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<ミャンマーで今、何が?> Vol.476
2021.12.29
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━

■お隣のインドに遊ぶ

 ・01: 悲報の緊急連絡

 ・02: ボリウッドのメガスター

 ・03: ボンベイから出発してムンバイに戻る

 ・04:ヒンズー語ビデオ観賞のカギ

 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)

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・01: 悲報の緊急連絡

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ヤンゴンの自宅から歩いて7分というご近所の訃報が日本の新潟から教えてもらった。慌てて地元の情報通に連絡を取り、その日の“お別れの会”に間に合った。新潟への報告を兼ねてメルマガ原稿を用意しようと思ったが、クリスマスの季節にあまりにも物悲しく相応しくない。考え込むうちにクリスマスは終わり大晦日が迫っている。
一方、ヤンゴンでは電気の配給もそうだが、WiFiもネット発受信も国軍に振り回されている。このところ連日だが、停電が解消したのでスウィッチを入れ、下階から自宅シャワー室の給水タンクにポンプアップしたら、今度はヤンゴン市当局の給水がストップしていた。停電・WiFi・ネット・水の四重苦である。食事もトイレも数時間は大中小のペットボトルでしのぐしかない。

メルマガ配信の遅延もすべて国軍のせいだ。
ヤンゴンからの原稿発信がプロバイダーに届いたのか、そしてアップロードされたのか、まったく確認が取れない。前回のVol.475が手許に配信されないからだ。これも他の友人の好意でアップロードされたことを教えてもらった。
配信が確認されてやっと次のVol.476に取り掛かれる。それでもメールに書けないゴタゴタで原稿が遅れている。

ということで、住めば都というものの三重苦、四重苦で悩まされているのが昨今のヤンゴンである。
大雪に見舞われた日本、トルネード災害のアメリカ、そしてデルタとオミクロンの猛威におびえる世界各国、ヤンゴンなど天下泰平だ。
それにしてもこの地球上にはゼロ・コンマ・ゼロゼロ何パーセントの超金持ちが存在する。その億万長者は自分たちだけ地球脱出と、宇宙旅行ゲームに夢中だ。脱出といってもほんの数時間・数日間地球の重力圏を離れるに過ぎない。カネを儲けてもカネの使い方次第でその人間の価値が量れる。

時節柄チャールズ・ディケンズの“クリスマス・キャロル”で物思いに耽っていた。お馴染みの守銭奴スクルージーの物語だ。まさに金銭哲学を子供にも、大人にも示唆してくれるイギリス人の哲学だ。宇宙に行かなくても人生の一生を走馬灯のように味あわせてくれる。
ミャンマーの隣国インドにもそれに匹敵する人物が現れた。ひとりの億万長者がカネを一銭も使わずに、インド全土を奮い立たせた感動の実話を、多忙な年末にお届けしたい。
ミャンマーは歴史的にも、文化人類学的にも、隣国インドの影響を大きく受け、気候ですら同じモンスーン季節帯の環境下にある。
だからヤンゴンに住む以上、インドという国は積極的にチェックしている。

だが世界中の金満国、そこに住む政治家も、国民もインドという国を一段劣った国と看做している。世界の中流国までもが不遜にもそういう態度を取る。
世界はそういう風潮になってしまった。イルミネーションで美しく飾られた世界中のクリスマスをヤンゴンで眺めながら、そう思った。

インド共和国の初代首相ジャワーハルラール・ネルーは一冊の本を娘に残した。『父が子に語る世界歴史』である。1905年にイギリスに渡り、ハロー校を経てケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学んだ。インナー・テンプル法院からバリスター(*法廷弁護士)の資格を得て、1912年帰国。1916年カマラーと結婚。余談だが現職米国副大統領と同名である。どうして米国の副大統領にインド人のオバがいるんだとの無知なSNSコメントを見たことがある。カマラーはインドではポピュラーな女性名である。閑話休題。将来インド首相となる娘・インディラ・ガンジーに日本語版で9冊にもなる手紙を獄中から書き送った。時代は異なるが、そういう父親が今の世の中に存在するだろうか?子供にお金という遺産よりも大事なモノを伝え残す。
今日のインドも問題は満載だ。だが暗闇でもキラリと光るダイヤモンド並みの人物を排出する素地がこの国にはある。



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・02:ボリウッドのメガスター

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Aamir Khan(アアミール・カーン)をご存知だろうか? ご存知ならアナタは町山智浩並のボリウッド通だ。
名前からしてイスラム教徒であることは明白だ。インドは全員ヒンズー教徒と思ったら大間違いだ。インドとパキスタンは決別してそれぞれに独立した。
それでもインドに残ったイスラム教徒は多数いる。特にムガール王朝時代からのイスラム教徒がそうである。だから現在のインドにはムスレムとヒンズー教徒が混在する。それどころかターバンを被ったシーク教徒もいる。カソリックとプロテスタントの両クリスチャンもいる。ペルシャのパールシー(*ペルシャ人)すなわちゾロアスター教徒もいる。それはそれは多種多様である。
ヤンゴンでもインド人街を歩くとその小宇宙を見聞出来る。特にヤンゴンの建設業界はイスラム教徒の独壇場といってよい。ヤンゴンの中国人社会も多種多様で複雑だが、今回はインドに集中したい。

アアミール・カーンはインドのマハラシュトラ州ボンベイ(*現ムンバイ)出身で今年56歳となる。
インドのメガスターで日本の映画俳優とは桁外れの大金持ちである。俳優および歌手としてデビューしたが、今では映画をプロデュースしシナリオも手がける。アメリカのオプラ・ウィンフリーに刺激されテレビのトークショー番組に新分野を切り開いた。番組ホストとしてのギャラはTV業界に破格の新記録となった。

このトークショー番組はアアミール・カーンのイニシャティブで才能溢れる人材が集まってきた。まずはシーズン毎にどんなテーマを取り上げるか徹底的に調査分析選別した。だから取り上げるテーマは時代を先取りしている。
インドのTV業界に革命的な風穴をぶち開けた。それだけにシーズン毎に話題を呼び、時には社会問題化して国内が二分されたこともある。一般の視聴者をスタジオに招き、アアミール・カーンと視聴者の直接対話がライブでインド全土に放映される。エピソードは週毎に進展し、次週何が起こるか分からない。
カーンはボリウッドで成功したのみならず、TVを通じて国内を揺るがした。
当然超セレブである。
インドの貧困層や荒廃した農村に異常なほどの関心を寄せる愛国者である。
慈善事業家でもあるがお金を寄付するだけの並のフィランソロファーではない。
カーン自身の影響力、企画力、友人関係、深い洞察に満ちた並外れの実行力をフル活用してインドに巣食う、政治家も解決できない大問題に着手した。
どの国でも古い慣習を打破するのは容易でない。貧困撲滅、荒廃農村の支援、女性や子供たちへの支援が、今回の物語である。

早速YouTube番組『The Battle Against Drought (Hindi)/Satyamev Jayate Water Cup 2016/Paani Foundation』再生回数200,374回Aug 27,2016をベースに物語を開始したい。
インドで大旋風を巻き起こした目から鱗の実話である。“目から鱗”とは新約聖書・使徒行伝の言葉で急にモノゴトの事態が明瞭に見え、理解できるようになる場合の例えとして用いられる。

このタイトルは『旱魃との闘い(ヒンズー語版)』と仮訳しておく。
Satyamev Jayateとはトークショー番組のブランド名で、ヒンズー語で「真実のみが勝利を勝ち取る」という意味である。
インドの女性は少女のときから水汲みの仕事に従事させられそれは生涯続く。嫁入りしても代々残る古い習慣である。男はどうかというと母親に手を引かれる少年時代を除き、男は水汲みには絶対にタッチしない。沽券にかかわるという。民主主義国家といわれるが、インドにはカースト以下のアンタッチャブルや女性蔑視が至る所に存在する。水源地から野を越え山を越え延々と長い列を作り女性たちが頭上に載せて持ち帰る飲料水・生活用水、その容器が水瓶である。この番組は旱魃がテーマである。それを象徴して重たい水瓶をWater Cupと名付けた。自分たちとはまったく縁のないイギリスのリッチ層のお遊戯、それをゴルフの優勝カップに見立てた。しかも今はなんでもコンピティッションの時代。ゴルフ同様に優勝杯争奪戦に仕立てようと知恵者が企画した。インド式皮肉と駄洒落をWater Cupから読み取って欲しい。このTV番組を立ち上げたのが2016年。マハラシュトラ州で評判を呼び、興奮はインド全土に広がっていった。そして翌年もと、毎年開催されるようになった。
2017・2018・2019年版を検索すれば、より理解が深まってくる。

この番組は全編ヒンズー語で語られ最初はその迫力に腰が引ける。だが英語の字幕(英語でSubtitle)なので安心だ。生徒たちとの観賞にまったく支障はない。インド人は早口だ。字幕が早送りで飛ぶように流れていく。字幕が変わるたびにスクリーン上でクリックする。そして英語を読解して生徒に説明する。これを延々と繰り返す。現場で苦労するインド人に比べれば楽な作業だ。Paaniというヒンズー語が“Water”を意味するとは生徒から教わった。生徒はワタシの先生である。

2016年の第1回目はマハラシュトラ州の干乾びた旱魃地帯から始まった。アアミール・カーンとその仲間たちの取り組みは中途半端ではない。ブレーンストーミングという言葉が陳腐に思えるほど彼らの着想は画期的で型破りであった。先ずはこのプロジェクトのバックボーンとなるPaani Foundation(*水基金)の組織作りに心血を注いだ。プロ中のプロ専門家が集められた。こんなことはどのTV局でもヤルだろう。コロナ対策でも専門家だらけだ。この仲間たちは違う。先ずは専門家の対極ともいえる現場の村人に注目した。貧しい村人たち、そして最下層の婦人たち、無力な子供たち、という農村社会の底辺の人たちを討論会に招待した。最初は女たちが躊躇し、討論会を牛耳っていた男社会も当惑した。インドでは長老指導の男社会ですべては決められ、女性たちは黙って周りを取り囲むだけだった。それは21世紀の今でも続いている。アアミール・カーンの仲間たちはインド伝統の宿痾(しゅくあ)に風穴を開けた。もちろん簡単に行く訳がない。真実の声が出るまで、女性たちが発言するまで集会は、何日も夜遅くまで延々と続いた。

語り草臥れた頃に誰かが農村の昔話を思い出した。大地がひび割れたこの村
も緑の草原に覆われていたという。遠い昔の話だ。カーンと仲間たちはその言葉を聞き逃さなかった。緑緑した草原がひび割れした大地に激変する。その長い年月を映像で表現できないか。絵コンテとグラフィックデザインが加わる。イメージだけではダメだ、科学的に立証する小チームが結成された。

昔話に科学の目が向けられた。それをパソコンで処理していった。ビジュアルは効果的だった。子供たちの目が飛びついた。お山の頂上に落ちた最初のひと雨が落ちる。巨大な一滴であった。その一滴が山のふもとの平野に到達して大河となっていく。

繰り返すがインドはミャンマーのお隣である。当然モンスーン雨季の影響を受ける。遠くに山々が連なりその向うから黒雲がやってくる。雨雲である。
山の南面・北面に雨雲は降雨となって降り注ぐ。一滴の水は一筋の線となり下に流れていく。二筋目、三筋目と合流するごとに線は太くなり小川となる。
ビジュアルな絵コンテは合流するごとに小川から中川、そして大川となっていった。水は高きから低きに流れる。子供も知る科学である。知恵者がWatershedという英語を使用した。分水嶺という意味だ。ここは日本語の方が分かりやすい。嶺に降る雨は南面と北面に分かれて下っていく。決して頂きを乗り越えて向うの斜面を下ることはない。試しに絵を描いて説明するとワタシの生徒も分かってくれた。

これらの絵コンテを順番にパソコンに取り入れた。
寡黙だった水資源の専門家がGroundwaterが描かれていないと指摘した。“地下水”という意味だ。絵コンテは地表を流れる雨水に囚われていた。表面に出ない“地下水”の存在に気付かなかった。寡黙な専門家が車座の農民たちに地下の出来事を話してくれた。地下水はモンスターのように生きている。
地下深く潜るときもあれ再び地上にあふれ出るときもある。山のふもとの平野部に湧く泉や湿地帯がそのしるしである。

水資源の専門家はGroundwaterに加えてEvaporateとPercolateという英単語も使用した。インドの農民のみならず、女性や子供もこれらの英単語を新しがって使用するようになった。あとの二つは“蒸発”と“浸透”という意味である。分水嶺で隔てられた雨水はそれぞれの斜面を雨筋の線として下っていく。この地区はトロピカルの南洋である。小川でも大河でも相当量が蒸発して消えていく。蒸発するだけでなく、地表を流れる川は地面に浸透して相当量が消えていく。

だが専門家はもっと科学的に教えてくれた。

蒸発して消えるのではない。浸透して消えるのでもない。
暑いので水は蒸発していく。上空は寒く水は冷却され雨雲となる。雨雲がやってくると雨となって地表に降り注ぐ。水は循環するという不思議な性質を教えてくれた。

同様に地面に浸透した地下水は深く潜るが、山のふもとでは地表近くに湧き出す。だから平野部では樹木が育ち草花が咲き乱れる。目には見えないが地下は巨大な貯水池であり、土壌に湿り気を与え、地面のひび割れを解消してくれる。

子供たちも理解させることができれば、それは教育の専門家である。そして子供が次世代の専門家となる。

ここはヤンゴンの教室内。YouTubeを見ながら生徒たちとの会話が熱を帯びてきた。
20ウン年前の話しだ。ロスの空港でアメ車をレンタルし中西部を4ヶ月間ひとりで走り回ったことがある。そのときの断片的な記憶から、人海戦術のインドと広大な大農場を大型機械で開拓してきたアメリカを比べてみたくなった。

特に『旱魃との闘い』を観賞したあとは、世界をリードしてきたアメリカ方式に重大な欠陥があることに気付いた。

世界中がアメリカの生活に憧れた。冷戦が終わりアメリカンドリームはさらに膨らんだ。盲目的にアメリカ追従が始まった。

だが『旱魃との闘い』後は、アメリカ方式は地球を食いつぶす表面的な華やかさだったことに気付かされた。

ワタシの乏しい経験を通じてアメリカを見直したい。特に地下水を!

ネバダ州とアリゾナ州の境に巨大なミード湖とコロラド川をせき止めたフーバーダムがある。人間がつくりだしたその壮大さにアメリカはでっかいと圧倒された。

カリフォルニアワインで有名な広大なナバパレーにも立ち寄った。そこでは強力なポンプで大量の地下水を汲み上げ、人影のほとんど見えない大農園に霧状のミストをスプリンクラーで散水していた。

砂漠のど真ん中に蜃気楼のように出現したラスベガスでも遊んだ。列島改造の教本になりそうな力ずくで造り上げた人工の街だった。地下水をふんだんに汲み上げ街の美化を謀っていた。カジノホテルの真ん前に巨大噴水をつくり上げ、ディズニーランドのような派手な電気仕掛けだった。超有名スターの豪邸が建ち並ぶハリウッドの高級住宅街もゆっくりドライブスルーした。

すべては鬱蒼とした森で目隠しされていた。今思うとラスベガス同様に地下水をふんだんに吸い上げて造り上げた高級住宅街であったと納得できる。特にカリフォルニアで例年のごとく発生する山火事・森林火災の解説を読むと、地下水が枯渇し塩分が地表に残される。林立する巨大な樹木は乾燥しきって、キャンプファイヤーだろうがマッチ一本でも着火するという。

カンザス州中心のトルネード災害に遭われた被害者には気の毒だが、『旱魃との闘い』の識者がインドの旱魃について指摘した言葉ではあるが、自然災害と思わされてきた災害の大半はMan-made-disaster=人間が造り上げた災害との新着想は不思議と納得がいく。庶民の嘆き・悲しみ・怒りを政治家は自然災害という言葉で安易に責任転嫁してきた。自然災害と言えば、人間の手ではどうしょうもない、と庶民を納得させられるからだ。『旱魃との闘い』では政治家との遣り取りを、非常に巧みに辛辣な言葉をオブラートに包み、政治家に屈服するのではなく、政治家を庶民たちの望む本来の解決に向けて動かしてしまうところが神業ですらある。

インドの番組からは逆転発想の賢い言葉が幾つも発せられた。そのひとつがSelflessで無私の気持を表している。
今の時代はいくら得するという金銭だけがモチベーションとなり、政府までもが税金をばら撒き次回の選挙で人気票として回収する魂胆だ。だがインドでは巧妙でしかも賢明だ。「おカネを提供してくれと頼んでいるのではない。

アナタの素手2本だけを差し出して欲しい」 この言葉は“無私”の労働を頼んでいる。それがモチベーションとなった。村人はインスパイアーされたのである。45日間の労働を総出で提供してくれた。毎週日曜日に放映されるテレビに都会の人間が釘付けとなった。感銘を受け感動したのである。矢も楯もたまらずバスをチャーターしてマハラシュトラの村々に駆け付けた。それでもたっぷり3時間の道のりである。全員が都会で働く裕福な人たちである。

4日間の休暇を取りボランティア活動に駆け付けた。ボランティアという言葉は本来は義勇兵を意味する。世界中で使用されるが、ここインドでは汗にまみれ、埃にまみれ、泊まるところも不自由な兵隊生活にかってない喜びを感じた。このインドでの出来事は次世代へ夢をつなぐ不思議な物語である。



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・03:ボンベイから出発してムンバイに戻る

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マハラシュトラの州都ムンバイはインド亜大陸の西海岸に位置しアラビア海に面する港湾都市である。余談となるが、この港町は旧名ボンベイと呼ばれ、その時代に貨物船のアテンドで何度か出張したことがある。それだけに懐かしい。
ムンバイの緯度を基準に地球儀を東に回ると、そのベルト地帯にミャンマーの首都ネイピード、タイのチェンマイ、中国の海南島、バシー海峡に臨むフィリピンの最北端、メキシコのメキシコシティーそしてユカタン半島、カリブ海のハイチ・ドミニカ、英・米領バージン諸島、アフリカ大陸のモーリタニア・マリ・ニジェール・チャド・スーダン、サウジアラビアの南端・オマーンを横切ってムンバイに戻ってくる。

マハラシュトラ州は一般には馴染みが薄いかもしれないが面積はインド第3位で、人口は第2位だそうだ。ムンバイから東に向かうとインドの代名詞でもあるデカン高原(*デカンはヒンズー語で“南”を意味する)にぶち当たる。
この地域は年降水量は600-1000mmで、全般に乾燥し、洪水(英語でFlood)や旱魃(英語でDrought)に見舞われることが多い。

ミャンマー各地を旅された方は大勢おられるだろう。
中央部の乾燥地帯はもちろん、このヤンゴンでも農地や舗装していない車道は亀の背中のようにひび割れして、岩石のように堅くなり竹や木の杭を打ち込もうとしても跳ね返されてしまう。始末の悪いことにモンスーン雨季には地面が粘土状のぬかるみとなり車輪をとられる。インドの寒村もまったく同様で、村人は生まれ育った土地とあばら屋を捨て、安い賃金の奴隷仕事しかない都会に逃げ出す。ミャンマーでもまったく同じ現象が各地で起こり、政権をクーデターで剥奪された政党NLDも、それを武力で剥奪したMAHも、問題の核心を何一つ見極めていなかったことに、このYouTubeおよび関連の番組多
数で覚醒させてもらった。

パパラッチに追われる高貴な方々も、パンデミックひとつでオタオタする世界の政治家にも、言論の自由を許さない独裁国歌にも、そして特に緑の草原豊だった広大な北米大陸を傲慢にも世界屈指の乾燥地帯にしてしまったアメリカの農産物地主およびアグロ・マフィアたち、そしてそれをバックアップしてきた政治家たちに、それからついでに島国のマスゴミにも、明るい未来を感じさせるYouTub番組『The Battle Against Drought (Hindi)/Satyamev Jayate Water Cup 2016/をここヤンゴンから新年のお年賀としたい。

今の世相の常として、このTV番組はヤラセだとか、アアミール・カーンは食
わせ者などの異論が出るかもしれない。
個人的にはこの粗筋をシンプルな英語で生徒たちに理解させることができれば、ワタシの勝ちと、試行錯誤の最中である。高速でふっ飛ぶ英文字幕を一瞬に読み取る技術は、ほんのわずかだが進歩した気がする。これだけも儲けモノだ。



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・04:ヒンズー語ビデオ観賞のカギ

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Paaniとはヒンズー語で“水”を意味する。
だからPaani Foundationとは『水基金』というNGO団体のことである。この水
キキンが水飢饉にも引っ掛けていたら、恐れ入谷の鬼子母神である。
この基金を創設した重要人物はSatyajit Jayate(*執行役員のトップを務め、
この人物の知見と配慮には卓越したモノがある)、そしてアアミール・カー
ンの二人である。この二人はそれを即座に否定し、主役は農村のすべての農
夫たちで、特にインドの古い風習で延々と水汲み運搬を代々続けてきた女性
たち、そして荒廃した家庭生活で学校にも行けない子供たちだと反駁する。
メガスターがナゼ生まれたのか、こういうところに秘密が隠されていそうだ。
さらには世界中で大流行の得体の知れないNGOにも苦言を呈している。

それに加えてChief Ministerという大柄の人物が登場する。マハラシュトラ
州の首席大臣である。役職名であるC/Mを覚えておけば話は理解しやすい。
首席大臣と言えば桜を見る会を断われないほどの凄みと威力がある。このC/M
はメガスターと出合った機会に、州政府のブランド大使に利用しようと悪知
恵を働かせた。インドが抱える旱魃と貧困については話題は盛り上がった。
自然災害だから為す術がないと大臣は天を仰いだ。だがカーンは別の考えが
あると応え、実際に現場で取り組んでみたいと語った。その上で大臣にもう
一度会いたいと応じている。権力者である大臣に忖度せず、大臣を手玉にとっ
ている感さえある。大臣のメンツを傷つけず、しかもそれを悟らせない。こ
の辺りをたっぷりビデオで鑑賞して欲しい。

インドという国は老獪で狡猾な大英帝国の下で奴隷扱いを受け苦悩し続けて
きた。それはミャンマーも同様である。
そしてガンジー、ネルー、その娘インディラ・ガンジー、そのまた息子ラジー
ブ・ガンジーと苦悩は延々と続いた。
そういう苦悩を忘れずに伝承して引き継いできたからこそアアミール・カー
ンのような人物が出現したのかもしれない。

同じことはユダヤの民にも言える。祖国を追われ苦難の歴史を背負った民族
は、その苦難の歴史を代々延々と子供に教えてきた。ソ連にも新大陸アメリ
カにも離散した。いわゆるディアスポラである。子供に教えるなどという生
易しいものではない。叩きこんできた。その成果がハリウッドで一大勢力と
なり、ニューヨークでウォール街を牛耳った。いまは陰謀論が大流行だがユ
ダヤ人がイスラエルを建国できたのも苦難の歴史を自分の子供に何度も繰り
返し伝承してきたからだ、というのがワタシの解釈である。伝承を怠り自分
の子供にすら歴史を語り継げない国民は、ミャンマーをはじめとして幾らで
もいる。その視点から歴史を見ると、国民が破綻し、国家が破綻しているこ
とが、パンデミックを通じてハッキリと露呈してきたような気がする。

カーンと仲間たちは、教育を受けたことのない村人たちに、グラフィックデ
ザインを駆使して大スクリーン上にビジュアルな絵コンテを蘇らせた。
賢明な指導者が一言注意した。カーンが考えていたことである。
退屈な授業は止めよう。授業は楽しくなければならない。平凡なことだが、
政治家も学校の先生も気付かない哲学である。
この問題に取り組んだアアミール・カーンは仲間たちに語っていた。子供時
代、学校はオモシロくなかった、退屈だったと。

その哲学に添った実践学はワタシの解釈では以下のようになる。
底辺にいようがインドの民衆は歌や踊りが大好きである。学校教育も歌やダ
ンスのように躍動するものでなければならない。退屈などもってのほかだ。
そこで長老会議そっちのけで昔に戻り歌とダンスに全員を参加させた。祖母
も嫁も、娘も子供も夢中になった。村人の心が一体になった。長老の気持も
ほぐれてきた。驚いたことに若い男性が水がめ運びに参加するようになった。
長老たちの顔が曇った。だが若者は気にしなかった。女性陣がそれを歓迎し
た。周りを気にして迷っていた若者が手を取り合って参加してきた。力強く、
スピードも速いことを、若者は競い合った。

アアミール・カーンとその仲間は古臭い伝統に風穴が開きそうな予感がした。
そこでさらなる一捻りを考えた。
世界の風潮は競争、競争である。学校も競争だ。
それをこのお祭り騒ぎに持ち込んだ。そこで考え出されたのがストロー・ゲー
ムである。英語でもStraw Game、
これは巧妙に仕組まれたゲームであった。

4つのチームが結成された。家族単位である。各チームは3名。祖父・父親・
息子から成り立つ。
大きなタライの周りに祖父が呼び出された。タライは水で満タンとなってい
る。その周りには空っぽのペットボトルが取り放題である。
祖父にストローが配られた。ヨーイ・スタートの合図で4人の祖父がストロー
でタライの水を吸い込み、それでペットボトルを満タンにする。満タンになっ
たペットボトルの数で勝敗が決まる。

最初は若者の遊びと高を括っていた老人も必死になってストローに吸い込む。
なかには咳き込む老人も出てくる。若い男たちが手拍子で自分の父親に声援
を送る。後から祖母・嫁・娘などの手拍子と歓声で大ホールがどよめく。子
供たちが周りを走り回り自分の祖父を鼓舞する。長老会議の深刻さ、物々し
さは微塵もない。村中の老若男女が一体になった瞬間だ。あっという間にタ
ライの水は空っぽになってしまった。優劣はまだ決められない。審判を務め
る主催者が選手交代を告げる。次ぎは父親の番だ。若いだけに4チーム共に全
員張り切っている。フライング気味のスタートである。ホール館内は割れん
ばかりのどよめきである。老獪で狡猾な審判はニヤリともしない。さすがに
働き盛りの父親である。あっという間に満タンだったタライは空っぽとなっ
た。それぞれのチームのペットボトルが慎重に横に取り分けられる。最後の
子供組で決着がつく。要領を理解した子供が4人家族を代表して決戦に臨んだ。


祖母・母親に加担して祖父までが手拍子で踊っている。男の風上にも置けな
い。ハシタナイ。だがその顔は喜びに満ち溢れていた。
4人の子供はストローを口に勇んでいる。だが老獪で狡猾な審判は長老のよう
な顔付きでじっとタライを見つめている。両手を広げて焦る子供たちを押し
留めている。タライは空っぽだ。全員の目が審判に突き刺さる。口には出さ
ないが、ナゼ?タライに水を注がないのだと糾弾している。それでも審判は
不動だ。

暴動が起きかけたとき、審判はそれを手で制した。
「祖父の代に競って水を汲み上げる。その息子の父親の代も一緒だ。自分だ
けの利益のために地下水を汲み上げる。そして今、若い息子の世代に必要と
する水は一滴もない。次の世代の子供たちよ、ストローゲームを続けようと
しても、水は一滴も無くなった」
あれほど騒がしかった大ホールーがシーンとなった。誰も声を挙げない。ピ
クリとも動かない。

どれはど時間が過ぎただろう。
利口な若者なのだろう。多分。はっきりと区切るようにパチッ、パチッとゆっ
くり拍手をした。それに感応した拍手が別の場所から聞こえる。
次々に連鎖反応のように拍手が大ホールを揺るがした。
苦虫を噛み潰していた審判がニヤリとする。
皆の歓声を押し留めて審判が大きな声で叫んだ。「ストローゲームに勝ち負
けはない。このゲームの真意を理解できれば、全員が勝者だ」

『旱魃との闘い』には生徒に説明するには難解な、古い仕来り、姑息な対応、
安易な政治決着、裏取引、などを巧みに隠して演出している。
二回、三回と鑑賞するたびに何かを発見する。師走も押し詰まった。ここら
で2021年に終わりを告げたい。
スピーチはスカート同じで短いほうがヨイとのお叱りも頂いた。話が長いの
は生まれつきである。もうじき三途の川を渡るので勘弁願いたい。

ヤンゴン時間12月29日(火)午前10時55分。ただいまより発信トライ。停電
とWiFiはOKなようだ。

東西南北研究所



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