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<ミャンマーで今、何が?> Vol.217
2017.5.29
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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■21世紀のパンロン会議
・01: 第2回ミャンマー連邦平和会議
・02: アウンサン将軍登場
・03: アウンサンの亡霊
・04:今日の続きは次回のメルマガで
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※お詫び
前回メールマガジンの冒頭部分のみが脱落しましたので、ここに再録します。
■アリガタイ今朝も生きている
「ヤンゴンに戻って一週間。
読者の皆様へお伝えすべきことを、言い残しの無いように、書き留めているつもりだが、もどかしいほどに遅筆である。これまでの勉強不足が災いしている。今頃にして「少年老い易く学成り難し・・」の真意(光陰矢の如し)を理解した、嘆かわしい。
神奈川に住む友人は、早速ヤンゴン在のスタッフ夫婦をお見舞いに寄越してくれた。そして一緒に撮った写真で、ワタシが思ったより元気なのを確認し、安心してくれた。
別の友人は、体調管理にと、ご自分が使用中の"脈拍数、血中酸素濃度測定器"を送ったとの知らせをくれた。今日明日にも到着とのことだったので、待ちに待ち23日(火)午後に確かに宅配便を受け取った。だが、実物は全くの新品だった。早速試してみた。脈拍が健康人より若干落ちるが、マアこんなものだろう。急階段の上り下りなど、今後徐々に試してみたい。
このように皆様の親身のご厚意には、本当に頭が下がる。ココロの借金は嵩むばかりです。順繰りとして、万分の一でもミャンマーの若者世代に返済できるよう、これからは無い知恵を働かせねば。
このような抹香臭い話は、今日を最後に、メルマガの本題に戻していきたい。」
-------------------【ここから Vol.217 本文】---------------------------
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01: 第2回ミャンマー連邦平和会議
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先週24日(水)から28日(日)までみっちり5日間、「連邦平和会議(第2回)」が、首都ネイピードで行われた。これには副題が付いていて「21世紀のパンロン会議」となっている。
ミャンマーの投資およびビジネスにしか興味のないマスコミには地味な話題なので、通り一遍の報道しかされていない。だが、ミャンマーにとっては非常に重要なポイントなので、今回はこの「連邦平和会議」を徹底的に分析してみたい。
では、第1回の会議はいつだったか、ご存知だろうか?
それは2011年8月18日にスタートした。
軍服を民族衣装に着替えたばかりのテインセイン大統領が、同じく新首都ネイピードで行ったのが第1回である。
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02: アウンサン将軍登場
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だが、ミャンマーは複雑な国家である。そして複雑な歴史が絡んでいる。
1947年1月ロンドン、アウンサン将軍(当時暫定首相)は1年以内にビルマを独立させるという確約を英国のアトリー首相から取り付けた。当時ビルマは山岳高原地帯(北)と低地ビルマ(南)に分かれており、老獪な英国は自分たちですら梃子ずった国内統一をビルマ独立の条件とした。
ロンドンからビルマに戻ったアウンサン将軍は、その足で山岳地帯に飛び、即座に行動を起こした。広大な山岳地帯をそれぞれに管理する藩王たち(インドのマハラジャに相当)はそれぞれに勝手な意見を述べる。それぞれの代表を南シャン州のパンロンに呼び集め、苦労して意見の統一を図った。地図を見ていただきたい。シャン州だけで北海道の約2倍の面積がある。
粘り強いアウンサン将軍は、このチャンスを逃すと英国からの独立は永遠にこないと、勝手な藩王たちを説き伏せた。それが歴史に刻まれた1947年1月12日のパンロン会議である。だが、アウンサン以下の閣僚は同年7月19日、総督府で独立憲法を起草中に、元首相ウ・ソウの手下に無惨にも暗殺された。独立6ヶ月前の事件である。そして、翌1948年1月4日にビルマ連邦共和国は独立した。
それだからこそ、アウンサンは「ビルマ独立の父」として国民に慕われるのである。スーチーの父親だからでは決してない。このパンロン会議の成功は、アウンサンがシャン族、カチン族、チン族など有力民族の自治、すなわち連邦制を約束したことにある。
「ビルマ独立の父」を喪失して以降、ビルマはダッチロールを開始する。
それが軍事クーデターで半世紀のみならず70年近くも続いたのは、皆さんご承知の通りである。
それを前政権時代(軍事政権)の方が新政権(スーチー政権)よりも、法手続きも書類審査も、はるかにスマートだったと政府関係者まで口にするから、日本は欧米人からバカにされるのである。
これまでにも、国内の和解がなければ真の平和は成し遂げられないと、軍事政権の時代から、その試みは何度も行われた。だが、基本的に軍事政権の戦術は、"チャンスがあれば武力で叩き潰す"である。この国が誇る軍備は、国内の反政府軍殲滅のためで、この国の領土を外敵から守るためではない。
北の国境山岳地帯はインパール作戦でも味わったジャングル内のゲリラ戦である。殲滅など到底できるものではない。ゲリラ戦法としては、中央政府軍の前線基地を襲っては国境の向こう側に逃げ込めば良い。ヒット&ランの要領である。中央政府軍の砲弾が一発でも飛び込んでくれば、泣く子も黙る中国人民解放軍あるいはインド国民軍の強烈なクレームが跳ね返ってくる。国境地帯ほど国際紛争に発展するセンシティブな地域はない。逆に国境の向こう側が、ミャンマーを食い物にしようと思えば、ゲリラをかくまい、武器を支援すれば良い。
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03: アウンサンの亡霊
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このような状況下で国内統一の和平交渉など土台無理な話である。
軍事政権も当初は、アウンサン将軍の栄光を笠に着て、和平交渉を何度か試みた。だが、その度に失敗した。というのも、"チャンスがあれば武力で叩き潰す"が本心であれば、反政府軍は決して信用などしない。だから、交渉の場所ですら国外のチェンライとか雲南とかが選ばれた。
1988年以降、スーチーの名声が高まってくると、軍事政権は今度はスーチーとダディの関係を断ち切る姑息な手段に出た。国民から独立の父と慕われたアウンサン将軍の名前と顔写真を消し去ろうとした。努力すればするほど、アウンサン将軍の名声は高まっていく。ミャンマーはアウンサン将軍抜きには考えられない国である。
そこで大方針転換したのが、テインセイン新政権である。あれは2011年であった。
ミャンマー国軍創立の功労者とはいえ、アウンサン将軍をお呼びするわけにはいかない。草葉の陰のお方だからだ。
そうなってくるとアウンサンの代わりが務まる方、それはスーチーしかいない。
何のことはない、軍事政権が自分たちの無能力さを曝け出した瞬間で、自分たちが最も毛嫌いした敵に塩を贈ったのである。アホらしいと思われるかもしれないが、テインセイン政権が思いがけなく急に民主化を唱えたのも、この線に沿って考えると分かりやすい。
もちろん、あのまま行けば、ミャンマーはすべての点で中国の属国になってしまう。アメリカをはじめとする欧米諸国からの締め付けはますます厳しくなっている。アセアン10カ国は仲良しクラブで、国際的孤立からの解消には役立たずである。日本は形だけの経済協力はしてくれるが、アメリカの顔色ばかり伺い、表立って頼りになる国ではない。北朝鮮だけが平等外交だが、武器の供与だけで、国際的な孤立化はミャンマーと同じだ。
そこで、スーチー抜きの国民総選挙、そして自宅監禁からの解放、そこで手のひらを返したように、一国の大統領が唯のオバサン(野党NLDの党首ではあった)をネイピードの大統領府に招待し、1時間以上の密談を交わした。信じられますか、一国の大統領がですよ。
それだけではない。
当時、下院議長のシュエマンまでもがスーチーを公邸に招き、次回の予備選挙では是非とも当選してほしい。そして、一緒に協力してこの国を民主化しようと歯の浮くようなセリフを口走っています。日本の衆議院議長に当たる人物が国会議員でもない唯のオバサンにラブコールしたわけです。信じられますか?
これらすべての道は、「連邦平和会議(第2回)」副題「21世紀のパンロン会議」に通じるのである。
中央政府に楯つく、特に中央政府軍に反抗する、武装反政府軍は皆、中央政府を徹底的に信用していない。民族服に着替えたとはいえ、テインセイン政権を軍事政権の代表とみなしていた。だから、いくら猫なで声で和平交渉と言っても、彼らは半信半疑であった。
だが、次に国民総選挙によって政権を握ったスーチーがミャンマー中央政府の代表として登場すれば、話はまったく別である。これはほんの一年前、2016年4月以降の話である。
当初、テインセインたちは「パンロン会議」という言葉を使用することを渋った。アウンサン将軍のカリスマ性が蘇るからだ。だが、スーチーは「21世紀のパンロン会議」という副題をジワジワと承諾させてしまった。
今回の和平会議に参加した、あるいは参加を留保した反乱軍代表たちも、スーチーの背中にアウンサンの亡霊を見て取っている。彼らのコメントにそれが現れれている。それを最も鮮明に見ているのが、今でもミャンマー国軍を掌握している軍の代表であると、当研究所は分析している。
繰り返すが、ティンチョウ内閣は軍関係の3省は未だもって掌握していない。国境地帯でドンパチが発生しても、それは中央政府軍が大統領の了解も得ずに勝手に戦闘状態に入っているのである。
さはさりながら、スーチーの凄いところは、それらの戦闘行為を内外のマスコミを通じて、隠さずに発表させていることにある。
スーチーのトランスペアレンシー(透明性)という言葉は、ミンアウンライン上級最高司令官にまで浸透させてしまった。
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04: 今日の続きは次回のメルマガで
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昨日28日(日)が、「連邦平和会議(第2回)」副題「21世紀のパンロン会議」の最終日となっている。今朝29日(月)の新聞でその総括ができる。
あと数日間、お時間をいただきたい。
全体像が見えてきたら分析した上で、メルマガ次号をお届けしたい。
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東西南北研究所
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