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 <ミャンマーで今、何が?> Vol.314
 2019.6.26
 
 http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
 
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 ━━【主な目次】━━━━━━━━━━━
 
 ■Pullman Car Company
 
 ・01:Pullman Hotel Yangon
 
 ・02:オーボエ音楽会、開演前!
 
 ・03:イタリア大使の開演スピーチ
 
 ・04:イタリア大使の開演スピーチ
 
 ・05:ヤンゴンからラングーンへ
 
 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)
 
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 ・01:Pullman Hotel Yangon
 
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 今のシャングリラ・ホテルが、トレーダーズ・ホテルと名乗っていた頃だ。
 そのラウンジでミャンマーの海軍退役将校と商談らしきものをやっていた。
 そのとき“プルマン”の名前を初めて聞いた。無知な私は何も知らなかった。
 
 アメリカ大陸横断鉄道で豪華な寝台車、食堂車を製造している会社だそうだ。
 アガサ・クリスティの「オリエント急行の殺人」の列車がまさにこのプルマンである。
 
 しかも歴史は古く、日本の江戸時代後半に創立された会社で、創立者ジョージ・プルマンの名前を取って会社名としたらしい。
 その想い出があったので、来月来緬する友人に、遠慮しつつ、このホテルを紹介した。
 
 ヤンゴン市庁舎前に広大なマハ・バンドゥーラ公園がある。
 その西側にセンターポイントと並ぶように立っているのがプルマン・ホテルである。
 新名所のこのホテルが前から気にかかっていた。
 
 友人は友人で、このホテルの親会社とは大口の話をしていたという。
 人生とはオモシロイ因縁で成り立っているような気がする。
 
 確かアメリカの学者だったと思うが、家系図と同じように、知り合いと知り合いの線を辿っていけば、僅か6本(7本だったかもしれない)の線で、この地球上のすべての人間につながるという新説だ。例えば、小学校の同級生の嫁さんがと辿るのである。その何人かが幅広いネットワークをもっていると、例えば、スーチーやトランプにまで繋がるということである。
 
 人生はマニュアルどおりに進まないところが、私は大好きだ。
 
 そのプルマン・ホテルでクラシック音楽の夕べが催された。
 イタリア大使館主催で、ビアノ伴奏でオーボエ(英語ではオウボウと発音する)をフィーチャーした音楽会だという。
 田舎出の女子学生にそろそろ場慣れさせる時期と、誘った。
 
 
 
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 ・02:オーボエ音楽会、開演前!
 
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 MT紙には2週間前ほどから、この音楽会の案内が、何回かに分けて出ていた。
 会場はプルマン・ホテルの3階である。
 
 会場入り口では外交官らしい服装の男女がイタリア語、英語、ミャンマー語で歓談、屯していた。私が決心したのは、入場無料という案内に惹かれたからである。
 
 会場に入ると、真っ直ぐに舞台まで中央通路が走っている。その左右に観客席が設けられている。舞台正面にはピアノが置かれ、その横でオーボエが微かな音で練習をしている。
 おやっ、ゴッドファーザーのテーマ曲ではないか。
 
 椅子席の背中には硬めのパンフレットが一枚一枚置かれている。
 ガラガラの席前方三分の一辺りの通路寄りに落ち着いた。
 
 私の悪い癖は、印刷物は片っ端から読み漁ることにしている。
 パンフレットの最上部中央にイタリア大使館の紋章。
 その左右にピアノとオーボエの演奏者名。
 
 「オーボエ音楽の魅力」これが本日のテーマ。
 その下に拡大したオーボエを横に置き、イタリア・センスのデザインだ。
 
 それから2019年6月20日、ヤンゴン
 ぷ・ろ・ぐ・ら・む
 となっている。
 
 そして、このプログラムは基本的にイタリア語とビルマ語の二ヶ国語である。
 フランス料理であろうと、この手のものは、ジックリ眺めていると、どこかにヒントが隠されているものだ。それが、自我流のチャレンジ英語である。
 
 最初の二曲は飛ばす。
 ロッシーニと書いてある。その横にBARBIERE DI SIVIGLIA。セビリアの理髪師では?
 次はベルディのMosaic from LA TRAVIATA。椿姫だ。その「乾杯の歌」が演奏された。
 次もベルディのRIGOLETTO と書いてある。リゴレットは耳にしたことがあるが思いつかない。
 
 それ以降はポピュラー音楽だ。
 ゴッドファーザーのテーマ曲、「スピーク・ソフトリー」。作曲がニーノ・ロータとはここで勉強させてもらった。
 
 嬉しいことにイタリアの巨匠エンニオ・モリコーネの映画音楽が続く。
 「ワンス・アポン・イン・アメリカ」にはじまり一般受けのする懐かしい楽曲ばかりだ。
 イタリア大使館も相当、頭を絞ったのだろう。
 
 そろそろ開演時間だ。
 隣の女子学生に本日の入場者数を聞いた。
 私のイジワル質問である。後ろの席も見回し困った顔をしている。
 
 それでは、舞台に向かって通路の左側の椅子席の数を数えさせる。
 12席。その通りだ。右側の椅子席と合わせると?
 そう24席。横一列は24席で間違いない。
 
 それでは一番前の席から、自分の席まで何列ある?
 簡単に頭の数を数えてご覧!
 12列。これも正解。
 
 僕は数字に弱い。だから計算は出来るだけ簡単にする。
 二つ前の席までで最前列から10列である。
 そこまで全員が詰まっていると、24席x10列で240人である。
 
 だが今日の客入りは、まばらで隣との間は2つ3つ空席となっている。
 240人の半分以下の入り、ということにしよう。
 10列でせいぜい100人と見積もる。
 我々の後ろの席も眺め渡して、結局は総勢180人の入りと二人で試算した。
 
 これだけガラガラだと計算が簡単だ。
 このホール全体の座席数は1000人収容可能と見た。
 パンフレットが1000人分、むなしく空席の背もたれに立てかけてある。
 
 イタリア大使館は、MT紙にも広告料を払っていることだろう。
 ミャンマー・ビジネスが簡単でないとは、このことを言っているのである。
 イタリア大使館も頭を絞っているが、苦労しているのである。
 
 この音楽会では、そのことも勉強した。
 
 
 
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 ・03:イタリア大使の開演スピーチ
 
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 イタリア大使は女性だった。
 彼女は英語で説明を始めた。母国語のイタリア語ではない。
 その英語を女性通訳がビルマ語に通訳する。
 
 イタリア大使の英語は、それほど達者ではない。むしろイタリア訛りが愛嬌だ。
 ここで言いたいのは、今の時代、英語は世界的に通用する国際言語であるということ。
 外交官として海外に駐在するのであれば、国際言語を話すべきだということである。
 
 客席を見渡すと、ミャンマー人が圧倒的に多い。だが、非イタリアと思われる外国人もいる。
 特に、日中韓三カ国は、どういうわけか、英語が苦手だ。
 仮にロシア語が専門にしても、英語は母国語同様に必修にすべきではなかろうか。
 
 今の時代、飛び交う英語の情報は膨大な量だ。
 英語が出来ないと、ビジネスでも外交でも本当に致命的なハンディキャップになる。
 今回連れてきた女子学生はヤル気充分である。
 
 化石人間の私がスマホの使い方を教えてあげた。
 分からない英単語は、すべてスマホでビルマ語転換だ。
 英字新聞を読んで分からないという。
 
 スマホを指差す。アッそうかと英単語を引く。
 叱りもせず、これをひたすらに何回も繰り返す。
 そして今では、英語の歌詞でも、レストランの名前でも、スマホ引きの習慣が身についた。
 
 話を舞台上のイタリア大使に戻す。
 イタリア文化が産み出した、多彩な芸術を大使が語ってくれる。
 イタリアは決して、イタ公の女タラシだけではない。パスタやスパゲティのイタ飯だけでもない。
 それは身振り手振りのラテン系独特の情熱的な仕草でも窺い知れる。
 
 
 
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 ・04:イタリア紀行
 
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 古代ギリシャに次ぐ、古代ローマは、古代社会に大きな影響を与えた。
 否、古代だけでない、現代にまで大きな影響を与えている。
 
 そして中世の時代に、あのマルコ・ボーロが東へ東へと旅し、世界の空白地帯を明らかにしてくれた。
 日本までもが黄金の国ジパングとして西洋に紹介され、もうひとつの黄金の国ビルマには足を踏み入れている。
 そのマルコを強く意識して、大西洋を逆方向へ船出した男がいる。
 クリストファー・コロンブスである。
 
 ゴッドファーザーの役目はアメリゴ・ベスプッチに譲ったが、コロンブスはアメリカ建国の祖としてアメリカでは崇め奉る。
 
 アメリカが面白いのは、コロンブスはアメリカに一歩も足を踏み入れたことが無いのである。
 話はややこしいが、このベスプッチもイタリア人である。
 
 だから、イタリア人は、世界の大冒険家で、西洋人にとっては世界地図の神様みたいなものだ。
 
 イタリアは、日独伊三国同盟として第二次世界大戦を起こした盟友だが、早くも1943年9月に無条件降伏してしまい、日本では腰抜けと評判が悪い。だから、イタ公、イタ飯と、見下した見方をするのだろうか?
 
 イタリアを第二次世界大戦の狭い世界で見るか、あるいは古代ローマにまで想いを馳せるか、それによって世界観は大きく変わってくる。
 
 歴史上、そして文化の面で、イタリアを捉えると、それはスゴイ国である。
 ドイツのゲーテも、その「イタリア紀行」なくしては、大文豪にはなれなかったかもしれない。
 ファッション界でも、免税店でも、高級スポーツカーでも、その有名ブランドは、世界の超一流品である。
 
 
 
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 ・05:ヤンゴンからラングーンへ
 
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 プルマン・ホテルにはイタリア・レストランもあるし、G/Fには「マーチャント」というレストランもある。値段がドル建てでチャット払いだと、値が張るのが難点だが、雰囲気と味は申し分ない。休日遅めの朝食には悪くない。
 
 後者のレストランは、このホテルの南端が接するマーチャント・ストリートから借用した名前だが、この通りにはイギリスの植民地時代、世界を旅する商人たちが集まってきた場所でもある。
 シャングリラの昔の名前「トレーダーズ」も“商人たち”という意味である。
 
 「マーチャント」で味見をしながら、降ったり晴れたりの通りを眺めていると、賑やかだった往年の商都ラングーンが蘇ってくる。
 
 ヤンゴンは決して世界最貧国の落ちぶれた国家ではない。
 スーチーは、シンガポールのリー・シエンロン首相に、あと20年経てば、ミャンマーは貴国を追い越すと大見得を切った。
 
 そういう目で見れば、ヤンゴン港に程近い、このプルマン・ホテルは、その露払いのような格式がある。場所的にもヤンゴンの街造りがはじまったスーレー・パゴダのすぐ近くだ。
 
 
 
 
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