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<ミャンマーで今、何が?> Vol.40
2013.4.17

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar


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・01:AAA:(政治)
  -A1:27年ぶりにスーチーNLD党首が訪日
-A2:テインセイン大統領が新年のスピーチ

・02:BBB:(経済)
-B1:ミャンマーのテレコム革命に12社が応募

・CCC:(生活一般)
-C1:大手のメディアグループが大規模な水掛祭りを計画

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<AAA:(政治)> 

○A1:27年ぶりにスーチーNLD党首が訪日

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週刊メルマガ「ミャンマーで今、何が?」はヤンゴン発信のミャンマー情報誌である。スーチー党首の日本におけるエピソードは日本のメディアが細かく伝えるはずなのでそれをわざわざヤンゴン経由で日本の読者にお伝えする愚は犯したくない。

だが、スーチーさん訪日の意義についてならば読者のご寛容をいただけるのではとこのストーリーに言及してみた。

ヤンゴンのシンクタンク東西南北研究所はこれまでの主だったスーチーさんの海外旅行をセンチメンタル・ジャーニーと名づけた。

それはまだ家族の絆が破壊される前の、将来の夫マイケル・アリスと出会い、二人の男の子をもうけ、家族の愛を育んだもっとも幸福で平和であった英国のオクスフォード大学であり、当時のウタント事務総長の計らいでNYの国連で仕事をした米国であり、今ではビルマ建国の父とされるアウンサン将軍の暗殺後、母親ドー・キンチーのインド大使としての赴任に伴い若きスーチーさんが女学校・大学時代を過ごしたインドであった。これらはスーチーさんにとってすべて甘酸っぱいセンチメンタル・ジャーニーであったろう。

だが、運命はその後、彼女に非情で過酷な人生を歩ませ、偉大なる魂ガンジーから学んだ非暴力抵抗のみで残虐無比の軍事政権に立ち向かっていった。その勇気と信念に対して西洋社会はノーベル平和賞という最高の栄誉で激励した。そして世界のマスコミがこのほっそりとした、だが芯の強い女性に注目し、世界中が彼女を応援し、その軍事政権を非難するようになる。

だが、日本訪問はすこしばかり趣が異なる。決してセンチメンタルな面だけではない。1985年から1986年にかけてスーチーさんが京都大学の研究員として在籍したのは、かの有名な“30人の志士”のリーダーともいえる父親アウンサン将軍の日本での足跡を勉強するためだったと伝えられている。インド人にとってもそうだが、当時のビルマ人にとっても 大英帝国の圧政から独立したいというのは一国の命運をかけた彼らの悲願であった。

噂によれば、スーチーさんは普通の日常会話に不自由しない程度の日本語は理解できると言われている。これは当たり前の話で、京都大学での研究員時代、日本およびビルマでのアウンサン将軍を知る日本人へのインタビュー、そして軍関係者に限らず文献での調査にも日本語は必須だったはずだ。それだけではない。15年間という自宅軟禁を含む拘束時代にも日本語の学習は続けたという。だから、スーチーさんが日本語を話したという事実に驚き彼女は親日的だ、あるいは京都大学で学んだから当然だと表面的に評価するのではなく、この時期に彼女は父親アウンサン将軍を通して、どうしてアウンサン将軍が日本を訪れたのか、そして大英帝国の圧政下にあった真のビルマの近代史を学んだのではないだろうか。これらがすべて不条理な歴史の中でもてあそばれる現実のビルマに思いを馳せるきっかけになったのではないだろうか。

それが証拠には、日本から英国のオックスフォード大学の我が家に戻ったスーチーはこの頃から夫のマイケル・アリス博士に、もしビルマの人たちが私を必要とするなら、私はビルマの国に一身を捧げたい。これが国父の血を引いた私の宿命だと語るようになる。日本での研究が彼女の精神的バックボーンを形作ったというのが東西南北研究所の無謀な推論である。

オックスフォードに戻ってわずか2年後、母親ドー・キンチーが危篤との報せをラングーンから受け取る。取るものも取り合えず彼女が一人でラングーンに舞い戻ったのが運命の1988年である。そして1988年8月8日、ビルマ国軍の圧政に対してビルマ全国で学生が立ち上がり、かってない大規模な学生デモが首都ラングーンで吹き荒れた。手の打ちようがない軍事政権は自国民に対して銃口を構え、“8888”は歴史に刻まれる血の大虐殺日となった。

一時帰国のつもりであったスーチーにビルマ建国の父アウンサン将軍の血を引き継ぐものとしてそのイメージを重ねあわす学生および一般庶民は彼女だけがビルマ唯一の救世主としてその運命を負わすことになる。

歴史に “もし”はないということは重々承知しているが、もしスーチーさんの京都時代がなかったら、はたして“8888”で彼女は立ち上がったであろうか?当シンクタンクの素朴な疑問である。

アウンサン将軍の歴史的な運命を変えたのはこの日本で、奇しくもその娘アウンサンスーチーの歴史的な運命を変えたのもこの日本だったのではなかろうか?というのが我々の無責任な推論である。

確かに今はミャンマーブームで、日本の政治家も、日本の実業界も、ミャンマーだ・スーチー党首の訪日だと狂奔しているが、両国関係の重要な意義は歴史のもっと深いところで脈々と流れているのではないだろうか。そのあたりを最も冷静に自覚しているのはスーチーさんだけのような気がする。そしてわずかにあと2年しか残されていないミャンマー大統領の座を目指すスーチーさんは今政治家としての構想を胸に抱きながら、日本の指導層との話し合いに臨んでいるのではないのだろうか。それはテインセイン大統領が嘱望した経済的支援だけではない、ミャンマーという国の命運を語るステートマンとしての夢を託したものではないのだろうか。

決して日本はこれまでのようなセンチメンタル・ジャーニーだけではない。父親の決心を追慕し学んだのはこの日本で、京都大学であったような気がする。

それだけに彼女の哲学そして将来の展望が京都大学、龍谷大学、あるいは東京の大学でのスピーチから読み取れるかもしれない。注目したい。


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A2:テインセイン大統領が新年のスピーチ
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日本の新年は1月1日。中国の太陰太陽暦による旧正月は2月以降。そしてミャンマーでは4月が新年となる。大晦日に当たる新年の前日3日間は、旧年の悪事・凶事をすべて洗い流す“ティンジャン”と呼ばれる水掛祭りがミャンマー全土で盛大に繰り広げられる。この水掛祭りは日本で4月8日に釈迦立像に甘茶をかける潅仏会とルーツは同じものだそうだ。

狂乱の3日間が終わるとミャンマーに打って変わって静寂な新年が訪れる。家族は晴れ着を着て湖や川辺に行き生きた魚を放流し、籠の鳥を空中に逃がしてやる。一年の初めを仏教の国らしく殺生とは対極にある功徳を積む行いでスタートするわけである。そして各人が一年の計を図ることは日本と同じである。

テインセイン大統領はその新年に当たってのスピーチをラジオでミャンマー全土に流した。民主化を達成するためには過去20年間我が国を壊滅させた暴力と不安定な政情から学び取る必要があると語りはじめた。

テインセイン大統領は新政府発足後、過去に前例のない改革を次々に成し遂げてきた。しかし、北部ではカチン州反乱軍との戦いが続き、西部ラカイン州では宗教上の争いが勃発し、ミャンマー中央部では反イスラム教徒の大虐殺が先月起こり、メイチーラでは43名の死者まで出す結果となった。我々は希望すら持っていなかった数々の成功を成し遂げ、希望などしなかったショッキングで悲しい出来事に遭遇している。しかし、民主化へ向けての長い道のりでこの勝ち得た成功は死守し、更なる挑戦に立ち向かうにはこれらの失敗から学ぶ必要があると語っている。

そして大統領は象徴的に水掛祭りを引用し、水はこれまでも過去の悪事を洗い流してきた。だから今年の水祭りは国民を襲ってきたこれまでの対立や不穏な動きを一掃して洗浄するチャンスとして使用しようではないかと語った。



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BBB:(経済)

B1:ミャンマーのテレコム革命に12社が応募

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ミャンマー政府はテレコム通信参画の候補会社として12社を認定し、その最終リストを発表した。これらの12社は6月3日までに詳細な最終案を提出することになっており、政府は6月27日に勝者2社を発表し、残り10社は敗退することとなる。 

これら12社には世界最大のモーバイル通信会社上位2社である中国モーバル社とボーダフォン社が組んだコンソーシアムが入っており、残り11社はシンガポールテレコム社、インドのBharti Airtel社、MTN Dubai社、ジャマイカのDigicelグループ、日本のKDDI Corp社、住友商事、マレーシアのAxiata Group Bhd社、ノルウェーのTelenor社、Millicom International Cellular SA社、カタールテレコム社、ベトナムのViettelグループが名を連ねている。 



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CCC:(生活一般)

C1:大手のメディアグループが大規模な水掛祭りを計画

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大手メディアグループのForever GroupとMyanmar Index Creative Villageが共同主催し、ヤンゴンのミンダー広場で“Eternal Thingyan 2013”と名付けた大規模な水掛祭りを企画している。この水掛祭りは4月13日から16日まで行われ、広大な広場は5つのゾーンに特別な趣向が盛り込まれ、歌と踊りのステージも設けられることになっている。

主催者側はこれまでにない大掛かりな新年カウントダウン2013年を企画し、すべての人たちがティンジャン(新年の水祭り)を楽しめるよう、警備体制も厳重にしたと語っている。

第1区の水のトンネルは皆がずぶ濡れとなる趣向で、第2区が泡まみれのパーティーでDJにあわせて泡まみれで踊り狂う、第3区は宝島と名付けいろんな趣向のゲームが楽しめ、第4区は海辺のラウンジといってレストランや土産物屋が並ぶ、第5区はステージ上で歌のコンテストが繰り広げられる。

最後の4月16日には感謝祭コンサートが行われ、いろんな賞品も用意されていると主催者は語った。







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