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<ミャンマーで今、何が?> Vol.311
2019.6.10
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━
■“ミャンマータイムズ社”潜入記
・01:犬も歩けば棒に当たる(伊呂波カルタ)
・02:昔を想い出した
・03:書こうか書くまいか・・
・公式ツイッター(@magmyanmar1)
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・01:犬も歩けば棒に当たる(伊呂波カルタ)
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このヤンゴンで、話題を探してほっつき歩いても、情報源は限られる。
日本語または中国語で伝わる情報は、鮮度的に一ヶ月遅れている。
いまや世界のリンガフランカである英語が、ここヤンゴンでは最も有効だ。
その情報源の老舗はと訊ねれば何といっても、日刊英字紙“GLOBAL NEW LIGHT OF MYANMAR”(略称GNLM)と“MYANMAR TIMES”の二紙に止めを刺す。
先週、その“ミャンマータイムズ社”一階の編集会議室に私は座っていた。
目の前には、甘ったるい例のコーヒー、ショートケーキ、ミャンマー茶が供され、ビルマ語を解さない私は、手持ち無沙汰にお茶だけを啜った。
昨晩から、YouTubeを見続けていたが、ビールで昼飯を済ますと眠くて仕方がなく、爆睡していた。その最中に電話で起こされ、寝ぼけ眼のまま乗用車で拉致された。
気がついたら同社の会議室に座っていた。会議はビルマ語で進行中である。だが、注意して聞いていると、ビルマ語に英語が時折混じっている。さらには、人名、通りの名前、地域名などにも、聞き知ったビルマ語が混入している。それを糸口に、聞き耳を立てていた。
幸いにも、英語のクラスの学生が同席してくれている。
今の発言者の話題は何かと小声で訊ねた。耳元に答えが返ってくる。
要点が分かってきた。そして徐々に目が覚めてきた。
手持ちのノートに、この部屋のイラストを書いた。
長方形の部屋に合わせたように、長方形の長テーブルが真ん中に置かれている。
長テーブルのこちら側左端に小丸を2つ書き、一つに私の名前、左端に学生の名前を書いた。
私のアシスタントとなる学生は、これですべてを理解してくれた。利口な学生だ。
長テーブルのこちら側、そして向こう側に、小丸の数が加えられていく。
こちら側に9人、この9人が私を含めてインタビューを受けていることが分かった。
向こう側には12人、すべてMT社のスタッフで、発言者は3人に絞られた。
そのひとりが会議を仕切り、こちら側9人に対する主な質問者となった。
その間にも、MT社のスタッフはドンドン増えていき、長テーブルには着けず、その後ろにスツールを持ち出し勝手に座っていく。敵側は総勢16-17人となった。その内、男は2人しかいない。あとはすべて女性だ。しかも、すべて若い。
ミャンマーが変革するだけでなく、同社内の変革が良く分かった。
どうして私がここに拉致されたのか、この編集会議の目的が何であったかは、エチケットに反するのでこのメルマガでは書かない。
学生新聞の編集長をやっていたアウンサン青年は、ヤンゴン大学当局を痛烈に皮肉った覆面編集者の名前を明かすよう執拗に迫られた。だが、ジャーナリストのエチケットに反するとして、最後まで口を割らなかった。その故事をこのメルマガではマネさせてもらう。
小見出しの「犬も歩けば棒に当たる」は、“いろは”の“い”で、アルファベットの“A”に当たる。京都の伊呂波カルタでは「一寸先は闇」、名古屋では「一を聞いて十を知る」、江戸がこの「犬棒かるた」で、地域ごとに文化がある。これこそ日本独自の立派な文化で、しかも地域ごとに特色があった。
昔の人は偉かった。この“棒”を不幸とも、好運とも、両極端二つに解釈し、女子供に教えた。
今のコンビニ的、マニュアル的解釈で、単純に白黒を決め付けなどしなかった。むしろ、心の持ち方次第で、白にもなり、黒にもなると人生を教えたのである。深遠な哲学を子供時代から寺子屋で植えつけたのである。
この「犬棒かるた」には、文化年間(1804-18年)に、日本のダビンチと称される葛飾北斎の筆によるものがある。
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・02:昔を想い出した
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この編集子が英語で私に質問してきた。
私を選択したのは、間違いではなかったのかと応え、昔語りをはじめた。
彼女たちが若いのは、素晴らしいことで、活気に溢れている。
だが、ここでも歴史が断絶していた。
2002年から2006年まで、現在のパークロイヤルホテルに長期滞在していた。
ヨーミンジ通りを挟んで、向かいにタマダーホテルが建っていた。
その1階(日本式では2階に当たる)で、週刊のミャンマータイムズ紙は誕生した。
創刊は1999年の筈である。
私がヤンゴンに赴任した2000年から、唯一の情報誌としてこのミャンマータイムズ紙は愛読し、年間契約で購読していた。だから長い付き合いとなる。
当時も時間はたっぷりとあった。毎日のように同新聞社に出入りし、英和辞書を片手に昔のバックナンバーを読みふけった。
当時は軍事政権の時代であったので、どのホテルにも軍人上がりのリエゾン・オフィサーが雇われ、宿泊客をリストにして、毎日、当局に届けていた、そういう時代であった。私はその常連で、当然目をつけられる。外国人としては“ロー・プロファイル”がイロハのイだと学んだ。
今の時代は、実名も顔写真も暴露して、自分を売り込むが、気の弱い私には、信じられないコトである。Facebookでは、家族から友人、すべてを曝け出す。アンビリーバブル!!
あれはいつのことだっただろう。まだ軍事政権の時代である。
マンダレー郊外の飛行場まで、市中から一時間は掛かった。
真新しい飛行場で、だだっ広い。ヤンゴン行きの便までかなり待たされた。
それにしても人っ子一人いない。
手持ちのデジカメで、片っ端から写真を撮りまくった。
目つきの険しい男が、チョット来いという。
階段を何回か降りて、迷路のような地下フロアーに連れていかれた。
入り口にカーテンがある小部屋に隔離された。
ここで待てとの命令された。
15分も待たされてだろうか。
ニコリともしない男が机の向かいに座り、質問してきた。
あまりにも流暢な英語にまず驚かされた。
「何を撮影していたのか?」と訊ねられた。
映画ソックリのシーンに、頭の回転が追いつかない。
「ここは撮影禁止だ。フィルムは没収する」と威圧的に一方的に言われた。
言われるままでは能が無い。無い知恵を絞った。
当時ミャンマーでは珍しかったデジカメの説明をした。
すると、「デジカメもメモリーカードも知っている」とぶっきらぼうに言われた。
それならと、これまでに撮影した写真をすべて再生し、一つ一つ説明していった。
「ミャンマーにこれほど素晴らしい飛行場があるとは知らなかった。ヤンゴンとは比較にならない国際級の設備だ。日本の友人たちに紹介したい。フライト掲示板も電光だし、待合ロビー、トイレもピカピカだ、随所に配置された南国風の植物も良い。センスがある。こんな素晴らしい空港があるとは、外国人は知らない。知れば、世界からの旅行客が倍増するだろう・・」
デジカメの機能を改めて訊かれた。自分の弱みを暴露したことになる。
正直な軍人だ。二人の間にコミュニケーションが確立した。
甘ったるいコーヒーまで取り寄せてくれた。
笑顔まで見せてくれた。まるで別人だ。
セキュリティの責任者だと自分を名乗った。
先ほどは失礼したと意外なことに詫びまで入れる。そして上階まで本人が丁重に送り出してくれた。紳士の応対である。まるでスマートなビジネスマンだ。
この国に若きエリート軍人がいることを知った。
話はまた寄り道する。ヤンゴンの下街、ど真ん中。
旧総督府の周囲をゆったり散歩していると、体躯のがっしりした目の鋭い男に声を掛けられた。
旧総督府の衛兵に時折、声を掛けながら、ピタリと私に付いてくる。
二三言葉を交わすうち、自分は秘密警察をリタイアしたとあっさりと白状した。
それなりに観察すると、間違いなく60歳は過ぎている。
英語は喋るが、強圧的で品は無い。オモシロそうなので、お茶を誘った。
近くの路上喫茶のつもりだったが、スタスタとスーレー大通りまで歩かされた。
ここのコーヒーはメイミョウの本物で美味いと言う。
確かに山岳ビルマの看板が掛かっている。
普段はここで屯しているとも言った。
日本では、テレビも冷蔵庫も、四輪車までが路上に捨てられていると、聞いた。
中古品がタダで手に入ると勘違いしている。
日本製の中古品をヤンゴンに持ち込めば、大儲けできる。
彼の常識を疑ったが、この手のビジネスを夢見るミャンマー人は大勢いる。
ヤンゴンに荷物が到着すれば、面倒なことはまったく問題が無い。
日本での積み込み、海上運賃、通関保険、B/L、外貨決済などの知識すべてが欠如している。
定年退職したこの秘密警察官にそのイロハをレクチャーをする気には無れなかった。
それ以来、この男には会っていない。
私には一攫千金の才覚がないようだ。
彼らは目に見えない権力を、光背のようにチラつかす。
光背に目が眩むと、その人物を勝手に拡大解釈する。
一見羽振りは良いが、裏打ちされた友人関係ではない。
そしてヤンゴンから消えたビジネスマンは、ユダヤ人にも、華僑にもいる。
MT社の若い、しかも女性の編集子と話しながら、これらのことを想い出した。
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・03:書こうか書くまいか・・
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世界の新聞には、クロニクルとかヘラルドの名前もあるが、なんといっても“・・タイムズ”と“・・ポスト”の名前が非常に多い。
その例が“ミャンマータイムズ”であり、隣国の“バンコクポスト”である。
ミャンマータイムズの生い立ちは、オーストラリアのロス・ダンクレーとキンニュン政権下の情報局が提携して創刊したが、キンニュン首相が逮捕されるという異例の事態で、MT社の経営権も内紛を起こすようになった。
これらの経緯は、躊躇したが、やはり詳細はバックナンバーに譲ったほうが適切だ。
かなりの内情を曝露しているので興味のアル方は当たってほしい。
ミャンマー軍事政権がいかに動揺していたかが、見えてくる記事である。
個人的にも、同社でMT紙のバックナンバーをを閲覧するうちに、編集メンバーやカメラマンと親しくなり交際していたが、現在は休眠状態となっている。
MT社がマンダレーに支局を出すときも、その情報を事前に教えてもらったこともある。
面白い記事の詳細あるいは関係先を知りたいときは階段を上った1階受付で、目的を述べて、その記事を書いたレポーターから詳細な情報を教えてもらう何回かあった。だから、同社は無縁の存在ではない。
一方、政府が管轄するNLM社は軍事政権下ということもあり、近寄ることは一切避けていた。
ということで、今回MT社を訪れたのは実に懐かしいと同時に、多くのことが思い出された。
MT社の編集会議室は多くのスタッフがデスクトップPCを構える事務所奥にある。
会議室とその事務所は透明のガラスで仕切られているので、テーブル奥に座ると、事務室の内部が透けて見える。
先を続けたいが、そろそろ停電の時間だ。
今回は、ここで失礼したい。
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