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<ミャンマーで今、何が?> Vol.363
2020.05.22

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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━

■ボビー・ジョーンズ物語

 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)

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何かを知りたければ、その原典に戻る。その故郷を訪ねる。それが東西南北
研究所の鉄則だ。私の友人は心からゴルフを愛している。それは旦那だけの
趣味ではなく、家族とも一緒で、家族を非常に大事にしている。普通の日本
人とはまったく異なる。そこが気に入った。

自粛を強いられた昨今、NHKのニュースでも、出社を禁止された多くのゴルフ
ァーが多摩川の練習場に押しかけた。テニスも人気だが、ゴルフ人口には敵
わない。

ゴルフといえば、私のコレクションに取って置きの海賊版DVDがある。ゴルフ
といえばなんといってもその故郷は英国のセント・アンドリューズだろう。
しかもそのオールド・コースでプレーしたことがあれば、スコアーは別にし
て一目置かれることは間違いない。

物語はそこで優勝したことのあるゴルファーの話しである。それが『BOBBY
JONES STROKE OF GENIUS』である。これを友人に贈呈した。と言ってもDVD
の題名をメールしただけで、購入・鑑賞は勝手にとお願いした。

ゴルフは日本でも人気なので、いまの時期、自宅で楽しんでいただければと、
読者諸氏にもとSTAY-AT- HOME番外編としてご紹介したい。題名は下手な和訳
だと「ボビー・ジョーンズ ショットの天才」となる。

先ずは基礎知識をと百科事典で調べてみた。1902年アメリカ・ジョージア州
のアトランタ生まれ、1971年アトランタで亡くなっている。ゴルフ好きなら
アトランタと聞いてひょっとしてと思うはずだ。紛れも無くそうだった。

ボビー・ジョーンズはアマチュア・ゴルファーとしてプレーし“球聖”と称
えられた。アトランタで生まれた“ボッブ”(この愛称で呼ばれるのを自分
でも好んだ)は病弱な少年だった。ゴルフが体力増強に役立った。子供ゴル
フ・トーナメントで優勝したのが6歳で、天才児として頭角を現した。

そして地元アトランタのみならず国内のアマチュア・チャンピオンを総ざら
いし、当時のトップ・プロ、ウォルター・ヘイガンやジーン・サラゼンをた
びたび負かした。彼の偉大さは大西洋を挟んで米国と英国でグランドスラム
を成し遂げたことにある。映画にも大西洋を横断する豪華客船が何度か登場
し、デッキ・ゴルフのエピソードも挿入されている。

そして若干28歳でアマチュアを引退すると、伝説となるあのオーガスタ・ナ
ショナル・ゴルフ・クラブを地元アトランタに構築するデザインに取り掛か
り、アメリカゴルフ界の金字塔マスターズ・トーナメントの開催に注力した。


だからこのDVDでは荒涼としたイギリスのセント・アンドリューズの風景とア
メリカのオーガスタ創設の伝説を楽しむことが出来る。英語ではBiopicと言
われる典型的な“伝記映画”である。

地元紙アトランタ・ジャーナルの老練記者Oscar Bane Keeler(通称“O.B.”)
がこの少年ゴルファーのドライバー・ショットを初めて見たとき「何て綺麗
なフォームだ!」と感嘆するシーンが出てくる。この“O.B.”は生涯を通じ
て、ボビーの熱烈なサポーターで、人生のメンターであった。

ということでゴルフ好きの皆さん、多摩川の練習場もひとつの手だが、自宅
の大型スクリーンでボビー・ジョーンズの華麗なフォームを瞼に焼き付ける
ことも、上達方法ではなかろうか?
それとも下手は下手と諦めるのも人生である。私のように。

アメリカでボビー・ジョーンズを知らぬ人はアメリカ人ではない。そしてマ
スターズのシーズンが巡ってくるとボビー・ジョーンズに想いを馳せ、アメ
リカには誇れる人物がいたことを知る。ジャック・ニクラウスとタイガー・
ウッドを思いつくのは日本人だけである。

全米アマ(1924,25,27,28,30)、全米オープン(1923,26,29,30)、全英オー
プン(1926,27,30)、全英アマ(1930)に優勝。不滅の金字塔グランド・ス
ラム(四大公式競技の年間四冠王)を達成した。その内の幾つかはこの映画
で再現されている。

彼の活躍した1920年代の超花形プロスポーツ選手といえば、野球のベーブ・
ルース、ボクシングのジャック・デンプシー、テニスのビル・チルデン、ア
メフトのレッド・グランジである。その中にボビー・ジョーンズの名前が神々
しく輝いている。

ボビーはマスターズが出来る以前にグランドスラムを成し遂げた英米、プロ
アマを通じて唯一のゴルファーであった。グランドスラム達成の1930年にボ
ビーは29歳の若さでアマチュア・チャンピオンを引退した。

1925年USオープン第1ラウンドでの出来事だった。第11番ホールの小高いグリー
ンを彼のアプローチショットはこぼれて、深いラフの中に入ってしまった。
スタンスを構えピッチショットでピンを狙う。クラブヘッドが草むらに触れ、
誰も気づかなかったがボールが僅かに動いたそうだ。

ボビーはショットを打ち、対戦相手のウォルター・へーガンとUSGAの公式役
員にその旨報告し、自らワンペナを科した。へーガンは何も語らない。そし
て試合は続行した。ラウンドを終了し、スコアーカードに署名する段階で、
USGAの役員はその事実を目撃していないと言ってボビーと論争した。ボビー
は公式ルール第18条に違反したとして76ではなく77と記載した。

これによって試合はプレーオフとなり、ボビーはこの試合を落とした。
この事件は多くのスポーツ記者から美談として絶賛された。
だがこのような褒められる事件だけではない。

1921年のUKオープンはセント・アンドリューズのオールドコースで開催され
た。
ボビーは生まれて初めてこの名門コースでプレーした。その難しさはボビー
の忍耐の限度をはるかに越えていた。第3ラウンドの11ホールを終わった時点
で、ボビーはスコアカードを破り捨て、その時点で失格となった。実際には
第4ラウンドまでプレーを続けたようだが、このオールドコースは大嫌いだと
語った。

セント・アンドリューズの人たちも、お返しに記者団に語っている。
「アメリカのチャンピオンと言ってもボビーはまだ子供だよ。ありふれた普
通の子供だよ。」
この後ボビーはこのオールドコースが大好きになり、この町にも特別の愛着
をもつようになった。

1927年このオールドコースで開催された全英オープンで優勝したとき、ボビー
は語っている。
「この優勝トロフィーはアトランタに持ち返るよりも、私の友人であるセン
トアンドリューズの人たちに大切に保管していただきたい」と語り、町中の
人たちを大興奮の渦に巻き込んだ。
映画の最初で、セント・アンドリューズの人々が大勢、大人から子供まで、
ボビーを歓待するシーンが見られる。

そしてボビーは1930年の全英アマでも優勝している。そのときのスコアーは
驚異的で、第4ホールのパー5がダブルイーグルの“2”と記録されている。
しかもそれはフェアウェーバンカーからの第2打が直接ホールインすると言う
奇跡を起こした。(*現在の第4ホールはパー4)

ボビーとセント・アンドリューズの関係は一般の人々だけではない。ボビー
とキャディの関係も濃密である。最初は生意気なアメリカの小僧がと、鼻先
で馬鹿にしていた老キャディがボビーのベストフレンドになるのである。イ
ギリス人と交際した経験のある方はお分かりだが、彼らは実に老獪で大の皮
肉屋である。

アメリカ人は“ファンタスティック!”“クール!”“グレート!”とか過
剰なほどの褒め言葉をストレートに表現するが、イギリス人が“ Not so bad!
”と苦々しく口にしたら、それは最大の褒め言葉なのである。文字通り「ウー
ム、それほど悪くない!」と和訳したら、イギリス人を理解していないこと
になる。それほど英米の差はある。特にボビーの時代はそうだ。

そしてこの老キャディとの再会シーンも登場する。
ベンチでうたた寝をする老キャディが目を覚ますと、そこには紛れもないボ
ビー・ジョーンズが立っている。小池ゆりこの時代よりもはるかに濃厚接触
の人生がそこにはあったような気がする。

ついでに言うとこの時代というものがクセモノである。
多摩川のゴルフ練習場の感覚でこの映画を見ても、何の役にも立たない。時
代を見ないと何も見えてこない。

幼いボビーが父親の友人たちが楽しむ棒フリに興味を抱く。盗み見るように
こっそりと付かず離れずで着いていく。そこからボビーの伝記ははじまる。
父親の家庭がかなり裕福なことに先ず気付く。当然ゴルフ仲間もそれなりの
地位にある。

スーツを着込んだ祖父が登場するが、彼は厳格なサバタリアンである。
Sabbatarianとは土曜日を安息日とするユダヤ教徒か、バプテスト派の信徒で
ある。あるいは日曜日を安息日として厳守するキリスト教徒である。

日本では安息日の意義を考えずに週休二日、三日と増やせば喜ばれると勘違
いされている。だが金曜日のイスラム教徒を含めて、この日は労働をしない
契約となっている。旧約聖書にも六日間で神はこの世を作り、そして次の一
日を安息日と神は決定した記述してある。

それぞれに金・土・日と安息日は異なるが、この日は呼吸をすること以外は
すべて労働とみなされて、畑仕事も軍事活動も神に対する裏切り行為となる。
だから精神の腐った汚い連中は相手の安息日に奇襲攻撃を仕掛ける。

サイドストリートして、祖父・父親・少年ボビーの関係が非常にオモシロイ。
祖父は厳格なサバタリアンで安息日にゴルフを楽しむ自分の息子、すなわち
ボビーの父親を苦々しく思っている。その父親が自分の孫であるボビーにゴ
ルフのマネゴトをさせるのも気に食わない。

その祖父が父親たちがゴルフに出かけた留守に訪ねて来る。時代である、黒
人の住み込み家政婦(子供の面倒をみるから“ナニー”と呼ばれる)がコカ
コーラでもお持ちしましょうか?と訊ねる。途端に不機嫌になり「聖書には
コカコーラは書かれていない。冷たい水をくれ!」と応える。

鋭敏な読者はピンときた通り、コカコーラはジョージア州アトランタが故郷
である。
ニッポニカによれば、アトランタの薬剤師ペンバートンが、偶然の機会から
つくりだした水溶液で、コカコーラの商標が登録されたのは1886年とある。
その後アトランタの薬剤師キャンドらーが製造権を2300ドルで譲り受け大々
的に売り出した。生産・販売を免許制にし原液を卸すというフランチャイズ
方式で世界の飲料品メーカーに伸し上がった。

そのゴルフ嫌いの祖父がボビーの大事な試合を気になって仕方がない。当時
最新鋭の報道媒体はラジオである。自分の書斎で仕事中に誘惑に負け、つい
にラジオをつけ孫の優勝に万歳する。
だが祖父・父親・ボビーが同席する食事のテーブルでは、祖父と父親が激し
く口論を繰り返し、父親がボビーはオレの息子だと怒鳴り返す。

ソリューション、ソリューションと言っても、時を掛けねばならぬときもあ
る。AIでは解けない問題もある。ボビーの優勝パーティで祖父と父親が不承
不承握手をする、その二人を主人公のボビーが大きく抱え込み涙する。すべ
てを飲み込んでいた年老いた“O.B.”がこれはどんな勝利よりも価値がある
とつぶやきボビーと目配せする。

いま時代は世界的なパンデミックで、自国ファーストの時代に向かっている。
それが愛国主義だとほざいている。ウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカは経
済ではなく“愛”について語った。それは自国防衛・擁護だけではない。そ
れを飛び越えたところにある大事なモノについて、人類ひとりひとりが哲学
せよと覚醒させてくれたような気がする。

どうせハリウッド製の伝記映画だと決め付けるのは結構。だが映画も書籍も、
そのヒントを与えてくれる起爆剤のようなものだ。自宅待機のいまだからこ
そ、これをチャンスにしたい。

これは伝記映画なので、ネタバレの批難も受けないだろう。それぞれに楽し
んでいただきたい。

上記以外にも、ヒッコリーのクラブが出てくる。そしてクラブハウスにはク
ラブヘッドを削ったり、グリップの調整をやる工具小屋まで備えてある。そ
のオヤジがボビーの最初の子供用クラブを製造してくれ、父親の顔色を窺い
ながら、あれだけ興味を抱いているのだから、やらせてみたらどうだと、応
援してくれる。その代金はボビーが拾い集めた一個20セントのロストボール
だ。

ところでボビーの本業は弁護士である。引退後の1934年、生まれ故郷のアト
ランタにオーガスタ・ナショナル・ゴルフ・クラブを創設し、ゴルフ界で最
も権威あるマスターズ・トーナメントの開催に尽力した。

この映画の見所は至る所に転がっている。
「あっ、その映画は見ました!」「あの本は読んだヨ!」という人の話しは
私は信じないことにしている。ミャンマーの学生が「マンマ・ミア」を知っ
ていると言う。話し始めたが会話が続かない。結局のところ知っていたのは
名前だけだった。

これは自戒を籠めて語るのだが、同じ映画・本でも、20歳代、40歳代、60歳
代、それぞれに新発見があり、一回だけでその映画あるいは本を理解したと
思うのは思い上がりも甚だしいと感じる今日この頃である。だからというわ
けではなないが、私は本が捨てられない。寺山修司の真似は絶対に出来ない。


この映画の最初に主なクレディットが流れる。
そのバックグラウンドに映るのが英国スコットランドにある荒涼としたセン
ト・アンドリューズのオールド・コースである。グリーンに近づくほどフェ
アウェイは連山連なるように波打ち、至る所に仕掛けられた絶壁のようなバ
ンカーが行く手を阻む。ピンが見えない。背伸びしてもジャンプしても見え
ない。絶壁の上に出てようやく確認できる。ピンが揺れ旗が激しくはためく。
ここは北海の寒風が吹き込む海浜コースであることが思い知らされる。

プレイヤーにとっては特にそうだ。

最近の映画はクレディットを見逃しては話が始まらない。
主役スターや監督は当然だが、ジックリ検証するとハウ・ツー・メイク・映
画の裏方が見えてくる。Crowd Fundingと日本では昨今騒いでいるが、ハリウ
ッドではBlockbuster(*大ヒット作)を夢見てオレもワタシもと大金を賭け
る。クレディットには“Producer”として続々と登場する。

日本語でプロデューサーと書くと、意味不明の職業となる。ハリウッドの“
Producer”は賭博師である。稼いだ大金を丁か半に張るのである。当たれば
プライベート・ジェットでも豪華ヨットでも思いのままだ。あるいはテキサ
スに広大な牧場を買っても良い。ハリウッドでは綺羅星のごとくアメリカン・
ドリームを生み出してきた。

野心家の小説家、脚本家が千に三つしかないビジネス・アイデアを持ち込ん
でくる。プレゼンがはじまる。カネの匂いに敏感な人種が周りを囲む。プレ
ゼンは説得力がなければ時間の無駄だ。最近売り出しの誰々を主役に据えよ
う。脇役は誰にする。大物スター、中堅スター、明日のスターを目指す大部
屋の役者たち、選り取り見取りだ。だが契約金は?スケジュールは?と話が
具体化していく。

ゴルフをやったことのない役者なら、コーチも必要だ。ジョージア訛りが喋
れなければ教師をつけて特訓だ。ハリウッドにはそのノウハウが蓄えられて
いる。名門クラブ内部のロッカー、食堂がデザインされる。撮影が許されな
ければ、セットを組まねばならぬ。大道具・小道具と大工仕事のチームが組
まれる。

時代は1920年代、1930年代である。登場するゴルファーの服装も異なる。い
まどきニッカーボッカーは流行しないが、時代考証でネクタイとハンチング
も常識だったことを知る。婦人の服装も同様である。登場する乗用車も、馬
車のコーチも、町並みまでが、当時をリアルに再現せねばならない。タクシー
までもが垂涎のクラシックカーである。

舞台は第二次大戦前だが、コンピューター・グラフィックやドローンの技術
でバーチャルな世界が出現する。第一打が高く上がり放物線を描いてフェア
ウェーに落ち、ポーン、ポーンと弾み飛距離が伸びる。観客の目はその弾道
を追いかける。飛行中のボールにCGで蜂が一匹しがみつくことも可能だ。集
音マイクでカップに入る音まで拾える。

このように気楽に鑑賞しているが、How to make filmの製作側は大仕事が待っ
ている。それはバクチに匹敵するギャンブルである。映画の最初に流れるク
レディットは、この映画の導入部で短いが、映画が終わって最後に流れるす
べてのクレディットは平均10分ぐらいかかる。一般の観客は帰宅を急ぎ出口
に急ぐが、私の楽しみはその10分を鑑賞することにある。その頃は出口もガ
ラガラでタクシーも拾いやすい。

話を本題に戻そう。
英語の名称は「Royal and Ancient Golf Club of St.Andrews」と格式高く、
世界で最も古い歴史と伝統を持ち、ゴルフの総本山とされる。日本のヤーさ
んが簡単にプレーできないクラブでもある。イレズミのせいではなく、氏素
性が問題にされるからだ。英国でタトゥーをした紳士淑女は幾らでもいる。

導入部のクレディットが終わると、時代考証を経たクラシックカーが英国の
田園を過ぎて石を貼り付けた門柱を通り抜ける。そこには“ST. ANDREWS”と
のみ刻んである。セント・アンドリューズの町中に入ったのだ。行く手を綿
羊の群れが横切り乗用車はスピードを落す。羊飼いがハンチングをつまみ軽
く挨拶する。ボビー・ジョーンズはアメリカ人だが、周りは完全にイギリス
の世界である。

ここからボビー・ジョーンズの物語が始まる。ゆっくりと楽しんで欲しい。
町中に入ると“St. Andrews, Scotland, 1936”と字幕が出る。最後に全英オー
プン・アマに優勝したのが1930年だから、あれから6年後に英国を再訪したこ
とになる。それにしても第二次世界大戦の勃発前だ。

カウントリーハウス式の自宅のベランダで7人ほどのゴルフ仲間がロッキング
チェアや手すりにめいめい腰掛け、ビールを飲ったり、バーボンを片手に、
ゴルフ談義が始まる。「ゴルフで学んだことがある。君、100以上叩けば、ビ
ジネスの仲間入りは無理だね。だが70以下でもビジネス界から爪弾きだ!」

プレーを見学していたご婦人が「どうして1ラウンド18ホールに決まったの
かしら?」と問いかける。「マダム、その昔セント・アンドリューズで正に
その数を決定する会議が開かれてました。」と紳士が応える。

「ひとりの有力メンバーが立ち上がり語ったのです:ウィスキーの1瓶からは
グラスで18ショット取れる勘定らしい・・と。No.18ホールをちょうど終えた
ときに、ウィスキーボトルは空っぽだったという話です!」夫人がゲラゲラ
笑う。

この話はセント・アンドリューズが英国のスコットランドにあること、そこ
はスコッチウィスキーの故郷であること、ゴルフのショットとウィスキーの
ワンショットが掛詞になっていることを、パートナーが知らなければ、ジョー
クはオモシロくならない。

すべて脚本家が捻りにひねって書いたシナリオである。適材適所の洒落た会
話がちりばめてある。

日本でも、昔の花柳界では頓知の利いた話はいくらもあった。ホリエモンの
ゴルフコンペを拝見したが、まったく異質の会話だった。だが日本でも、こ
の18ホール話はグリーンで使えるのでは?

私の話しは、スライスとフックばかりで、主人公のように真っ直ぐ飛ばない。

少し草臥れたので小見出しは止めにしました。相変わらずの雨の音を聞きな
がら、昼まっから横になります。まとまらない話ですが我慢してください。



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