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<ミャンマーで今、何が?> Vol.5
2012.8.7
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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■多様な民族を抱えるミャンマー
・ミャンマーを見直す
・ミャンマーの行政区画
・中国系とインド系
・中国とミャンマーの関係
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・ミャンマーで今、何が?
■多様な民族を抱えるミャンマー
<ミャンマーを見直す>
ミャンマーはその民族問題で大きな山場に立たされている。各民族と政府間で続けられている平和協定交渉が本当に恒久的なものとなるのかどうかがそのひとつ。もうひとつの大きな問題が西北部ラカイン州におけるロヒンジャーを巡る問題で、人権問題活動家が最初に動き出し、現在世界各地のムスレムからミャンマー政府を非難する声が高まっており、国連が介入に動こうとしているのが、問題をさらに複雑化させている。
今週の週刊メルマガでは、ムスレムの側に立つのでは無く、政府の側に立つのでもない。ましてや仲介役の国連の立場に立つのでもない、独自の立場で現状をそして過去を複雑化ではなくその逆のシンプルに分析しながら、読者の皆さんとこの問題を考えていきたい。
まずは現ミャンマーの行政構成から覗いてみよう。
この国は7つの“州”7つの“地区”、合計14の行政区から成り立っている。そして後者に関しては、2010年8月20日に突然、政府は“管区”(Division)から“地区”(Region)に呼称変更すると発表した。ヤンゴン管区とかマンダレー管区などと称されていたものだが、これはいかにも軍事政権が管理しているとのイメージが強かったためとされている。だが、この7つの地区は元々ビルマ族がこの“地区”の主たる住人でミャンマー中央政府の影響力が行き届き比較的安定している地区でもあった。もちろん他の民族も共存しているがこの地区ではあくまでも少数派である。ここまでは日本人にも西洋人にも理解しやすいところだろう。
ミャンマー政府は国を構成する市民としてビルマ族の他に135の民族を公式に認定している。合計するとこの136の民族から成り立っているのがこのミャンマーである。
この136という数字がどれほど凄いのかというと、現在国連の加盟国が190カ国を少し超えたあたりと比較すると、その凄さを分かっていただけるだろうか。
特にアイヌ系および少数の外国系の人々を除けばほとんど単一の民族構成とされる日本からみると、人種のワンダーランド、人種のディズニーランドとも言えるであろう。それがミャンマーなのである。
話は脱線するが、ビジネスで頻繁にヤンゴン入りしてミャンマーを理解したつもりでも、多分巨象のお尻をなぜた程度でしかないだろう。例えば、インレー湖でお馴染みのシャン州を訪れると民族の多様性に目を見張ることだろう。シャン州には一本足で櫓をこぐお馴染みインレー湖のインダー族、頭のターバンが色鮮やかなパオー族など33の民族が住んでいる。民族が異なるということは、言語・文化・生活習慣・服装・装飾品・歌舞音曲・食事などに多様性がふんだんにあるということである。
今週はその辺りから話を進めていきたい。
<ミャンマーの行政区画>
ミャンマーの総人口の68%を占めるビルマ族が住んでいるのが7つの“地区”で、それをアルファベット順に並べるとイラワジ地区・バゴー地区・マグウェー地区・マンダレー地区・サガイン地区・タニンタリー地区・ヤンゴン地区となっている。
ミャンマーの国勢調査・人口統計は1983年を最後に行われていない。しかも当時は軍事政権下であった。したがって、現在約56百万人とされるこの国の人口も国連機関などの推定値で、各民族の人口もきちんとした調査に基づいたものではなくあくまでも目安である。
このビルマ族(68%)以外で人口順に多い民族、上位7民族それぞれに割当てられたのがこの7つの州で、シャン州(9%)、カレン州(7%)、ラカイン州(3.5%)、モン州(2%)、カチン州(1.5%)、カヤー州(0.75%)、チン州(?不明)となっている。当然、第8位・9位・10位などの民族からは、なぜ10州まで認めないのかとか、米国が50州ならばミャンマーを136州にしてギネスブックに登録してはどうだいという意見が出てもおかしくはない。早とちりしていけないのが、これらの州にはその民族だけが住んでいるのではなく他民族とのあくまでも共存で、ミャンマー国内では基本的には平和裡に共存している。だから、例えばモン州内に限ればその中でモン族が大半を占めていると解釈していただきたい。
ここまでは単純な話なので、ご理解いただけたとして話を次に進めたい。
実は、これ以外に認知されていない民族が存在する。このあたりからミャンマーの複雑さが始まる。
<中国系とインド系>
その最大のグループがビルマ系中国人と“パンテー”と呼ばれる中国系ムスレム(回教徒)で併せて全人口の約3%を占めている。そしてビルマ系インド人は全人口の約2%となっている。これ以外に英国系ビルマ人(非公式な数字だが5万人以上)とグルカ族(ネパール出身)がいる。国際機関の一部はマンダレー人口の30-40%は中国系と見なしている。
企業派遣を含めて出稼ぎの日本人と異なり、中国人の場合は歴史的に国内の動乱・迫害が主たる原因でビルマに脱出してきた例が多く、血の混交を含めた現地化がかなり進んでいる。すなわち父親が中国人で、母親がビルマ人という例である。
しかも、彼らの場合は中国名を保持すると同時に、ミャンマー語での名前も併用
している。この辺りの統計数字が欠落しているために、中国系の人口比率は3%どころかその2倍はという風評も聞き捨てにできないのである。
当然ながら、インド系にしても同様で世代を経るに従って現地化は進んでいる。これら2大勢力である中国系とインド系が135のエスニック民族としては公式には認められていない。彼らは華僑・印僑とも呼ばれているが、他のアジア諸国同様にこの国の政治・経済にこの華僑・印僑が深く食い込んでいるのも事実である。
インド人の名前は日本人にはあまり馴染みが無いので省略するが、中国系の例を挙げると、アイクトゥンはコーカン族でオリンピック建設の社長およびAW銀行の副会長、アオブンホー(胡文虎=客家族)はタイガーバーム軟膏の創設者、クンサー(コーカン族)は麻薬王、キンニュン(客家族)は2003-4年の首相で軍情報局のトップ、ローセーハン(コーカン族)は麻薬王、ネーウィン(客家族)は1960年代から80年代にかけてのビルマの元首・元老、サンユー(客家族)は1981-88年のビルマ大統領、サージパンはYoma銀行のオーナーでFMI会長などである。
ここでミャンマーでポピュラーな諺をご紹介すると、「中国人のように稼ぎ、インド人のように金を貯め、決してミャンマー人のように浪費するな!」。これは彼らの性格を三者三様に実に巧みに表現している。
ミャンマーを地政学的に見て、その西側をインドと国境を接し東側を中国と国境を接するとか、世界で最も人口の多いインドと中国という2つの人口大国に挟まれている、急成長著しいインドと中国の狭間で、とかは使い古された表現だが、この日本人には馴染みの薄い地続きということが実感的にどういうことであるかというと、人が行き来し、言葉が交じり合い、食い物をお互いにつつきあい、着る物・装飾品を交換し、民族に付随する文化が交じり合うということである。そこには人間の生活が息吹いている。だから、日本から西へ西へと旅すると、中国を越えて、お釈迦様の故郷のインド・ネパールへ入る前にミャンマーという独特の文化圏が控えている。このミャンマーまでは中国系というか、モンゴル系というか日本人が言うアジア系の顔つきである。だが、そのミャンマーを越えてバングラデッシュあるいはインドへ入ると、そこは完全にインド・アーリア系の顔つきで。西洋人に近い彫りの深さが目立ってくる。その点で、人種の分水嶺がこのミャンマーと言うことになるが、このビルマ人の血が中国人と混交するのと同様にインド人との混交もこの国がメルティングスポットとなっているのである。
そこでその地続きの国境についてもう一歩深入りしてフォーカスしてみたい。先ずは中国からはじめてみよう。
<中国とミャンマーの関係>
最近のマスコミはミャンマーに対する欧米の経済制裁があったがゆえに、中国はその間隙を縫ってミャンマーへの経済攻勢を強めたとしているが、これは西洋的とんでもない間違った見方で、経済制裁があろうが無かろうが、ミャンマーと中国は歴史的に古い古いお隣さんで、人的にも出たり入ったりの交流を繰り返し、物流的にもボーダートレードと称して商品は行き来していたのである。
それがどれほど古い歴史なのかと言うと約10年ほど前にヤンゴン大学でチン州の正月を祝う行事にチン州の学生代表から筆者は招待されたことがある。そのときにチン州の歴史を書いたパンフレットを渡されたが、そこにはチン州の“チン”およびカチン州の“チン”はともに中国の“チン・ダイナスティ”、これは古代中国を始めて統一した秦の始皇帝の秦王朝(紀元前221年-206年)のことで、日本語では秦は“シン”と発音するが、中国および英語では“チン”と発音する。その中国の“チン”からチン族・カチン族、チン州・カチン州は名づけられ、ミャンマーとの因縁は古代中国の歴史に根ざしていると記されている。
中国人が正統な中国王朝とするのは漢族の支配する王朝であるが、実際は異民族に征服支配された屈辱的な中国の歴史が元王朝(1271-1368年)であり中国最後の王朝・清王朝(1636-1912年)である。漢族の宋王朝(960-1279年)にしても、明王朝(1368-1644年)にしても、異民族の攻撃を受けるときは興隆期の勢いが廃れ国の財政が行き詰まり国内が乱れるものである。したがって、宋王朝の末期、そして明王朝の末期には、国内の動乱から漢族がビルマに逃げ込み、18世紀には明王朝の王子が現在のシャン州コーカンまで落延びたことが歴史に記されている。アメリカの独立宣言が1776年7月4日だから、ここまではアメリカ合衆国ができる前の話である。
次の英国植民地の時代になると、中国人・インド人の移民を歓迎する政策を英国は取るようになる。ここで大量の移民がビルマに流入してくる。
諺どおりに一生懸命働く中国人は間もなく頭角を現し、米のビジネス、宝石の商人として財を成していく。一般的にマレーシア半島の中国人はクーリーと呼ばれる肉体労働者だが、ビルマの中国人は職人・商人クラスが多かった。
話はビルマが独立した第2次世界大戦後のアジア情勢へと入っていく。
中華人民共和国の成立は1949年10月である。しかも、ビルマは中国共産党が設立した中華人民共和国を最初に承認した国でもある。その前後、国民党軍(KMT)は本土から駆逐され、その多くがビルマとタイに逃げ込む。これは中国の内戦であるからKMTも中国人である。ビルマ政府は武力で彼らと闘いKMTを強制的に台湾に送り込む政策を取ったが、数多くのKMTがビルマ女性と結婚し国境地帯・シャン州を中心に住み着き、次の世代からは中国人の血は2分の一、4分の一となり、ビルマ化が進んでいく。
もうひとつミャンマーの中国人で独特の分類法がある。
(1)広東系の中国人で、もちろん広東語を話すが、ミャンマーの中国人の中では一般的に貧しいとされている。
(2)福建省出身の中国人で、軍政権と関係を持ち経済を牛耳っているヤリ手が多く、一般には金持ちとされ、もちろん福建語を話す。
(3)客家族で客家語を話すが、さらに分類すると、その中身は広東系と福建系に分かれている。
(4)ミャンマーで中国人の回教徒を“パンテー”と称するが、山岳農業を営む“コーカン族”が中国人である。ともに北京語を話す。“コーカン族”はポピーの栽培、麻薬の製造でもその名前を聞くが今回の話題からは外れるのでこれは次の機会があればということにしょう。
中国を西域に向かって旅すると清真寺(中国のモスク)が目立ち、回教徒の部落が徐々に増えてくる。同様に雲南省を越えて西のシャン州にも中国人の回教徒が点在し彼らがミャンマー人が呼ぶところの“パンテー”である。山また山が連綿と続く山岳地帯のシャン州は交通の難所であるが、ここで“パンテー”は今でいう運輸関連事業に従事し、飛脚便・今の宅急便のネットワークを築き上げていた。したがって、このネットワークを使えば情報はシャン州全土に数日のうちに広がったという。もちろん衛星放送も、携帯電話も無い時代の話である。
ここまでの歴史を見てくると、欧米のマスコミが安易に主張するのと違い、中国のビルマ侵略は経済制裁以前のもっともっと根の深い話であるということが分かっていただけたと思う。
実は、今回のテーマは今問題となっている西北部のロヒンジャーにまで一気に進める予定だったが、前半の中国関係だけで紙数が尽きてしまった。
ビルマとインドの関係はさらに複雑な構造となっているので、これは来週“多様な民族を抱えるミャンマー”の続編とさせていただきたい。
この双方が見えてくれば、ヤンゴンのチャイナタウンへ行っても、インド人街に行っても、楽しみかたが倍加すること請負います。
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