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<ミャンマーで今、何が?> Vol.195
2016.05.25

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■満月に想う

 ・01:雨で一息

 ・02:東西南北研究所の資料室

 ・03:ミャンマー暦の満月“カソンの日”

 ・04:ご近所さんは、友達orインフォーマント?

 ・05:宗教談義

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01:雨で一息

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次回メルマガは、雨が降ったらと書いてしまった。

思いがけずも、19日(木)より、このヤンゴンでも雨が降り始めた。最初は遠くで雷が、そして驟雨がやってきた。そのうちにトタン屋根を激しく叩き、本降りとなった。それが4日、5日と続いている。朝も昼も晩もなく、途切れ途切れに、やってくる。外では青年たちが、ずぶ濡れでサッカーを楽しんでいる。ボールが水の上を滑走する。この国の自然は極端から極端へと移りゆく。

スリランカ沖合いに発達した渦巻きが、低気圧となり、ベンガル湾を北東に横断し、バングラデシュに上陸するころサイクロン(台風)となっていた。その影響は渦巻き周辺のヤンゴンにまで大雨をもたらした。ヤンゴン近辺では慈雨だが、ラカイン州・チン州では暴風雨、山崩れ、洪水の危険があると警戒警報が発令された。

いまの民主化と同じで、すべてを満足させるものなど、この世にないのかもしれない。甲の薬は乙の毒になる。

気温40度続きで、思考が停止した身には、西側の窓を叩く雨の音が心地よい。身勝手なものだ。バングラを含めた、ミャンマー西北部地方の無事を祈りたい。



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02:東西南北研究所の資料室

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猛暑続きの中、友人が結婚記念日の名目で、夕方からパーティーを開いた。地元の人たちも、この暑さには参っているようで、酒の進み具合、話題、そして歌声も、いまひとつであった。

帰りに友人が、アナタなら読めるだろうと、重たそうなビニール袋を持たせてくれた。中には二十冊か、三十冊、虫食いも含めて本がびっしり入っている。20数年前に日本の土木関連会社がヤンゴン事務所を引揚げた。その際、彼の自由裁量に託したという。

気温が下がり、液状化現象を起こしていた脳みそが、少しは作動し始めた。床に座り込んで、このビニール袋を開けてみた。遠藤周作の「王国への道」(山田長政)、立原正秋「帰路」、前川健一「バンコクの匂い」、大田周二「パゴダの国のサムライたち」、陳舜臣「弥縫録」、「朝日新聞の漢字用語辞典」、分厚い「建築大辞典」など、まだまだある。イメルダ夫人の貧乏時代をドキュメントした伝記もあった。これらすべてが、不毛の脳みそに刺激を与えてくれた。ワタシにとっての慈雨だ。

この四・五日間、夢中になり、朝昼晩、これらに読み耽った。停電になるとベッドで休息し、電気が戻ると、のっそりと胡坐をかき、また熱中した。雨の音が心地よい。駿河の人・山田長政は、山岡荘八も和久峻三も書いたが、遠藤周作にとっても、魅力的な人物だったのだろう。

東西南北研究所の資料棚は、こういう善意の貝塚となっている。実にありがたい。面白かったと、置いていってくれる友人もいるし、日本へ引揚げると、興味ある資料やCDを残してくれる友人もいる。それらが「ミャンマーでいま、何が?」のデータベースとなっている。自称シンクタンクの礎石はこの貝塚でもある。実にありがたい。



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03:ミャンマー暦の満月“カソンの日”

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最近ヤンゴンに事務所を構え、毎月約2週間、当地で過ごす友人がいる。友人が帰国する間際、大家さんから5月21日(土)に招待すると声を掛けられた。必ず来るようにと念を押された。ご近所さんなので、友人の名代として訪ねた。大家さんとは、7階ほどあるビルの女性オーナーである。自宅前にテントを張り、雨にも強烈紫外線にも対策は万全である。

すでに何組かの先客がテーブルに着き、朝食の供応に預かっている。この町内会の親分が大政を連れて、最後のアイスクリームを味わっていた。顔なじみなので、声をかけられ隣に座った。家の中はすぐにリビングで、大きな仏壇が輝いている。夫婦で、親子で、あるいは祖父母を伴って、入れ替わり立ち替わり来客がやってくる。みな、この仏壇に三拝叩頭して、それから朝食をいただく。

招かれた母親も子供も、よそ行きで着飾っている。この日は仏教徒にとって非常に重要な、ミャンマー暦二番目の満月“カソンの日”である。

2500年以上も昔の話である。三番目の“ブッダ”であるディーパンカラは、ある予言をした。「メーガという名前のこの青年は、多くの修行を続け、命がけで人々のために尽くし、欲望を棄てて、慈悲深い行いをしてきた。だから、これからあと長い間かかるが、やがて“ブッダ”となって、“釈迦牟尼”(しゃかむに)とよばれるであろう。」(岩波ジュニア新書「ブッダ物語」中村元・田辺和子著)

すなわち、四番目の“ブッダ”の出現を予言した日が今日の“カソンの日”で、満月の日であったといわれる。

宗教観が希薄になった日本人にとり、仏教の話はややこしい。それは、この四番目の“ブッダ”が開祖となり、身近なようだが遠くインドの地で発祥したからだ。唐の時代の玄奘が天山南路からインドに入り、ナーランダー寺で学び、645年大量の仏典を苦労して長安に持ち帰った。そして玄奘は、元々はインとの言葉(パーリー語、サンスクリット語など)で書かれたそれら大量の仏典を、ひとつひとつ中国語に翻訳していった。それが中国・韓国・日本に伝播した北伝仏教(マハーヤナ)の一派である。それらにはインドの言語が多数音訳されて中国語の経典となっている。日本人はその中国語を日本語で発音し解釈するので、さらに複雑になってくる。

ミャンマーでは、アショカ王以降、インドからパーリ語によるダイレクト便で伝播されたので、スリランカ・タイ・カンボジア同様に南伝仏教(テーラバーダ)と呼ばれる。同じルーツの仏教ではあるが、北伝と南伝では大きく異なる。

中国経由のブッダは漢字で仏陀と書かれ、一代限りではない。この仏陀の前に何代もの仏陀が世に現れた。そして、メーガ青年もその後動物や人間などに何度も生まれ変わり、最後はインドの一部族・シャカ族に生まれ変わる。釈迦牟尼とはシャカ族の聖者という意味だ。

インドの大国マガダ国の首都はラージャガハ(王舎城)と呼ばれていた。その若き王子ゴータマ・シッダールタが、生老病死の四苦を見聞し、29歳のとき、何一つ不自由しない王家の栄華と家族を棄て、出家した。王舎城を離れた王子は西南に向かいネーランジャラー河近くのセーナ村の苦行林で、命がけの荒行を続けた。6年間ののち、苦行では解脱を得られぬと、苦行を放棄した。

ネーランジャラー河で心身を洗い清めたが、痩せ衰えた骨と皮の身には衰弱が激しい。岸に上がるにも川の流れに難儀した。

岸辺にはスジャータという名前の村の娘が長いこと待っていた。用意してきた滋養に富むミルク粥を黙って差し出す。王子はひと息に飲み干すと、飢えと渇きで困憊していた身体に活力が戻り、顔に赤みがさしてきた。

ゆっくりと西の岸にのぼり、王子は、岸辺に立つアシヴァッタという一本の大きな樹の下に立ち、土地の農夫から柔らかい干草を貰い、その上に結跏趺坐し、静かに瞑想に入っていった。

瞑想している王子の心に、欲望・嫌悪・飢え・妄執・怠惰・睡魔・恐怖・疑惑などに身を変え
た悪魔が、次から次に襲ってきた。あるときは女性の姿で誘惑し、あるときは父王に姿を変えて泣き落としで襲った。王子は自己自身とのすさまじい戦いを行ったと仏典は伝える。

すべてに打ち勝ち、精神はますます不動となり、世俗的な思いから心が離れ、王子の心は統一され、瞑想から来る喜びの瞑想に入っていった。

その翌朝、頭上に宵の明星が輝きをますころ、ゴータマ・シッダールタは悟りを開いた。覚者となったのである。それが“ブッダ”である。のちにこの場所はブッダガヤー、アシヴァッタの樹はボダイジュ(菩提樹=悟りの樹)と呼ばれるようになった。

欧米人は菩提樹をバニアン・ツリーとも呼ぶが、マハ・ボディ・ツリーとも呼ぶ。インドでは古代から聖樹とされ、ヴェーダの古歌のなかでも、神々の住むところ、不死を観察する場所とされている。見上げるような樹冠が広がり涼しげな陰影を周辺に作り、気根が太くなり、何本も絡み合って幹を支え、不思議な霊樹と考えられてきた。ブッダの死後100年、インドを統一し、国土を拡大させたアショカ王もこの菩提樹を参拝して供養し、ここに記念の塔を建てたと伝えられる。

仏典によれば、ブッダは菩提樹の下で7日間瞑想を続け、さらにアジャパーラ榕樹(ガジュマル)の下で7日間、さらに別の樹の下で7日間座ったという。

だから、ミャンマーでは、この“カソンの満月の日”に、大勢の老若・善男善女がシュエダゴン・パゴダなどに参拝し、お釈迦様を偲び、菩提樹の木の根元に水をたっぷりと注ぐ。欧米では、教会に顔を出す若者は年々減っているという。だが、ミャンマーでは仏教の伝統が脈々と生きている。

このビルのオーナーの女主人も、この吉日に、大盤振るまいのお布施で、在家信者としての功徳を積もうとしている。見返りを求めずに、ひたすらに喜捨する。



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04:ご近所さんは、友達orインフォーマント?

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この“カソンの日”に大きな拾い物をした。同じ町内なので、かなりの顔見知りがいた。みな着飾り、家族連れである。そして同伴者を正式に紹介してくれた。その点では、日本人よりも、社交的かもしれない。妻だとか、夫だとか、兄弟姉妹だとか、挨拶された。

これまでは、点だけだった付き合いが、この日から線となって繋がった。そうか兄弟だったのかと、合点がいく。道理で顔が似ている。会社だけの付き合いだと、こうはいかない。地域に溶け込み、そして家庭付き合いができると、ネットワークに幅が出てくる。

大家さんから、日本語の出来る何人かも紹介してもらった。隠れ日本帰りが結構潜んでいるのにビックリした。滞在一年はザラ、現在も、日本で働いているという。オーストラリア帰りもいた。運命とはいえ、ミャンマー人は、かなりダイナミックだ。

ミャンマーに長居して、気をつけていることがある。どの州のどの町の出身で、民族と宗教は何かという点だ。136の民族で構成されているからだ。できれば、家族構成と、両親を含めて、さりげなく、相手に警戒心を抱かせずに、ソフトに聞き出すのだ。そうすれば、ミャンマー学がさらに深くなる。こちとらは常にレクチャーを受ける学徒である。

長年ご無沙汰だった英語学校の女性校長先生にビックリ。改めてお互いの消息を話し合った。昔の友人のウワサ話も教えてもらった。プロフェッサーとしての彼女のネットワークはかなり広い。

立て込んできたので、カチン州ミッチーナ出身の友人に誘われ、場所を移した。大家さんと顔見知りに挨拶したうえで失礼した。

カチン州はクリスチャンが多いと友人はいう。それでは、アナタはと問うと、本人は口ごもった。このあたりがミャンマー学の面白いところだ。時折見かけるのが、異教徒同士の結婚だ。本人たちがそうであるときも、両親がそうであるときもある。このあたりの綾を知らずに付き合うかぎり、ミャンマーは見えてこない。

面白いことに、翌日町内で、その何人かに出会った。より親しくなったような気がする。彼ら自身は気がついていないが、そのうちの何人かは将来、東西南北研究所の有能な諜報部員になるはずだ。



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05:宗教談義

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モノを壊したとき、日本人は“お釈迦”になったという。クリスチャンは聖母マリアをもちだして、“オー、サンタ・マリ〜ア!”という。偶然とはいえ、面白い。

お釈迦様の母親は摩耶(マヤ)夫人といい、父親は浄飯(スッドーダナ)王という。ここまでは正直でよろしい。摩耶夫人はある夜更け、白象が天から降りてきて自分のお腹に入る夢を見た、そこで懐妊した。出産のため実家へ帰る途中、摩耶夫人の一行は、ルンビニーの花園に立ち寄った。バンコクの同名の公園は、これを模したものだ。木の枝を取ろうと右手を伸ばし、木の枝に触れた瞬間、摩耶夫人の右腕の付け根から男の子が生まれ、幼児は七歩歩き、右手を上に挙げ、左手を下に指し、「天上天下、唯我独尊」と大声を放った。今の情報過多でおませな子供たちは、これをどう解釈するのだろう。

山形県西部にも同名の山はあるが、神戸港を見下す摩耶山は、山上に摩耶夫人をまつる(※1)とう利天上寺から命名された。

(※1)とう=りっしんべん+刀

欧米のユダヤ教・キリスト教は、イエスの母親は処女懐妊であったとバイフルに記す。織田信長や豊臣秀吉は笑い飛ばしたが、日本より先行する欧米の良い子たちは、これをどう解釈するのだろう。シンクタンクの資料によれば、当時ベツレヘムはローマ兵に略奪されたとある。もちろん若き女性たちもだ。そして、懐妊の責任をとるべきローマ兵の名前も判明している。だが、このメルマガは宗教戦争を引起す意図など毛頭ない。このあたりにしておこう。

ミャンマーでは12ヶ月あるミャンマー暦の中で、満月の日を特別な日としてとらえる。それはゴータマ・ブッダの出現が予言された日であること。ルンビニー花園における偉大なブッダの誕生日であること。ブッダが聖なる菩提樹の下で悟りを開いた日でもあること。そして、クシナーラーの二本のサーラの樹(沙羅双樹)の間で、頭を北に向け横臥し、右脇を下にして足の上に足を重ね、釈迦が寂滅した日であること。これらがすべて満月の日に起こったと仏典は伝える。

そしていま、宗教を信じる世界の多くの人たちが両極端に走っている。そのなかで、仏陀は“中道”を守れと説いた。ミャンマーはいまもそれを忠実に守っている。だが、なかには極端に走ろうとする人も出てきた。それを民主化と履き違えている人たちもいる。アナタはどう判断しますか?

 



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