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 <ミャンマーで今、何が?> Vol.64
 2013.10.2
 
 http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
 
 
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 ■ムガール帝国最後のエンペラー
 
 ・01:バハドゥール・シャー・ザファー
 ・02:インドでもパキスタンでも慕われる人物
 ・03:インド大反乱
 ・04:ラスト・エンペラー
 
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 ミャンマーに関する情報がこのところ若干精彩を欠いている。
 
 国連年次総会、イラン新大統領の登場、シリア情勢、それに加えて、米国・日本・中国がそれぞれに問題を抱えている。世界のマスコミはそれらの対応に追われているのだろう。
 この隙を突いて、「ミャンマーで今、何が?」はこの国の知られざる歴史に迷い込んでみたい。
 
 そこにはミャンマーの今を読み解く鍵が眠っているかもしれない。
 
 
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 ■ムガール帝国最後のエンペラー
 
 01:バハドゥール・シャー・ザファー
 
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 1862年11月7日、国外追放中のバハドゥール・シャーがラングーンで亡くなった。そしてシュエダゴンパゴダ近くのダゴン町区にひっそりと埋葬された。当時、竹垣が墓を囲っていたが、管理する墓守もなく、何年もの間、生い茂る雑草にまかせ、その正確な場所は一世紀以上にわたって見失われたままとなっていた。
 
 この物語は、今から141年前の事件で、日本でいえば、明治維新の6年前の話である。でも悠久の歴史からすれば、ほんの昨日の出来事ともいえる。
 
 1991年、古びた祠の後ろの雑草を刈り取り清掃作業を続けるうちに、レンガで区分けされた墳墓が発見された。この人物こそビルマ・ミャンマーのムスレム(キリスト教徒)が聖人と崇め奉るインド・ムガール帝国最後の皇帝で、それまでも地元インド人の間ではこの祠にまつわる噂がひっそりと流れていた。
 
 それから数年のうちに、この場所に新たな霊廟が建立され、1886年に亡くなった皇妃ジーナ・マハールおよび孫娘のラウナク・ザマニが皇帝バハドゥール・シャー・ザファーの傍らに眠っている。
 
 
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 02:インドでもパキスタンでも慕われる人物
 
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 1959年にインドにおける最初の大規模の反英国闘争を顕彰して“全インド・バハドゥール・シャー・ザファー学士院”が創立された。
 
 1857年のインド大反乱(別名セポイの乱)におけるこの皇帝の役割を描いたヒンディー語(インドの公用語)、ウルドゥー語(パキスタンの公用語)の映画は数多い。
 ニューデリー、ラホール、バラナシ、その他の都市にこの皇帝の名をつけた道路がいくつもある。
 
 バラナシのビジャヤナガラム宮殿にはこの皇帝の銅像が建っている。
 バングラデシュの首都ダッカのビクトリア・パークは“バハドゥール・シャー・ザファー公園”と名前が変わった。
 
 そしてパキスタンの都市、大通り、道路、広場など多くの場所にこのムガール帝国のラスト・エンペラーの名前が付けられている。
 
 前にも書いたが、インドおよびパキスタン、そしてバングラデシュの国家元首・政府高官は、訪緬すると、シュエダゴンパゴダ近くのこの霊廟に参拝するのが恒例となっている。ということは、ヒンドゥー教徒もイスラム教徒もこの偉大なるムガール帝国の最後の皇帝に敬意を払っているということになる。
 
 今、ミャンマーにおける仏教徒とイスラム教徒の暴力沙汰をマスコミは扇情的に取り上げているが、この歴史物語を知ればイスラム教徒に対するネガティブなステレオタイプな考え方を中立な方向へ修正できるのではないだろうか。マハトマ・ガンディーは最後までその可能性を信じていたが、狂信的なヒンドゥー教徒に暗殺された。そこには大英帝国の横暴な過去が大きな影を投げかけており、ブッシュ元米大統領の単純に白黒を決め付ける欧米流のやり方は歴史を混乱に陥れるだけではないだろうか。これをもう一歩踏み込めば、スーチー党首が逡巡する解決の糸口がつかめないだろうか。
 
 
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 03:インド大反乱
 
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 当時、イギリス東インド会社はインド人傭兵(セポイ)を雇用して乱立するインド国内の藩王国を強引に、しかも巧妙に併合していった。ところが、インドの習慣を無視してイギリス人が弾薬筒に豚と牛の脂を塗らせるという噂がセポイ兵の間で広がった。これが口火となって、1857-59年兵士のみならず、農民、一般大衆も加わってインド国内で大規模な反乱が発生した。イスラム教徒は豚は不浄の動物として毛嫌いし、ヒンドゥー教徒は牛を神聖な動物とみなす。それだけではなく、英国の支配に対する不満がインドの各階層で巻き起こり、ムガール皇帝の統治復活を宣言した。数ヵ月後にはインド全土の3分の2に及ぶ大反乱となった。
 
 だが、イギリスは本国から大量の援軍を送り、パンジャブ地方からデリーを回復した。そして英国の勝利が確実になったとき、ムガール皇帝バハドゥール・シャーはデリー郊外にあるフマユン(ムガール帝国第2代皇帝)の墓に身を隠した。
 
 1857年9月20日、同墳墓を取り囲んだイギリス東インド会社のウィリアム・ホドゥソン少佐は皇帝一族を銃で降伏させ、翌日デリー門近くで皇子マーザ・ムガール、マーザ・キズル・スルタン、そして孫のマーザ・アブ・バクルの3名を射殺する。その知らせにバハドゥール・シャーはショックを受けたが冷静であった。皇妃ジーナ・マハールは自分の息子がこれで皇帝の後継者になれると確信した。皇帝にはイスラムのしきたりで4名の皇妃がいたからだ。
 
 皇帝の男系親族はイギリス軍によってその大半が殺害された。皇帝バハドゥール・シャーも反乱を援助した罪、国家反逆罪、49名の欧州人を殺害したなど4つの罪状で訴追され、40日間の審理の後、全罪状で有罪とされた。しかし、皇帝には刑の執行はなく、1858年同じイギリスが支配するラングーンへの追放となった。そしてその追放の日がインドにおける3世紀以上続いたムガール帝国の終焉を意味した。
 
 そして、今回は触れないが、ビルマの最後のマンダレー王朝は同じイギリスの植民地であるインドに追放となり、その王族は屈辱の最後をその地で迎えている。
 ミャンマーの今を語るときに、イギリスの犯してきた歴史上の汚点は決して摺り替えることのできない根本問題であり、いつかは安っぽい人権上の問題としてではなく、気高い人道上の問題として、欧米のジャーナリストにも目を背けないで取り上げてほしいと願うものである。
 
 
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 04:ラスト・エンペラー
 
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 パキスタンが東と西に分かれたとき、東ではウルドゥー語が公用語に、西ではベンガル語が公用語となった。これも、東がパキスタンとなり、西がバングラデシュに分かれた一因でもある。
 
 ヤンゴンの街角でムスレム(イスラム教徒)に出会ったときに、ウルドゥー語が出来るか、ベンガル語が出来るかを確認すれば、彼らのお里が知れるというものだ。
 話を本筋に戻そう。
 
 バハドゥール・シャー・ザファーはウルドゥー語の詩人で、大量の作品を残している。そしてその作品は著名な学者や詩人によって後年編纂されている。ホドゥソン少佐が自分の息子の生首を面前に持参したときも、驚愕はしたが、冷静に次の詩を読んだと民間に伝わっている。「アラーの神をたたえよ、チムール(ご存知ジンギス・カーンの始祖)の子孫は父親の面前にかようにいつでも戻ってくる」と。
 
 それだけではない、この皇帝はイスラム神秘主義のスーフィの行者であり、学者でもあった。この点からもただの為政者ではなく、多くのインド人・パキスタン人・バングラデシュ人から偉大な聖人として尊敬を受けている。
 
 
 
 
 
 
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