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<ミャンマーで今、何が?> 番外編その3
2016.08.01

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 ・01:アウンサン将軍暗殺の現場中継

 ・02:アウンサン将軍博物館

 ・03:英雄待望論

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01: アウンサン将軍暗殺の現場中継

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7月19日休日の行事は 、シュエダゴンパゴダ北口の殉難者霊廟だけではない。

ヤンゴンだけでもいくつか盛大に行われた。それをお伝えしたい。

午前中、近くの旧大統領府へ行ってみた。69年前にアウンサン将軍他8名が暗殺された、血塗られた歴史の現場である。昨年に続いて、旧大統領府が一般公開されることはミャンマー全土に知れ渡っている。英雄たちに敬意を払うつもりだろう、晴れ着を着た、あるいは制服を着た大勢の人たちが全国から続々と参集している。

1947年7月19日、それは土曜日の朝であった。セクレタリアート・ビルディング西側二階のアウンサンの執務室で閣議がまさに開かれようとしていた。

突然、階段を駆け上がる激しい足音とともに、守衛の少年の大声が響いた。いくつかあるドアのうち鍵がかけられていない扉が蹴り開けられ、4人の男が乱入してきた。「逃げるな!」「立ち上がるな!」と叫んで闖入者たちは閣僚たちに銃を向けた。咄嗟に立ち上がろうとしたアウンサンは、「撃て!」の声とともにたちまち銃撃され、その場で即死した。

検死結果では、アウンサンは13発撃ち込まれたという。わずか30秒の出来事であった。男たちはすぐに現場を去って姿を消したと根元敬はその著「抵抗と協力のはざま」で描写している。69年前の7月19日午前10時37分のできごとであった。

さいとう・ナンペイ著「アウンサン物語2015」によれば、"ボージョウ"とはビルマ語で"将軍"を意味し、アウンサン将軍に対しては特別の敬慕の念で国民は呼びかける。

したがって、ミャンマーで反政府抗議運動が起こると、アウンサン将軍なら愛する民衆に銃を向けることは絶対になかった、とばかりにアウンサン将軍の肖像写真がデモ隊の先頭に掲げられる。

そして、人々はいっせいに"ボージョウ!!" 、"ボージョウ!!"を連呼する。そのこだまは、多くの将軍を乱造してきた軍事政権に対し、"ボージョウ"と呼ばれる資格はアウンサン将軍ただ一人と主張しているようにも聞こえる、と記述してある。

今朝がたの青空がウソのように、土砂降りの雨が降っている。豪雨が激しく叩き、舗装されたマハ・バンドゥーラ大通りを雨水が川となって流れる。雨にもめげず、カメラやビデオを構えた報道陣が、そして一般市民・旅行者たちが、暗殺現場を見上げる格好の場所に陣取っている。それに輪をかけて野次馬が道路の反対側に鈴なりだ。

それでブロックされてはならじと、アリの行列が反時計回りに、金網沿いに続々と正門のあるテインビュウ通りへと続く。蟻の行列は傘こそ差しているが、この時期の雨は中途半端ではない。ロンジーも、シャツも、びしょ濡れで、折りたたみの傘は、まったく役に立たない。

裏門があるボ・アウンチョウ通りに回ると、蟻の行列は右折して今度は時計回りにと、テインビュウ通りへ向かい、時計回りも反時計回りも正門入り口で合流し、中へ吸い込まれていく。大半は地元の人たちだが、背の高い欧米人や東南アジア系と思われる旅行客も混じっている。

正確に10時37分。すべての信号が赤となり、通行中の車両がその場に停車し、同時に、サイレンがどこからともなく鳴り響く。停車した全車両がそれぞれにクラクションを鳴らす。大型観光バスがbass低音を響かせば、小型トラックはテノールだ。サイカーの鳴らすベルが哀しく耳に残る。

21世紀の今、自国を遺棄する難民もいれば、選挙テクニックに長けた指導者しか持たない国民もいる。だが、いま目の前の行列は、まったく違う。世界から見捨てられていた国が、そして国民が今、世界から注目を集めはじめた。民衆に自信が戻りはじめた。その心の拠り所が、彼らの英雄・アウンサン将軍である。半世紀以上にわたりズタズタにされてきた彼らの自尊心、そして国軍生みの親の後継者たちによって、非情にも不当な扱いを受けてきたアウンサン将軍、その志半ばの偉業をたたえるためにミャンマー全土から人々が集まってきた。その自尊心と情熱が今日ミャンマー全土に目覚めた。



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02: アウンサン将軍博物館

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日本大使公邸近くにあるアウンサン将軍博物館も、記録的な大勢の人たちが押し掛け、身動きが取れないという。今日19日は国民の休日で、小学生から大学生まで、役所勤めの人たちも、民官各層の人々が、国のヒーローの面影を偲ぼうと、カンドウジー湖畔の小高い丘に建つこの博物館に押しかけた。

「アウンサン物語2015」によれば、将軍は1945年5月から宿命の7月19日まで家族とともに、この屋敷に居住したそうだ。この家族の最年少が、当時2歳と一ヶ月で、現在ミャンマー連邦の国家相談役であるドー・アウンサンスーチーである。

長いこと荒れ放題のままに放置し、アウンサンの亡霊が付きまとうことを極度に嫌った軍事政権は、アウンサンに結びつくものは、国軍生みの親でありながら、すなわち自分たちの生みの親を踏みにじり、すべて排除しようとした。言ってみれば、平将門のミャンマー版である。軍事政権にとっての亡霊の一つがスーチーである。将軍を知る古老に言わせれば、スーチーの話振り、そのユーモアは、その姿形に劣らず、父親にそっくりだと言う。軍事政権は明らかに、スーチーその人に将軍の亡霊を、見たのかもしれない。

スーチーを殺せと命じられた軍人たちも、ついにはスーチーを殺戮することができなかった。銃は構えても、引き金が弾けないのである。

スーチーのカリスマ性は、ネウィンが作り上げ、おびえたタンシュエが世間に喧伝したようなものだ。

歴史は有為転変する。そして今、アウンサン将軍もスーチーも、フェニックスのごとくに蘇った。まさに不死鳥である。この記録的な人出を見ながらそう思った。

綺麗に整った緑の庭園を望む回廊の一角で、アウンサン将軍が椅子に座り、英書を読んでいる。この日に合わせて、完成したシリコン製の"アウンサン像"である。アウンサンの実物を知らない、若い世代がホンモノそっくりだと感心している。そしてセルフィしたり、アウンサン将軍にモバイルカメラを向けたりして、その人だかりは一向に動かない。回廊の下からもカメラのシャッター音が聞こえる。

博物館入り口にはアイスクリーム屋やガバの実に唐辛子と砂糖をぶっかけたフルーツショップ、ありとあらゆる屋台が門前市をなしている。乗用車が無制限に両方向から入り込み、もう一歩も動かない。軍事政権時代に培われたカオスが旧アウンサン邸の門前にまで押し寄せている。そしてそのカオスの解決策は将軍の愛嬢スーチーに求められている。

この国の歴史を知らないアウトサイダーが、スーチーの対応が遅いなどと、余計な節介を焼く。ミャンマーは外国の国益のために独立したのではない。鎖国政策を転換したのでもない。外国のビジネスマンの金儲けよりも、最優先させねばならぬのが、零細企業である国民たちの自立である。技術もない、金もない、システムもノウハウもない。だが安い労働力はたっぷりとある。そこに群がる外国企業もたっぷりある。ほんの少し前の中国そっくりである。

シリコン製のアウンサン像は周りでうるさい人混みをモノともせず、英書に読み耽っている。その集中力は見事なものだ。今のスーチーにイメージがダブる。

7月19日は、そういう一日であった。



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03: 英雄待望論

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今の時代は、若者たちが小さな夢しか描けない世界になってしまった。それは父親母親世代、あるいは祖父母世代である、我々自身の責任である。決して政治家や一国のリーダーの責任ではない。彼らを選択したのは民主主義という一見平等なシステムのもとに、我々自身が選んだ政治家やリーダーであるからだ。

それがアメリカでも、イギリスでも、リアルタイムで行われている。日本でも然りである。オトナの世界では"ワーストの中のベスト"を選ぶ選択肢しかなくなってきた。それを見て育ったコドモたちに、どれほどの夢が描けるのだろう。

ラオスのビエンチャンで開催された重要議題満載のアセアン諸国関連会議からスーチーが戻ってきた。ヤンゴン空港で恭しく出迎える外交団代表の写真がGNLM紙の第一面を飾っている。駐緬外国大使がローテーションを組み外国団代表となり、国家元首の渡航帰国には必ず空港で見送り・出迎えを行う慣習となっている。スーチーは憲法で阻止されている国家元首の扱いを受けていることになる。

いま世界のリーダーはすべて小モノの政治家に成り下がってしまった。4月に来緬したシンガポールのリー・シエンロン首相はスーチーにカリスマ性を見た。そしてアセアンを引っ張っていって欲しいとスーチーに直に嘆願した。いま欧州圏が英国の離脱で揺らぐなか、アセアンの指導者が求められている。

大統領選挙を11月に控えたアメリカも同様である。この世の中に英雄がいない。世界から見向きもされなかったチッポケなミャンマー。そのなかで小さな第一歩がはじまった。2016年7月19日のことである。スーチーに屈服することを極度に嫌った軍事政権が指名したミャンマー国軍の最高司令官が、国民および世界のメディアが注視する中で、アウンサン将軍に敬礼および黙祷を捧げたのである。

この栄えある殉難の日のコレオグラファー(振付け師)はスーチーその人である。スーチーに屈服せずとも、屈服をせざるをえないカードを手の内に持っている勝負師は、後髪を花で飾った細身のこの女性ただ一人である。なぜか藤純子の艶姿が目に浮かぶ。

二歳一ヶ月の少女が、三十二歳の父親と、手をつないでの、道ずれだ。


東西南北研究所

 



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