンが全員にスピーチを行った。その後で、全員は昼食を共にした。
ここまでは不穏な動きは何も無かった。
まさに当日の夕方、早い時間帯だったと思う。特別警護隊が党本部の事務所を支
配下に置き、党本部のスタッフを一ヶ所に集め、拘禁した。それから党執行支部
と党本部の役員たちが党本部にやってきて、党議長と事務局長両方の執務室周辺
を詮索し、その後はそこに駐屯した。
その日夕方(13日?)の国営TVニュースは、(テインセイン)大統領が国家レベ
ル機関の上層メンバー数人の辞表を受理したと発表したと報じた。その後、党本
部にやってきたまったく同じ顔ぶれの役員が8月13日付で党の事務局長と中央執
行委員会のメンバーとして任命された。この同じ顔ぶれの役員は党本部で一晩過
ごし、暫くはそこに留まっていた。
次の日の朝(多分14日の?)、一通の封書がシュエマン公邸の玄関口に届けられ
た。そしてシュエマンがUSDP議長を解任され、副議長であったウ・テイウーが共
同議長(テインセインとの)として任命されたことを知った。
シュエマンが、当時もろもろのウワサが流され、状況は騒乱状態であったと記し
ている通り、当事者のシュエマンですら、当時は、現状を把握できていなかった
と思われる。シュエマンはわずか二ヵ月後に迫った総選挙が、予定通り、延期さ
れること無く、スムースに実施されるのを祈ったと書いているが、これは余裕が
出てきてからのセリフではないか。当時は、シュエマンといえども、精神的には
状況もつかめず気が動転していたのではなかろうか。
国会は2015年8月18日に再開された。ということは、クーデターはマスコミを含
めた動揺を最小限に抑えるために、国会休会中を狙って入念に仕組まれたことが
想像される。そしてシュエマンの国会議会の下院議長の地位はそのまま保全され
た。
クーデター側としても、悩んだことだろう。国会の下院議長の職務を剥奪するに
は議会の決議を必要とする。それを無視して追放すれば、ミャンマーが無法国家
になったと世界中から非難される。新生民主国家を装っていたが、軍事政権の本
性を暴露したと世界の物笑いの種となる。これまでの努力が水の泡である。
シュエマンの本には記載されていないが、多分スーチーとシュエマンは入念に打
ち合わせたのであろう。再開された国会の冒頭、シュエマンは下院議長として、
千両役者のスピーチを行った。
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06: 下院議長演説
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「USDP党内の問題が国会に持ち込まれないことを私は望む。そしてこの問題が、
さらに深刻化することは望まない。国の民主化移行がスムースに行われるため、
予定された総選挙が滞りなく実施されることを望む。名誉ある国民を代表する議
員お皆様に下院議長として、そして同時にUSDPの指導者として直接この問題に巻
き込まれた当事者として、お伝えしたい。国民のために国家として、国家の自信
を保持するために、法の実施を真剣に思考するときが今この時である。
この事件に関してはこれ以上の問題が拡大しないよう望みたい。国民の皆様に不
安な気持ちを抱かせず平穏な気持ちでいられるよう祈願したい。
名誉ある代議員を通じて関係する党の皆様に呼びかけたい。国家への忠誠を誓い、
自信と信頼する心を持って、法に基づく国家を築き上げてほしい。それは不可能
ではない」
その後の経過は、読者の皆様ご存知のように、総選挙ではNLDの圧勝。そしてスー
チーは宣言していた通り、大統領にはなれなかったが、現在大統領の上に君臨し
ている。
そしてシュエマンは、総選挙ではUSDPの推薦をもらえず落選。これまでエリート
街道を突っ走ってきた鼻っ柱の強い男が、人生で初の痛烈な挫折を味わった。下
院議長からただのヒトになったのである。
スーチーは失意の人シュエマンを泥沼から拾い上げ、法務関係および特別問題査
定委員会という膨大な権力を持つ新職を新設して、シュエマンを三顧の礼ももっ
て迎えた。前々回は米貨1ドルで引き受けたと書いたが、この本によれば一銭も
貰わない無給で、国家に奉仕するとの決意だそうだ。訂正しておきます。
スーチーがこの新職を設けた切っ掛けは、このクーデター事件後に再開された国
会での下院議長演説にあったことは、容易に想像できる。
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