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<ミャンマーで今、何が?> Vol.357 2020.04.28
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━
■銀座の裏通りでも散歩しませんか
・01: ありがたい
・02: ノンポリ・メルマガの言い分
・03: 解決策は政治家ではなくアーティストが握る?
・04: ジョン・レノンを探して
・公式ツイッター(@magmyanmar1)
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・01:ありがたい
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Thanks for the Provider! プロバイダーのK社長とT嬢がまたしても機敏に
行動してくれた。長い間ご無沙汰であった読者と、全世界異常事態のなかで
ライフラインの接続だ。今回はお礼を兼ねて同社から昼飯ウォーク範囲内の
関連話しをしてみたい。
鈴鹿市に住む古くからの飲み仲間からも、こういうご時勢だからと免疫力ア
ップに有効な笑いで人生を楽しもうと、沢山動画を送ってもらった。最初は
大型スクリーンで再生できずに苦労したが、スマホでクリックしたら簡単に
再生できた。相変わらずキカイ音痴で困る。
そして元ヤンゴンで一緒だった懐かしい方たちの消息も教えていただいた。
皆さんお元気で何よりです。
感動の名曲「We are the World」も動画で送ってもらった。これにも感謝。
この曲が出来た経緯は確かメルマガに書いたと思うが、第何号だったか日付
は忘れた。
お互い自宅篭城で毎日が日曜日の身分。時間はたっぷりあるはずだ。名曲が
誕生した由来を、グーグルで探ってみてください。日本語版では詳しく説明
されているかは不明だが、英文グーグルだとかなりのことが分かるはずであ
る。
日本語版だと小林克也の解説程度だが、黒い肌のアメリカのミュージシャン
たちが自分たちの故郷で大飢饉が発生した1983-85年のドキュメンタリーであ
る。今我々が直面している新型コロナのパンデミックと同じような状況下で、
黒い肌の同胞がアメリカからアフリカに支援の手を差し伸べる。
歌の文句を追いかけると、彼らは神を信じるクリスチャンだという臭みはど
うしても拭いきれないが、逆に言えば、神を信じる強さもある。その強さを
基盤にしたボランティアの声掛けが始り、この大プロジェクトは実現した。
小さな小さなスタートはバナナボートで一世を風靡したキング・オブ・カリ
プソのハリー・ベラフォンテである。どちらが先立ったか忘れたが、ライオ
ネル・リッチーが詩を書き、マイケル・ジャクソンが曲を書いた。そしてプ
ロデュース界の大御所クウィンシー・ジョーンズがタクトを振る筋書きであ
る。発起人の全員が黒い肌の持ち主である。
こうやってアメリカで超一流の黒人ミュージシャンが賛同して一堂に会しま
す。アメリカで超一流ということは世界で超一流のセレブを意味する。すで
に功なり名を遂げたリッチなセレブだが、ここでも東洋と西洋のボランティ
ア精神の違いが出てくる。日本では名前だけマネゴトのボランティアが流行
し、駆けつけるだけで足手まといのケースをたびたび耳にする。本物の彼ら
はプロジェクトのパフォーマンスでも職人技を見せつけてくれる。
そのプロたちが無料で全員協力しあうのである。
このプロジェクトは黒い肌だけでなく、白人連中にも波及していく。善意の
波紋が大きな輪となって感染していく。ブルース・スプリングスティーン、
ケニー・ロジャース、シンディ・ローパー、ボブ・ディランと綺羅星のよう
なスターが集まってくる。
収録は何回かに分けて行われたが、最終日ハリウッドにある収録スタジオに
一番乗りしたのはマイケル・ジャクソンで1985年1月28日午後8時のことであっ
た。彼らにとってはまだ宵の口です。ここでも東洋と西洋の違いが出てくる。
巨万の富を稼ぐ個性の強烈な彼らが、自分たち独自のネットワークで超一流
のアーティストたちに呼び掛け、その巨額の印税をアフリカ大飢饉のために
拠出する。
カントリー界の大御所で先日なくなったケニー・ロジャースのライブを
YouTubeでググると、客席に座っていたライオネル・リッチーがステージに引
き上げられる。そこで「We Are the World」誕生の秘話がこと細かに披露さ
れる。
この秘話の実際の発起人であるハリー・ベラフォンテは収録時に常に真後ろ
に控えて、決してマイクの前に出しゃばらず、自分自身をフィーチャリング
しない。今の日本からは消えてしまった古武士の奥ゆかしさがそこには漂っ
ている。
この感動の収録場面は、難問は一人では解決できない。だが、一人ひとりが
協力すれば、巨大な力となる。しかもその道の凄腕プロフェッショナルであ
れば、アフリカの大飢饉だろうが、解決の糸口がまだ見えないパンデミック
であろうが、解決してくれる予感を感じさせるものがある。実際に「We Are
the World」は世界のエンタメ界の伝説となった。英語で格好よく言えば
Legendとなったのである。
アメリカの凄いところは、このシングル版が世界中で大ヒットし、このシス
テムが有効と証明されると、2010年のハイチ巨大地震災害などなど、ボラン
ティアの威力を世界に見せつける義捐金Fund Raisingのシステムが機能し始
めたことである。
このメルマガではトランプと成金国のアメリカをけなすが、アメリカの底力
の凄さは多種多様な人種の共同作業で大偉業を成し遂げたことにある。
話しは長くなるのでこの辺りで止めておこう。
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・02:ノンポリ・メルマガの言い分
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今回のパンデミックに関して、別の友人から内容を転写して送ってもらった。
月刊誌文芸春秋5月号に「全世界同時不況に備えよ トランプバブル崩壊」と
題した記事が掲載されている。送ってくれた友人は大学のゼミでこの執筆者
と同クラスだったという。
私のメルマガは吹けば飛ぶようなヤジウマの好き勝手だが、ありがたいこと
に読者は知的で物事の本質をずばり指摘してくれる方が大勢おられる。
この記事は私がおぼろげに迷っていたことを数字を挙げて正確に示してくれ
た。それだからこそ、皆さんに無断でご紹介したい。
なお文芸春秋と聞くと、眉をひそめる方もおられるようだが、社内でも月刊
誌と週刊誌では分断の危機を抱えているようだ。ついでに言えば、私の嗜好
は右翼でも左翼でも毛嫌いせず受け入れ、問題ごとに取捨選択したいと考え
ている。日本で流行するヘイトスピーチは、アサヒと聞くとそれだけでバカ
のチョンのとやっているような気がする。これでは正当な論戦とはならない
ように思う。先ず話を聞いてみるから、このメルマガはスタートする。
久米宏・桜井よしこでも、ビル・ゲーツでも堀江貴文でも、イーロン・マス
クでも豊田章男でも誰でも構わない、その言い分をYouTubeでトコトン勉強さ
せてもらっている。
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・03:解決策は政治家ではなくアーティストが握る?
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プロバイダー殿がこの非常時に反応してくれるかどうかが分からなかった。
だから昨日は軽いジャブのつもりで流した内容だった。そして昨日も前日に
引き続き、ちょうどお昼の時間から土砂降りのシャワーが暫く続いた。最初
は遠雷だったが隣近所に凄い地響きを立てて落雷があった。確実に季節は移
動し始めた。
本日は時代を変革した偉大なアーティストについて書いてみたい。というよ
りも他人の文章を盗用する老獪な手段でだ。この記事の内容はプロバイダー
社から昼飯ウォークの半径なので、今回はK社長とK嬢へのお礼を兼ねての無
断転載である。
文芸春秋5月号の記事が予測するとおり、今回のパンデミック騒ぎは一・二年
では片付かないと言うのが私の見立てである。落ち着くまでに早くて二・三
年はかかるのでは?とヤンゴンの屋根裏部屋で考えている。心臓が動いてい
れば、それまで生き延びてみたい。
世界の指導者はすべて経済ベース、ビジネスベースと、その方面からの対策
しか考えていない。ドイツのメルケル首相が指摘したとおり、世界同時発生
の今回のパンデミックは第二次世界大戦以来最大の複合危機である。
第二次大戦以降、奇跡の経済復興を果たした国は日本・ドイツを筆頭に沢山
ある。台湾も韓国もシンガポールもそうだ。
だが日本では特に両親・祖父母の劫火に焼かれる絶望の地獄を忘れて、その
子孫たちは高慢チキなバカ息子・バカ娘になってしまった。私もその一人で
ある。両親・祖父母がキチンと戦前の話を、そして戦中の話を、子供たちに
伝えなかったことが、主な原因だが、マスコミもその使命と責任を回避して
きた。その罪は大である。
だからその子供である私たちはその地獄を何一つ知らない。そして子供たち
にはそんな苦労を二度とさせたくないといって結局はバカ息子、バカ娘を飼
育してしまった。そして生まれたのが、G5・G7・G20とか言う現在の世界の指
導者たちである。
満州から引き上げるにも着の身着のまま、ピョンヤン・ソウルを越えて逃げ
延びてきた。手に持てるものといったら、炊き出しの飯ごうぐらいである。
メルケル首相の指摘どおり、戦後のみすぼらしい生活を再現する覚悟で臨め
ば、人類はこのパンデミックを生き延びることが出来るかもしれない。
問題は二枚のマスクや、一人当たりの生活援助金のレベルではない。私のガ
ラクタ文庫には三根生久大著「記録写真・終戦直後上下2冊」(カッパブック
ス名著復刻)がある。上野駅にはパンパン・ガール(日韓で流行語の慰安婦
である)と土管で寝泊りする戦災孤児しかいなかった。今はユニクロのスー
ツを着て海外で格好良く振舞う日本人ビジネスマンだが、その両親・祖父母
のプロトタイプがパンパンと戦災孤児とみることはできないだろうか?
なかには自分の血筋は由緒正しく、そんな馬の骨ではないと言い張るヤカラ
は国会で飼育されているかもしれない。だが大半は藤原ていの「流れる星は
生きている」であり、菊池章子の「こんな女に誰がした」の血筋を引くもの
ではないのだろうか?戦後の日本はそこから奇跡の復活を成し遂げた。
だから私は楽観的である。経済補助ではなく、もっとトコトン落ち込んでも、
身の回り品すべてを失くしても、日本人の血が流れているのなら、シラミに
まみれた頭でも、靴磨きの道具ひとつで、身体を張ってでも、不死鳥のごと
く日本人は復活できると。
ノーベル賞クラスの科学者・ドクターが専門者会議と称して、各国で招集さ
れている。だが世界各国でフェース・マスクをしろ、頻繁に手を洗い、ソー
シャル・ディスタンスをキープしろと防御策だけが指示され、解決策は何一
つ提示されていない。何かオカシクナイだろうか?
むしろ「We Are the World」のように、ヒトが思いつかないような分野から
人間の叡智が出てくるような気がする。ミュージックの力は偉大だ。その一
端にもつながるエピソードをご紹介したい。
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・04:ジョン・レノンを探して
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枝川公一著「今日も銀座へ行かなくちゃ」(講談社文庫)が手許にある。面
白い記事満載のエッセイ集だが、その中のひとつ「ジョン・レノンを探して」
を勝手に書き直し盗窃してみたい。
*
東銀座から万年橋を渡ると、築地である。橋際に、晴海通りを隔てて映画館
が向かい合っている。昭和54年8月4日の朝は、東劇で10時ちょうどから「ウ
ルトラマン怪獣大決戦」を、松竹セントラルでは10時20分開映で「スーパー
マン」を上映していた。
来日中だったジョン・レノンと妻のヨーコは、タクシーに息子のショーン
(当時三歳)らを乗せてここまで来た。松竹セントラルの「スーパーマン」
に子供たちだけを入場させ、二人はタクシーを待たせて、万年橋を銀座のほ
うへ歩きだした。
映画が終わって子供らをピック・アップするまでのひと時を、どこか人目に
つかない喫茶店で過ごそう、と考えたようである。歌舞伎座の脇の通りをし
ばらく行くとステーキ屋があり、その横手に狭い階段が二階へ通じている。
ここなら大丈夫と、階段をあがって「樹の花」(四丁目)のドアを押した。
二人は知らなかったが、この喫茶店は開店してまだ四日目だった。前日の三
日目まではそれでも知り合いが“ご祝儀”に来てくれけっこう賑わっていた
が、今日はもう閑散としていた。他に客は三人ほどだったろうか。偶然に理
想的な店に入ったことになる。
カウンターの中にいた成沢真樹君(当時19歳)、入ってきたのがレノン夫妻
であることにすぐ気がついた。大学生の彼は中学のとき「レット・イット・
ビー」のドーナツ盤を買いそれ以来のビートルズ・ファンである。
「これは夢ではないか」─ その瞬間、流しで皿を洗う手が震えた。ちょう
ど学校が夏休みで、母親の弘子さんがはじめたばかりの店を手伝っていた。
ジョンはコロンビア・コーヒー(当時300円)、ヨーコはダージリン・ティ
(300円)を注文した。ジョンはあとでコーヒーをお替りしたという。
窓際の席に座り、長い髪をチリチリにした妻は長いスカートの膝を抱えなが
ら、髪を短くした夫と物静かに語り合う。カウンターの中で、真樹君はうつ
むいたまま、緊張のため声も出なかった。母親のほうは、ゆったりと向かい
合う二人の、いかにも自然な姿に感じ入っていた。
15分ほど経ったころ、若い男と女があわただしく店内に飛び込んできた。レ
ノンの席に真っ直ぐ向かい、「サインをお願いします」と白い色紙を差し出
した。夫妻が店へ入るのを見かけ、慌ててどこかで色紙を買って、駆けつけ
たのだろう。
彼らはサインをもらうと、カウンターを見向きもせず、慌しく消えた。
それじゃ私たちも、と母子はやっと気付き、メニューを書くため伊東屋で買っ
ておいた、ウグイス色の紙を差し出した。
まずヨーコが「日の神は女神だった!」と書き、残った半分のスペースに、
ジョンはJLennonとした下に一筆書き風に自分の似顔絵を描いて、手渡した。
しばらくしてヨーコが「さっきのサイン貸してくれる?」と言って、もう一
度「夢をもとう」と書き加えた。心を籠めた共同作業に違いない。
真樹君は着ていた白いシャツにもサインをねだった。「ジョンがぼくの肩に
手を置いた、あの時の感触がいまも残っている」。そのシャツは、以来一度
も洗うことなく、大切に保存されている。
サインを終えると、店内にまた静けさが戻ってきた。カウンターの中も緊張
がほぐれて、朝ののびやかな静寂である。有線放送でリンダ・ロンシュタッ
トの曲が流れると、ヨーコは「もうちょっと音を大きくして」と声を掛けた、
という。暫くして、真樹君は有線をとめて、ビートルズの曲をかけたらしい
が、何だったか覚えていない。頭はボーッとしたままでただもう夢中だった。
母の弘子さんは、サインのお礼にと、アーモンド・クッキーを出した。アー
モンドの粉とタマゴに、アーモンドのスライスを載せて焼いたホーム・メイ
ドである。レノン夫妻は一時間ほどで立ち上がり「子供たちに」と、そのク
ッキーを三袋(一袋300円)買って、帰っていった。
薄曇の午前中の小さな出来事である。ヨーコはもう覚えていないかもしれな
い。ジョンは、翌55年末にニューヨークで凶弾に倒れ、このときの来日が最
後になった。
「樹の花」の窓際の壁には、二人のサインが額に入れられ、いまもある。ジ
ョンが死んだ日から三日間は、店内に彼の曲ばかりが流れた。その後の命日
にも、真樹君が編集した彼の曲のテープが一日中まわっている。
店の棚の奥には、レノン夫妻のテーブルにあった灰皿がサランラップをかけ
てしまってある。
指で真ん中を押しつぶしたらしい、くの字に折れ曲がったジタンが四本。こ
れはレノンが吸ったのだろう。三本のヨーコ愛用のスリムな煙草には、シャー
マンズという銀の文字が見える。灰にまみれた吸殻はあの日のままである。
メカに強い読者の皆さん、あるいはプロバイダーのK嬢であれば、これらの文
章は簡単にスキャンして送付できるだろうが、ガラパゴス産まれの東西南北
研究所長は、これも練習とばかりに細かい字を天眼鏡で覗きながらリライト
した次第である。誤字脱字はご勘弁願いたい。
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