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<ミャンマーで今、何が?> Vol.187
2016.03.23
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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■恐れを知らぬレディー
・01:“明日ありと思う心のアダ桜・・
・02:新副大統領ミエンスエの続き・・・
・03:DVD“オスカー”から“恐れを知らぬレディー”まで
・04:“恐れを知らぬレディー”
・05:今日の続きは、また来週に!
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01:“明日ありと思う心のアダ桜・・
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・・夜半に嵐の吹かぬものかは“と続くわけだが、先週から、自分自身のメールアドレスに接続できなくなり、パニック状態に陥った。多数のメルアドを含め、貴重な過去の通信記録すべてを失った。
ついつい安易な手抜き作業に流れ、基本を疎かにした罰である。大いに反省している。阪神大震災、バンダアチェのインド洋ツナミ、ナーギス台風など忘れてはいけない。寺田寅彦ではないが、天災は確かに忘れたころにやってくる。そして、永続するものなぞ、この世に何ひとつ存在しない。大事のみならず、停電という小事もここヤンゴンでは頻発する。
ヤンゴン老舗の日本料理店の女将が帰国し、日本語学校の名物校長も日本へ帰国すると、風のウワサに聞いた。その方面に詳しい友人から、新開店の日本レストラン、そして閉店した・するという日本料理屋の変遷もいくつか教えてもらった。
このヤンゴンに長いこと居候して、政権の動きとはまったく別に、感無量の想いが頭をよぎる。そういう歳廻りなのかもしれない。
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02:新副大統領ミエンスエの続き・・・
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先週はパニック状態で、メルマガも尻切れトンボで終わった。お詫びしたい。今週号は、ミエンスエのデータをさらに検証するところから、話を再開する。
書き忘れたが、ミエンスエはいまだもって、米国財務省の指定する経済制裁のブラックリストに掲載されている。米国国籍の市民および会社は、同人と商取引をしてはならないという強制力のあるお達しである。
ミエンスエが新副大統領に選抜された時点で、米国財務省の広報官は、ミエンスエは今でもブラックリストの対象であると証言した。
米国財務省のブラックリストといっても、彼らのヤルことにはいい加減なところがある。ミエンスエ以上にミャンマーの最重要人物として注目されていたアジアワールド企業家軍団のオーナー・羅平忠(スチーブン・ロー)を、総選挙直後の2015年12月にブラックリストから外したからだ。
同人物は2013年7月6日に死去した麻薬王ローシンハン(羅星漢)の息子で、ミャンマー・中国間のオイル・ガス計画、チャオピュー深海港、再開がウワサされるミッゾンダム水力発電、アジアワールド港湾ターミナル、新空港運営、など巨大プロジェクトに深く関与している。テインセイン大統領が5年前に就任し、初の海外旅行に中国を選んだとき、大統領に同行して中国の政界・人民解放軍・経済界の大物トップを紹介している。
オバマ政権は同人物および関連グループにはマネー・ロンダリングなどダークな大疑惑があるとして、特に厳しい制裁を加えていた。だが、スーチーNLD野党が昨年11月8日の総選挙を制圧すると、手のひらを返して、スーチー新政権の経済発展に支障があってはならないと、国務省は議会工作を行い、このスチーブン・ローの制裁解除をあっという間に決定した。すなわち、米国お得意のダブル・スタンダード(二枚腰?)なのである。
いまスチーブン・ロー(ビルマ名はトゥンミエンナイン)の経営するアジアワールド港湾ターミナルには貨物を満載した貨物船がひっきりなしに出入りしている。
読者の一人からお便りをいただいた。ヤンゴン川に佇み眺めていたが、商品が巷に溢れているのに、コンテナ船などの動きはまったくなかったとの感想である。
海運業の常識では、日出後一時間、そして日没前一時間が入船・出船のラッシュアワーである。この時間帯に水先案内人が貨物船に乗船し、このコンテナターミナルからの出船・入船をパイロットしてくれる。
高額の用船料を支払う海運会社にとり、タイム・イズ・マネーは命である。日没前の夕方ギリギリに着岸させ、オーバータイムの夜荷役を支払っても、早朝には荷役を完了させ、出港して行く。したがって、ランチを食い・ビールを飲みながら、ヤンゴン川を見渡しても、蕪村の句ではないが、この時間帯は“終日(ひねもす)のたりかな”なのである。話が脱線した。元に戻そう。
巷では、マスコミを含めてミエンスエは軍部の最強硬派だと批難の声が大きい。だが、東西南北研究所の見方は違う。過去はそうかもしれない。だが、民主化への大きな激変の中で、軍部強硬派を抑え切れるのはミンアウンライン最高司令官ではなく、ひょっとしてミエンスエ新副大統領かもしれないという可能性が芽生えてきた。読者の皆さんは、どう考えられるであろう。
軍が発表する情報に透明性はなかった。ならば、副大統領就任後の彼の発言・行動を見聞きしてから、人物判断を下しても遅くはないのではというのがワレワレの見方である。老獪な政治家であるスーチーも多分、ミエンスエは両刃の剣で、両方に使えると見ているのではないだろうか。だから、ミエンスエが軍部から指名されたとき、スーチーはNLD首脳会議で同人物を受け入れ、反対意見をマスコミに漏らさないよう厳重に申し渡している。
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03:DVD“オスカー”から“恐れを知らぬレディー”まで
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いま、スーチーを老獪なと書いた。そこで、もうひとりの副大統領ヘンリー・バン・ティオに話を進める前にチョット寄り道をしたい。
ここはヤンゴンの下街である。イギリス・オックスブリッジの図書館にも、米国東部大学にも、筑波学園都市にも負けない、凝縮された知識の情報が堂々と路上で超安値で陳列されている。ゲームや韓流モノやポルノだけを求める人には見えないお宝がそこにはある。信じられないほどの掘り出し物がアル。ただし、一軒・二軒漁っても見つからない、三軒・四軒と根気よく粘ることだ。
2016年2月28日にハリウッドのドルビー劇場で恒例のアカデミー授賞式が行われた。ことしの第88回オスカー授賞式は紛糾した。合計24部門でひとりの黒人もノミネートされなかったからだ。だから、今回はウィル・スミスなど才能ある数多くの黒人タレントが、白人だけのお祭り騒ぎには参加しないとボイコットした。
その小事件に歓心があったので、路上のCD/DVD屋さんを通るたびに覗いていた。ところが、驚いたことに、2月28日の実況中継から2週間も経たないうちにこのDVDをここヤンゴンでゲットできた。黒人俳優クリス・ロックの司会、コメントもアメリカの抱える問題を浮き彫りにするもので、実におもしろかったが、これは機会があれば、いつかということにしよう。
ついでといっては失礼だが、思いがけずも“アウンサンスーチー 恐れを知らぬレディー”という赤と黒字のタイトルが目に入った。ノンポリ・メルマガとしては政治問題には興味ない。だが、ミャンマーに関する英語情報は見逃さないように務めている。
なんといっても話題の人であり、当研究所のデータベースとして貴重な資料となる。第88回オスカー授賞式を堪能したあとで、この“恐れを知らぬレディー”を鑑賞してみた。思わず引き込まれてしまった。これこそ大当たりのお宝DVDであった。これ一本に、どうしてスーチーが世界の注目を集めているかが、要領よくまとめてある。
東京の友人に確認すると、この二枚のDVDはまだ入手できないという。だから、日本は遅れているのである。ヤンゴンに住んでいる日本人も、ヤンゴンは楽しみが少ないと嘆く。冗談じゃない。ハリウッド映画は日本での封切り前に楽しめるし、オスカー授賞式は平均2週間後には毎年ここヤンゴンで楽しめる。
ヤンゴンは世界最先端の情報と直結しているのである。和式居酒屋で日本人同士で情報交換しても日本の新聞にすでに書かれた、誰でも知っている、オールド情報をたらい回ししているだけである。
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04:“恐れを知らぬレディー”
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回転する地球の後ろから出てくるテロップ“this world”で番組ははじまった。“この現実世界”とでも訳そうか。
2012年6月16日、ノルウェー国王夫妻が列席したノーベル平和賞授賞式に、スーチーが全員のスタンディング・オベイションで迎え入れられる感激的シーンでスタートし、約一時間番組の終了もスーチーの受賞スピーチで終わる。
主タイトルは「アウンサンスーチー その選択」となっており、チベット学者マイケル・アリスと結婚し、オクスフォードの学園都市で二人の息子を得て、平凡に暮らしていた主婦スーチーに、ヤンゴンの叔母から運命の電話が入る。スーチーの母親ドー・キンチーが脳卒中で倒れたという。これがスーチーの人生を大きく狂わせ、スーチーに非情な選択を迫ることになるのだが・・・。
最後はBBC&HBOドキュメンタリー・フィルムのクレディットで終わる。
このように充実した内容のドキュメンタリー製作は日本のメディアの現在の能力では多分不可能ではなかろうか。
というのも、スーチー自身はもちろん、夫と息子たち、スーチーのオクスフォード時代からの歴史学者・アジア問題専門家などの友人、元駐緬英国大使、ヒラリー・クリントン元米国国務長官、スーチーの取り巻きともいえる自宅軟禁中の家政婦、ボディーガードおよび運転手、当時のティンウーNLD議長、学生運動家、その他大勢のその時を目撃した証人たちに直接インタビューし、問題のその時を生々しく語ってもらっているからだ。
このドキュメンタリーを何度もチェックしていると、2016年の今、表面的にはミャンマーが大きく変化しているように見える。だが、もっともっと、大きく変化し、今もその変化を精力的に続けているのは、アウンサンスーチー彼女自身ではなかろうかと、思えてならない。
このドキュメンタリーから真摯に学べば、オックスフォードにおける平凡な主婦であったスーチーが、ヤンゴンの総合病院の母親の病床に駆けつけると、そこには、本来外敵に向けるべき国防軍の銃口は、狂暴としか思えないネウィン最高司令官の指示で、反政府を唱える学生および僧侶たちに照準を当て、実際に発砲した。何千人というデモ参加者が路上で虐殺され、何千人という負傷者たちが監獄にぶち込まれていった。
スーチーは総合病院でその事実を目の当たりにし、母親のこれまでの厳しい躾もあり、自分の体内に流れる英雄アウンサンの血を蘇らせたのかもしれない。夫婦間のそして親子の愛情を大げさに表現する欧米のマイホーム主義はスーチーを非情な冷たい女と見る。だが、スーチーは民衆がそう望むのであれば、自分は常に国民とともにいたいと固い決心をする。
スーチーには長兄アウンサンウーのように、ロンドンで学び、要領よく米国でさっさと就職し、ビルマの市民権を放棄し、米国の市民権を取得するという、それに近い選択肢はいくつもあった。
だが、スーチーは父親と母親の独特の資質を受け継いでいた。この『選択』の陰には、愛する二人の息子と夫からの隔絶という運命が待っていた。その当時のことを笑顔で誤魔化すように語るスーチーの目がほんのりと赤みを帯び一瞬光る。鉄の女と化したスーチーは、自分の弱みを悟られると、軍事政府がそれにつけこむことも十分に計算している。だから決して涙は流さない。だが、このドキュメンタリーはその瞬間をとらえている。
スーチーは1947年、2歳のときに、父親アウンサンを暗殺で失い、1988年12月末には、ビルマで民主化の嵐が吹き荒れる中、母親を失った。そして、前立腺ガンと診断された夫のマイケル・アリスをも1999年再会叶わぬまま失ってしまう。
亡くなる前、軍事政権はマイケルと子供たちの入国ビザを無情にも拒否した。スーチーが良妻であるのなら、オマエが夫の病床に駆けつけるべきだと仕向けた。一旦ビルマを離れると、軍事政府は再入国を阻止すると、スーチーもマイケルも同じ考えで、スーチーはビルマを離れるべきではないと意見は一致していた。軍事政権は非情な心理戦に持ち込んだのである。
このドキュメンタリーでは、スーチーは平静さを装う笑顔でその当時を語ろうと務めている。このようにスーチーが語る実に痛々しい決断の場面がいくつか出てくる。
その一方で、古いニュース・フィルムも多数使われている。問題の1988年、街頭を占拠して盛り上がる反政府学生・僧侶のデモに対して、ネウィンが空砲を空に向けて発するのではなく、これからは直接デモ隊に向けて実弾を発砲すると脅した有名な実況演説もでてくる。
そして1994年9月には、タンシュエとキンニュンが鮮やかなピンクの衣服を着たスーチーと5年ぶりに会見した。当時の情報担当少佐が語っている。「タンシュエとキンニュンは、スーチーは扱いやすい女ではないと、会見後語った」と証言した。二人はスーチーと交渉できる能力を保有していなかっとの字幕がでる。
この場面はビデオだけで、三人の音声はまったく聞こえてこない。この字幕と雰囲気からすると、寸鉄人を刺す雄弁なスーチーに対して、何を喋ったらよいか戸惑う顔つきのタンシュエと、ただニヤケたキンニュンがお互い離れて着席するシーンで、何の意図があってこのフィルムを軍事政権側が撮影し、流したのか、その意図が見えてこない。
そして、1991年12月10日の、オスロにおけるノーベル平和賞代理授賞式の場面も流される。出席できないスーチーに代わり、長男アレクサンダー(当時18歳)が受賞スピーチを行った。父親マイケルが原稿を用意したが、アレクサンダーは全面的に書き換え自分の言葉で語ったという。母親が下した選択に家族全員が理解を示していること、そして母親の戦いが魂の戦いであることを理解すべきだと語っている。
横で、父親のマイケルと末っ子キム(当時14歳)が見守る。この感動的なスピーチは出席者全員が立ち上がり、贈った大きな拍手は実況中継で世界中を駆け巡った。
スーチーには、軍事政権が巧妙に仕掛けたとおり、明日にでも、ビルマを出立する自由はあった。だが、スーチーはそれをしなかった。いつでもそれはできたのである。だが、心を鬼にして、いや鬼となって、民衆とともに残る道を選択した。
テインセインの新政権誕生後、2012年1月23日、スーチーはイラワジ地区の選挙キャンペーンにNLD党員とキャラバンを組み出かけた。48議席を争う同年4月1日の補欠選挙に参加するためである。車列が行軍を続けると、行くところどこでも車が身動きできなくなるほどの村人たちが集まってきた。2月17日には、飛行機で中部ビルマへの選挙運動行脚を行った。各集会場では、隣村を含めて付近の全員がというほどの人数を集めた。
スーチー人気に驚いた政府は、国境地域の幾つかの選挙区は、不安定な状況にあるとして、選挙対象からはずした。スーチー人気が大きい地区か、軍事政権に反抗的な地区を外したのである。巧妙な軍部の意図を疑った報道はいくつかある。選挙結果は野党NLDの圧勝であった。だが、スーチー自身の勝利を含めて獲得したのは43議席にしかならない。
このスーチーの全国行脚のみならず、その圧倒的なスーチー人気は、昨年11月8日の総選挙を見ても分かるとおり、国民一般は軍事政権に対して常に“ノー”を突きつけ、民主政党NLDの登場を心の底から待ち望んでいたのである。
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05:今日の続きは、また来週に!
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スーチーは自宅軟禁中、毎日瞑想し(これは今も続いているそうだ)、一日6時間BBCのビルマ語放送を欠かさずに聴き、多くの書物を読破したという。そして休暇で訪れた、次男のキム・アリスからは36歳で亡くなった伝説的なレゲエ歌手、ボブ・マレー、の“GET UP STAND UP”を教えてもらう。“権利のために、起ち上がれ”と魂が麻痺するようなリズムだ。
ミャンマー人のメンタリティは、大統領選挙をお祭りとして楽しむアメリカ人とは異なる。お互いにヘイト・スピーチを楽しむ日・中・韓とも違う。彼らはもっとしっかり、海外の政治家、投資家、ビジネスマン、旅行者を見ている。
と、ここまで書いたところで、今回も予定紙数を越えてしまった。そして肝心の、ヘンリーバンティオ新副大統領にまで行きつかなかった。無責任なメルマガである。
だが、新大統領就任式まで、まだ少し時間がある。続きは次回にしたい。
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