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<ミャンマーで今、何が?> 番外編その2
2016.07.21
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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01: 2016年7月19日(火)
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この日は陰暦4月(太陽暦4月から数えて)の満月で、雨季の期間、僧院に籠り修行を続ける僧侶を敬虔な仏教徒たちが訪れ、僧衣や身の回り品を寄進し、食事を施す重要な仏教行事の日である。
それに加えて、今年の19日はビルマ独立のために奔走し 、独立半年前に大統領府で暗殺されたアウンサン暫定首相はじめ合計9名の殉難者を悼む第69回目の記念日である。だから、ミャンマー暦では、今年の7月19日はダブルの国民休日となっている。
したがって、縁起を担ぐミャンマーの人たちは、今年のこの日は世にも稀な吉兆の表れと、捉える人が実に多い。
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02: スーチーを分析する
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21世紀の今、G5・G7・G20などの奇妙な 新聞用語が使用されている。だが、それら諸国の首脳を凌駕する実力を備えた政治家は多分、"アウンサンスーチー"という女性、ただ一人ではないだろうか?
時の権力者で軍独裁者でもあったネウィン及びタンシュエから、残虐な手段で何度も命を狙われたスーチーは奇跡的にも生き延びてきた。だが、その周りでは、二重三重に必死にスーチーを護ろうとする若いボディーガードやスーチーの支持者たちが、あるいは仏教徒たちが、銃弾や棍棒の犠牲となって非情にも、命を落としていった。この辺りの経緯は、何度もご紹介したピーター・ポパム著の「アウンサンスーチー 愛と使命」をご参照いただきたい。
軍事独裁政権の非情な手段と陰謀を用いてスーチーとその支持者を殲滅しようと計ったにもかかわらず、スーチーは生き延びてきた。信心深いタンシュエは、スーチーには神がかりなパワーがあると恐怖心に囚われた。
タンシュエ自身がマウンエイとキンニュンに、アウンサンスーチーを殺す攻撃を命令したと認めている。同書参照。
スーチーは激しい言葉でビルマという祖国を破滅に追いやったのはネウィンだと強硬に非難していた。
だが、今のスーチーは、ネウィンとタンシュエに対してすら、「赦す」という言葉を口にしている。日本の歴史を含めて、世界の歴史は、リベンジ(復讐)を動機とした悲惨な、そして無益な戦いで満ち溢れている。21世紀の今ですら、人類は進歩していない。
スーチーはリベンジの輪廻を断ち切る新機軸の哲学を打ち出した。ユルスを口にできる、勇敢で実に稀有な政治家である。経済発展ばかりを気にかけるG20などの首脳を凌駕するといったのは、そのことである。非暴力主義という偉大な思想を確立したマハトマ・ガンディの子供たちは、ダライ・ラマをはじめとして錚々たる偉人がキラ星のごとく控えている。だが、その子供たちのなかで祖であるガンディを乗り越えたのはスーチーただ一人ではないだろうか?
僭越ながら東西南北研究所は、そう分析する。
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03: スーチーが緻密に配置した布石
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スーチー政権が発足したのは、今年の水祭りが終了したミャンマー暦の新年からである。まだ三ヶ月しか経っていない。ヤンゴン市当局は、シュエダゴン北口にある殉難者の霊廟を大規模改装した。ここはアウンサン将軍はじめビルマの独立に命を捧げた9名の英霊たちが眠る神聖な場所である。
同時に、北朝鮮の破壊工作者による爆弾テロ事件の現場でもある。全斗煥大統領は危機一髪難を逃れたが、韓国の閣僚17名が死亡した。1983年10月9日のことである。軍事政権は北朝鮮との国交を断絶した。だが、欧米の軍事政権に対する制裁が深まると、ビルマと北朝鮮の関係は不健全な迷走状態に入っていく。自国の神聖な場所が汚されたにもかかわらず、軍事政権は北朝鮮との国交を再開し、武器取引に血迷っていった。
この神聖な霊廟で、これまでの軍事政権は、7月19日を形式的な行事として、執り行ってきた。スーチーも、殉難者9家族の一員として、これまで参列していた。この日は、友人の好意で、朝からテレビの実況中継を見せてもらった。
雨季の真っ最中だというのに、空は朝から晴れあがっている。霊廟の上の国旗は半旗に掲載され、風にはためいている。今年のこの公式行事には、魂が込められていると思った。参列者の顔も、例年の強制的に駆り出された顔つきではない。皆それぞれに民族衣装で、胸を張り誇らしげである。
霊廟頂上のポールにミャンマーの国旗が半旗で掲揚される。張り詰めた空気がこの神聖な場所に漂う。儀仗兵の礼砲がシュエダゴンの一画に鳴り響く。参列者一同、威儀を正し厳かに二分間の黙祷を捧げる。捧げるのはアウンサン将軍そして8名の英霊に対してだ。時が静かに流れる。
陸海空三軍の最高司令官、上院下院両議長、両副大統領、国会議長、最高裁判所長官らが、横一列に並び、合計9名の英霊に対して厳粛に敬意を表明する。
これから、英霊の家族が一台一台、霊廟正面の車寄せに車を横付けし、レッドカーペットの上を花輪リースを持ち、真っ直ぐに霊廟記念碑真下へ向かう。一番最初の順位は、とっくの昔に、政治の世界とは訣別し米国に職を見出し移住していった、アウンサン将軍の長男アウンサンウー(スーチーの長兄)である。だが今年は、どういう訳か、代理人が出席した。
その次が、今回の花形役者スーチーである。
大型セダンを降りると、大きな花輪を随員に運ばせ、仕付けられた真っ正面の献花台に花輪を置かせる。横からスーチーが、そっと手を添える。そしてレッドカーペットに戻ると端正に一人座し、背筋を伸ばして、高くそびえる霊廟をじっと見上げる。その瞬間に頭をよぎったのは?スーチー以外、誰も知らない。
おもむろに上座部仏教の礼法で頭をカーペットに擦り付け、祈りを捧げる。それを三度繰り返す。ここまでの道のりは決して短かった訳ではない、そしてその犠牲は決して小さくはなかった。一国の指導者たちが、アウンサン将軍のサラブレッド、この細身の女性ひとりに恐怖心を抱き、国民全体に取り返しのつかない大きな犠牲を強いた。
今スーチーは国家相談役として、実質上の国家最高権力者として、国軍の最高司令官たちを、本来この国があるべき姿に、連れ戻そうとしている。父親亡きあと、国軍は迷走していった。だからスーチーは言う。「父親は見果てぬ夢を描いた。だから私は国民が望む方向に国を導かねばならない」と。
このあと、8家族が順番に車で乗り入れ、それぞれに献花し、新装なった霊廟で厳かに敬意を払った。この国らしく、 仏教徒もいればクリスチャンもいる。それに引き続き、全国の各組織を代表する人たちが延々と続く。各国の外交団もいれば、一般の人たちもいる。赤十字社、消防団、映画人協会、芸術家協会、作家協会、婦人問題連盟、母子福祉協会。ありとあらゆる組織と団体が列に加わる。今年は例年とは異なると人々は感じた。
この行事はヤンゴンだけではない。ミャンマー全土で繰り広げられた。
スーチーが最優先で目指す国内統一を想わせる光景だ。それだけではない。この国の国内統一に欠かせない象徴的な人物は、間違いなくアウンサン将軍であると確信させるような光景だ。スーチーこの人だけが、その万能のカードを手にできる。
そして最初に述べた通り、今年は第69回目の記念日である。たぶん大々的に行われるであろう来年の節目を考慮すれば、今年は気楽なリハーサルと思えばよい。
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04: そして大統領は?
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この問いは現大統領のことだろうか?あるいは元大統領のことだろうか?
過去5年間、新聞の第一面を飾ったテインセイン元大統領は、完全に消えてしまった。諸行無常の鐘の音が遠くで鳴り響く。
そして、ティンチョウ現大統領はスースールイン夫人とともに首都ネイピードの宗教式典ホールで行なわれた殉難者記念式典と僧衣寄進式に出席した。この大統領らしい、目立つことを避け、実に控えめな態度である。
ミャンマータイム紙には、大統領は腰痛を押して出席したとひと言ある。東西南北研究所のスタッフたちは、環境さえ整えば、これは大統領を降板する正当な理由に使える、その時は意外と早いかもと、実に無礼な口をきく。
天まで味方をしたのか、スーチーをはじめとするVIPの参列まで晴れ間が続いた。そして、それから雨雲が覆い土砂降りの雨となった。独立の犠牲となった英雄たちの死を悼むように。
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05: ダディーはスーチーの専売特許
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この記念すべき日には、インヤー湖畔にあるスーチー邸で高名な僧侶二人を招き食事が供された。それに参加したのは、ミャンマー国防軍の 最高司令官ミンアウンライン上級将軍、トゥラ・ウ・シュエマン(元下院議長)、 軍から指名を受けたミエンスエ副大統領(元ヤンゴン政府首相)などである。これらの顔ぶれは、ミャンマー国軍に強い影響力を持つ面々である。
これまでスーチーは、国軍トップから呼び出しを受けたことは何度もある。だが、ヤンゴンのスーチー邸に国軍のトップが出入りしたことは一度もない。一段とランクが低い連絡将校だけであった。だから、この栄えある記念日に、スーチー邸にこれほどの国軍トップが顔を揃えたということは、ミャンマーの風向きが大きく変化したことの証拠である。しかも、彼らはスーチーの招きを受け入れ、スーチーと同じテーブルで食事を共にしている。
このシナリオはNLDが用意したものではない。ティンチョウ大統領が発案したものでもない。大統領の上に君臨すると宣言したスーチー自身が自分の手で用意した布石である。繰り返すが、いま世界のリーダーでスーチーを凌駕する人物はアメリカにも中国にもいない。東南アジアの片隅で、東洋人らしい奥ゆかしさでひっそりと胸を張る、この細身の女性だけである。
スーチーだけがアウンサン将軍を"ダディー"と呼ぶことができる。これからはダディーとの二人連れをいろんな場面で見せつけられることだろう。
それを楽しみにしたい。
東西南北研究所所長軽薄
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