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<ミャンマーで今、何が?> Vol.163
2015.09.30

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■米国大統領とミャンマー

 ・01:先週は失礼しました

 ・02:戦後のスーパーパワーは英国から米国へ

 ・03:第18代米国大統領

 ・04:第31代米国大統領

 ・05:第37代米国大統領

 ・06:第44代米国大統領

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01:先週は失礼しました

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現在パソコンがかなりヤバイ状況となっている。時に制御できなくなり、クリックしようにもポインターが動かず、その時はサドンデスと、諦めざるをえない。西暦2000年に持ち込んだソニーのカメラ付きバイオを初代として、歴代の東芝ダイナブック3台、そしてIBM、DELL、現在のlenovoと、デジカメを含めた精密機械にとってはヤンゴンはかなり厳しい環境のようだ。ということで、前週のメルマガNo.163の原稿記事は行方不明となり、欠番扱いとさせてもらった。No.164は新たに別の方向に書き改めようとしている。不都合をお詫び申し上げます。



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02:戦後のスーパーパワーは英国から米国へ

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植民地時代のビルマは完全に英国に牛耳られていた。第二次世界大戦後は冷戦を経て、米国が世界の軍事・経済・政治を制御するようになった。ともに白人国家だが、経済力で英国は没落し、経済力で米国が世界を制覇していく。多くの独立新興国は君主制を嫌い、社会主義あるいは共産主義を理想としたが、そこには理想の実現以前に、権力闘争が内部で起こり、軍事政権が国内を掌握し、不慣れな行政機構を担当していく。

第二次世界大戦の戦犯と目された日本とドイツが、戦後は軍事力という牙を抜かれ、皮肉なことに米国の庇護下で着々と経済大国にのし上がっていった。だが、ドイツはソビエトの介入で、祖国を西ドイツと東ドイツに分断された。日本は幸運にも北海道をソビエトに占拠されることなく、北の朝鮮と南の韓国という隣の分断国家を犠牲として、マッカーサーによる米国一国の支配下に委ねられた。

英国および日本と深く関係してきたビルマも、戦後ビルマ型社会主義を模索したが、軍事政権から脱皮できずに、経済的にはこの国の建て直しにすべて失敗した。西欧社会に鎖国を続けたビルマはすべてに隣の大国・中国に依存するようになっていた。気がついたら、軍事的にも、経済的にも、なにからなにまで中国の属国に成り下がっていた。

気がつくのがあまりにも遅すぎ、あまりにも多くの犠牲を支払ったが、ビルマが最終的に活路を求めたのが、戦後のスーパーパワー国・米国であった。米国もそのシグナルを見逃しはしなかった。慎重に中国を警戒しながら水面下でビルマと接触をはじめ、両国は急接近を図っていった。このあたりの経緯は何度か取上げたので、メルマガのバックナンバーを参照していただきたい。「ミャンマーがどうして今、世界の脚光を浴びているのか?」が見えてくるはずです。

老獪な英国が、歴史的にインドとビルマに深く関与してきたが、第二次世界大戦を契機として、同じアングロサクソン(白人国家)の米国が東南アジアの舞台に深く関与し始める。それは途中でギブアップしたフランスの肩代わりだけでなく、ベトナム戦争後もCIAエージェントの活躍はタイやビルマに深く根を下ろしている。このあたりの事情は、バンコクの飛行場で売っているジェリー・ホプキンス著の「BANGKOK BABYLON」がべらぼうにおもしろい。



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03:第18代米国大統領

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イギリスもそうであったが、アメリカも、ビルマに関与する交流の層が桁違いに厚い。政府高官レベルから、ビジネス関係、教会関係、スポーツ関係、余計なお世話を含めて、草の根レベルまで、それはそれは多岐にわたっている。

米国の現役大統領でビルマ初上陸はオバマ大統領だが、そのはるか以前にも、元米国大統領がビルマに上陸していたという話を、今週はご紹介したい。

名前がカッコイイ、ユリシーズ・シンプソン・グラント将軍をご存知だろうか。ウエスト・ポイント陸軍学校出身の軍人で、アメリカ合衆国南北戦争当時、A・リンカーン大統領より、北軍連邦軍の総司令官に任じられ、南軍のリー将軍を破り、絶大な人気を博した。南北戦争後の1869年から1877年まで第18代米国大統領を務めた。1869年というと日本では明治2年にあたる。

グラント将軍の豪勢なのは、大統領職辞任後、1877年のイギリス訪問を初めとして二年間の世界漫遊旅行を行ったことである。1879年3月には、インドのカルカッタから蒸気船でラングーンに立ち寄っている。

有名なグラント将軍の回想録の中で、その当時のラングーンは人口わずかに10万人と記録し、軌道電車が敷設され、町はあでやかな服装のビルマ人たちで溢れ、河川の水上交通も内陸部800マイルにまで発達していることに感銘を受け、グラント将軍はこのラングーンは富において、インドのボンベイ・カルカッタを10年以内に、人口において25年以内に、凌ぐものと予測している。

そして女性についても言及し、インドでは厳格なカースト制度と過度の制限で女性の活動には問題があるが、このビルマでは、女性は自由に他家を訪問し、また自由に友人を迎え入れ、ヨーロッパと同様に女性は有能なセールスマンで、ビジネスマンでもあると持ち上げている。

そして結婚も、人種・宗教に縛られることなく、自由に他の人種・宗教と交わっていると記録している。

その後、タンルイン河河口域のモーラミンにまで足を伸ばし、ここでは森林伐採業に従事する巨象の力仕事に感嘆している。二年間の漫遊旅行は決して短い旅ではない。

1879年6月には国賓としてグラント将軍は日本を訪れ、浜離宮を宿舎としてここで明治天皇と会見している。そして近くの芝の増上寺も訪れ、そこには記念植樹されたグラント松が、今でも大きく枝を広げている。

どういう経緯でそうなったのか不明だが、最近の「ミャンマー祭り」の会場に、この港区芝公園の増上寺が選ばれていることに、ついつい何らかの因縁を探りたくなってしまう。ポーカー・ゲームで言えば、ミャンマー・アメリカ・日本というスリー・カードが出来上がっているからだ。

グラント将軍に対面したければ、アナタの財布から、50ドル紙幣を取り出せばよい。



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04:第31代米国大統領

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その人の名前はヒューバート・クラーク・フーバーで、地質学を専攻し、スタンフォード大学を卒業。オーストラリアや中国で鉱山を経営し、苦労に苦労を重ねたが、巨万の富を得た。大統領としての在職期間は1929年から1933年までである。

HCフーバーがビルマを訪問したのは、政治に関与する前の1905年、成功した鉱山技師としてであった。同氏の回想録によれば、マレー(現マレーシア)からセイロン(現スリランカ)への途次ビルマに立ち寄り、ラングーンではシュエダゴン・パゴダの、それからマンダレーから北部のシャン州シッポウへ向かい、少数民族の平和な暮らしなどから、ビルマの魅力に取り付かれたと書き残している。

そしてこのとき、フーバーはローソクの明かりで見捨てられた坑道の中に潜り込み、そこでベンガル・タイガーにニア・ミスしたと記録している。そして1907年に妻と二人の若い息子、そして義理の妹を連れて、もういちどビルマに戻り、3ヶ月間滞在した。第一次世界大戦の勃発で、ビルマに投資した鉱山会社の株を手放したとなっている。



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05:第37代米国大統領

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そして、それから45年の年月が経過し、ビルマにやってきたのが、アイゼンハワー大統領の副大統領であったリチャード・ニクソンである。シュエダゴン・パゴダの鐘を鳴らした記録に残っている。1953年のことであった。その時には、アジア各国で吹き荒れていた反アメリカ帝国主義の抗議デモにバゴーで遭遇している。

そして、もういちど、ウォーターゲート事件で大統領職を辞任したあと、1985年にビルマを再訪している。当時、ジャーナリストへの入国ビザを厳しく制限していたため、ニュースはほとんど漏れ聞こえてこないが、アメリカ最大の通信社AP電が、シュエダゴン・パゴダの鐘を鳴らした人は必ずビルマに戻ってくると、地元の信仰を流している。そして、当時のネウィン将軍と会談したが、その内容は伝わってこない。



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06:第44代米国大統領

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そして、ミャンマーと世界に激震を起こしたのが、バラック・フセイン・オバマ二世大統領が米国の現役大統領として、その針路を大きく方向転換したためである。その震源地はワシントンDCのホワイト・ハウスであった。

巨大化していく中国を常に念頭に置き、その仕掛けを入念に練ったのが、ヒラリー・クリントン国務長官であり、その構想を根回ししていったのが、デレック・ミッチェル特使で、現在の駐ヤンゴン米国大使である。

単にアメリカン・ドリームとミャンマー・ドリームを夢見る人は、米国初の女性大統領が、インヤレーク湖畔の朽ちかけた邸宅で、ヤンゴン初の女性大統領と堅くハグする場面を、2016年の初夢として描くかもしれないが、所詮政治の世界は“一寸先は闇”である。そして憲法という名前のハードルは、そう簡単なものではない。その一方で、米国の影響力には、計り知れないものがある。


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