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<ミャンマーで今、何が?> Vol.291
2019.1.11
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■若者国家から老人国家へ
・01:アルコール解禁
・02:“哲学”がどうも分からない
・03:読書雑感そして「メルセデスの伝説」
・04:「メルセデスの伝説」をもう少し詳しく
・05:菊の御紋章
・06:もう一冊、夢中になっている英文小冊子がある
・07:メルマガ購読中止へのお誘い
・公式ツイッター(@magmyanmar1)
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・01:アルコール解禁
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新年号から間違いを犯してしまった。落伍人生を裏付けるもので、騒ぎ立てるほどのことは無い。原因はアルコール解禁のせいにしておこう。
訂正部分のみ下記しておきます。
明けて元日の1月1日。
バゴー川を越えた遥か向こうにはティラワの港が見える。
そして、1月5日(土)。
下の階に住む元警察官の主人が4日夜亡くなったとのこと。2014年、屋根裏部屋 の我が事務所開きにも参列してくれた。
テント村最後の三日目(1月7日)には、さらにテント・椅子・机が追加された。この季節にはまったく珍しいことが起こった。出棺を悲しむように、夕方ごろからトタン屋根を叩く雨音で、深夜を廻ってもシトシト続き。翌午前4時には遠雷も聞こえ、次第に本降り長雨の兆候を示している。四日目8日(火)早朝6時頃、下階からは低く籠るような読経の声が聞こえてくる。時折、猫の額のベランダから下の通りの様子を窺う。
午前7時頃、裸足の仏僧三人が雨傘で送られ、車に乗り込む。しばらくして女性を含む黒装束が4-5名、多分親族だろう、続く。その後は三々五々、車が参列者を一まとめに拾い、発車していく。そして午前9時ごろにはすべての車が自宅前を出発していった。行く先は、日本人墓地もある、イエウィの火葬場だ。
今日の今日まで不勉強だったが、ミャンマーでは、病院で亡くなると遺体は自宅には戻らず、そのまま火葬場の霊安室に運ばれ、三日間自宅およびテント村では縁のあった人々が集まり法要が営まれ、四日目に関係者が集まり、火葬場で荼毘にふされるそうだ。
だが、テント村は七日間はそのままに自宅前に設置されたままで、近親者が時折、話し込んでいく。日本の初七日とどこかで、接点があるのだろうか?
慌てて、SHWAY YOEの著した「THE BURMAN」を流し読みした。
欧米人にとっては、ビルマ生活の分厚いバイブルであり、百科事典でもある。
ご承知の方も多いが、シュウェイヨーは英国人Sir J. George Scott(1851年-1935年)のペンネームで、彼は英国植民地時代の公務員として約30年間ビルマ関係の仕事に従事した。そして、1882年に著したこの「バーマン」(*ビルマ人)は、ビルマ人の王族から庶民生活まで、出産から出家生活まで、実に詳しく教えてくれる。だが、葬儀に関しては見つからなかった。
今ヤンゴンにあるボージョー・マーケット(1926年創建)は植民地時代“スコット・マーケット”と呼ばれていた。その名前は同氏に因むと、多くのミャンマー人も信じ、ワタシもそう教えられた。だが、それは間違いで当時の市政コミッショナーであったMr. Gavin Scottが本当のゴッドファーザーとのことである。
ワタシは、その間、形ばかりだが、箱詰めしたお布施代わりの僧衣を下階に届け、お天道様まで弔意の涙を流してますねと口からでまかせを言い、イエウィの火葬場には同道できない無礼を詫びた。
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・02:“哲学”がどうも分からない
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メルマガに戻りたい。
ワタシに残された仕事は山ほどある。鬼才・寺山修二には笑われるが、ワタシには書を棄てて町に出る勇気がない。日本の自宅から旅行かばん一杯の本を何度も運んできた。神田の古書店で新たに仕入れた本も、友人から頂戴した本もある。ヤンゴンでも目ぼしい本は購入している。だから、今はDVDだけでなく、身の回りの書籍も、未整理のままだ。持ち時間は少ない。読み終えてから三途の川を渡りたい。急がなければ!
読み終えたからといって、他人様にはまったく関係ない。自己満足でしかない。だが、人生とはその偉大なる無駄を考えるところから、哲学がはじまる。
大学の博士課程修了者をPhD(Doctor of Philosophy)とし、日本では博士号所有者と呼ばれる。この英語タイトルにどうして“Philosophy=哲学”なのかが分からなかった。
戦後になって産学協同が進み、大学の学問が金儲けに走ってしまった。そして金融工学がもてはやされ、不可解な金融派生商品などという新商品が世界を席巻した。最先端を行くアメリカでは、その方面に天才的な若者がITを駆使してウォール街の勝者となった。そして世界ランキング・クラスの勝者がフォーブスに発表される。
モノマネでは中国のはるか未来を突っ走ってきた日本も、当然ながらアメリカのモノマネをする。日本でも、そのミニ版の成金をみみっちく輩出した。
英国の産んだ経済の革命児ジョン・メイナード・ケインズ博士も、戦後の世界経済と金融問題処理の交渉に行ったアメリカのブレトンウッズ連合国通貨会議で、戦前大富豪だった大英帝国が新興成金のアメリカから返済できないほどの巨額の借金をしていることをトコトン思い知らされ、そして徹底的にバカにされた。過去の栄光などあったものではない。よっぽど悔しかったのだろう、帰国後まもなく英国サセックス州ティルトンの別荘で死去した。死因は心臓発作。享年わずかに62歳。
この時点から、世界の風潮は、成金を尊敬し、貧乏人を卑下するアメリカン・スタイルに変貌してしまった。それを象徴するのが、ドナルド・トランプを頂点とする世界の政治指導者である。彼らは商人の言葉は解するが、哲学はカラッポである。老獪な英国は、知恵を貸すどころか、三ヵ月後に迫ったEU離婚問題で、その余裕は無い。
英国の老獪な知恵には、日本人の知力を超えた、過去の膨大な蓄積がある。
どうして英国人は、古代ギリシャの、それから古代ローマの、あるいはイタリアをはじめとした欧州のルネッサンスに、源流を求めるかというと、英国人は、そこに“哲学”を感じるのではないだろうか。日本では、末は博士か大臣かなどと、訳の分からない解釈で納得するが、英語での博士号Doctor of Philosophyに、なぜ唐突に“哲学”が出てくるのか、この辺りが鍵になりそうである。
何が鍵かというと、産学協同、成金優先、貧乏人卑下、などを判断する基準および価値観こそ、古代からの“哲学”なのではないかと思われるからである。ネットを覗くと、親に言われた、上司に言われた、政府がそういったと、モノゴトの判断を自分でできない。マニュアル思考が蔓延している。人類は後戻りできない危険水域に入り込んだのでは?
こんな話はトランプにはまったく無縁の世界である。そして“末は博士か大臣か”とクソミソにする政治家にも当てはまらない。
話は例の通りで横道に逸れるが、ジョージ・ソロスは一年以上前に、英国のEU離脱は挫折すると予言している。当たるも八卦、当たらぬも八卦。
そして前回書き忘れたが、サッチャー首相の前任者でマザコンのヒース元首相こそが、英国のEU加盟を成し遂げた張本人である。そして今、英国政界はEU離婚で大混乱である。
こういう情報は、コンビニ的ひと括りを求める人たちには、なかなか拾えないと思われる。
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・03:読書雑感そして「メルセデスの伝説」
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話は本題に戻そう。
年末年始のホリデーシーズンに斜め読みした本は無差別に;
「定年百景」(加藤仁著、文春文庫)、「コロンブス航海誌」(林屋永吉訳、岩波文庫)、「ガリヴァ旅行記」(スウィフト著中野好夫訳、新潮文庫)、「アラビアンナイト物語」(大場正史訳、角川文庫)、「長安の春」(石田幹之助著、講談社学術文庫)、「アメリカ素描」(司馬遼太郎著、新潮文庫)、「ニューヨーク紳士録」(常盤新平著、講談社文庫)、「ニューヨーク」(有吉正一郎著、朝日新聞社)、「ニューヨークの女たち」(常盤新平著、大和文庫)、「ニュースの商人ロイター」(倉田保雄著、新潮選書)、「暗号の天才」(R・W・クラーク著、新庄哲夫訳、新潮選書)、「マネーロンダリング」(橘玲著、幻冬舎文庫)、「タックスヘイヴン」(橘玲著、幻冬舎文庫)などなど、もっとある。
だが今回は、アメリカもの、ニューヨークものを意識的に選んだ。だが、時折こうやって虫干ししないと、本の存在すら忘れてしまう。まったく無責任なものだ。
そのうちの一冊で、べらぼうに面白かったのが「メルセデスの伝説」(五木寛之著、講談社文庫)だった。作者は歴史的事実に基づくフィクションと断っているが、作者が読み込んだ参考資料を辿っていくと、その内容はドキュメンタリーに近いと確信した。
だが、コンビニ的にお手軽に信じてはダメだ。書物でもDVDでも、どの部分には裏づけがありどの程度信じられ、どの部分は未確定だと、自分の頭で判断基準の訓練をすればよい。
歴史にイフはないが、歴史の教科書ではアドルフ・ヒトラーと東条英機に関するものはすべて否定・抹殺されてきた。これは日本だけでなく、欧米でも同じだ。そしてもっと問題なのは、同じ民族としてのDNAを受け継ぎながら、ヒトラーも東条も、自分とは別種の人間とみなしている風潮がある。悪いのは彼らで、自分ではないという論理が、果たして国際的に通用するのか、自分で判断してみたい。
「写真記録 終戦直後 上・下二冊」(三根生久大編、カッパブックス、名著復刻)によると、外地からの引き揚げ、残留孤児、復員兵、単に食糧不足ではない深刻な食糧危機、駅前の闇市、焦土と化した東京、地下道に住み着いた戦災孤児、そして蚤だらけの浮浪児、そして町にはいたるところにパンパン・ガールと呼ばれる街娼が溢れていた。その数は、東京をはじめ、全国六大都市で約四万人いたといわれている。
自分たちの祖父母が、あるいは両親が、この浮浪児であり、パンパン・ガールであったとまでは言わないが、ごく身近な親族だったかもという、惻隠の情を日本人は民族として忘れてしまったようだ。
繰り返すが、先祖が味わった地獄の苦しみを、ユダヤ人や中国人は、代々子孫に、そして同胞にひっそりと引き継いできた。日本人には特にそれが欠如している。戦前・戦中・戦後の苦しみを知るワレワレ世代前後が、自分たちの子供にすら何一つ継承していない。
子供たちに自分たちの塗炭の苦しみをさせたくないというのは、本当に正しい教育方法だったのだろうか。ワタシはそうは思わない。ミャンマーでも、外国から入ってくる、同様の思想に毒されているような気がする。特にミャンマーの特権階級、すなわち金持ち連中は、子供の教育がまったくなっていない。
日本人にとってユダヤははるか遠くの話だが、隣国の中国もミャンマー経由で見渡すと、広大な国である。
マスゴミは中国をひと括りにするが、例を揚げると、ハッカ族(客家)は自分たちの国語(客家語)を子供たちに必ず教え、政治家か警察官に育て上げた。これは母親の重要な役目とされた。どんなに貧しくても、客家族の女性は100%字が読める。そして洪秀全、ケ小平、李登輝、アキノ、リー・クアンユー、タキシンなどの傑物を輩出した。
首都北京・商都上海の大都市と、国境を接する雲南省とでは、スーチーが指摘するとおり、まるで別の国家である。その多様性を充分に尊重しないと、政治でも商売でも交渉ゴトは難しいだろう。中国も文化人類学の宝庫である。その手始めとしてDVD『水滸伝』(英語名:The Water Margin)をお勧めしたい。これは中国製作の映画なので海賊版DVDとなるのだろうか?
コンビニ的にヒトラー&東条を悪玉と決め付けて済ますと、戦後どうして、日本とドイツの二国が驚異的な経済回復を成し遂げたのか、本質を見失うことになる。老獪なイギリス人からすると、この地球上で最もユーモア感覚の欠けた日本人とドイツ人がどうして?ということになる。
皮肉の利いたサッチャー女史ならば「真の経済復興を望むなら、戦争で無条件降伏するのが、一番の早道ヨ」ということになる。
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・04:「メルセデスの伝説」をもう少し詳しく
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この本は、ストーン監督の言う、歴史を見直す切っ掛けになる。
車名メルセデスの名前はスペイン語で“幸運”を意味するそうだ。
ダイムラー社の大株主で、フランスでのダイムラー車販売権を所有する外交官出身のエミール・イェリネクが、外国、特にフランスでの販売にあたり、ダイムラーの名前があまりにもドイツ的と、自分の美しい末娘の名前を同社の1900年新型モデルに提案し、ビジネス的に大人気を博したとなっている。
日本では、政治家もヤクザも“ベンツ”だが、車名としては、海外ではむしろ“メルセデス”が愛用され通用する。
この“幸運”に魅入られた、世界一不幸な男が、アドルフ・ヒトラーであった。
オーストリア・ハンガリー帝国の税関吏の息子として生まれ、若くして両親を失い、絵描き崩れの生活をしていた。
だが、人生は波乱万丈。ドイツ民族至上主義者となり、第三帝国の国家元首、首相、党首という3つの最高位を兼ね備えるフューラー(総統)にまで上り詰め、一党独裁のナチス党の指導者となった。百科事典から引っ張り出してきたこのような説明も、巨象の一部を撫でるだけと、賢明な読者はとっくにご承知のはずだ。
“メルセデス”を製造するダイムラー・ベンツ社は名前の通りゴットリーブ・ダイムラーとカール・ベンツの合弁会社である。
同社の至宝といわれた天才的な設計者、技術部長のフェルディナンド・ポルシェ博士、そしてその主任技師として活躍したハンス・ニーベル博士。ポルシェ博士は同社を去るが、ニーベル博士は、史上最高、最強の乗用車、自動車の帝王と呼ばれる“770・メルセデス”の第一号車を完成させた。ドイツ語で偉大な、大きいを意味する生産番号“770・グロッサー・メルセデス”は、7655ccの排気量を持つ直列8気筒、ブッシュロッドのオーバーヘッド・バルブのエンジンを備えた超大型車である。
世界の国王、国家元首などの専用車として計画され、偉大なドイツの象徴として完成させるため、同社は全力を注ぎ、巨額の資金が投入された。
ヒトラーは、ドイツ帝国の新宰相の公用車に相応しいグロッサーを作りだすため、生産工程をつぶさに視察し、防弾機構やブレーキ機構をさらに強化し、熱心に指示を与えたといわれている。
この車の主なユーザーは、日本の皇室をはじめ、カイザー・ウィルヘルム二世、ヒンデンブルク大統領、シャム国王、ツェサール・ブルガリア王、アルバニア王国のアハメッド・ツォーグ、スウェーデンのグスタフ五世王、スペインのフランコ将軍と、世界中のとてつもないセレブばかりである。
このドラマはさらに進んで、ヒトラーが当時同盟国であった日本の皇室にこの特別仕様の怪物“グロッサー・メルセデス”を御料車として納めるところまで発展するのだが、興味のある方はご自分で目を通していただきたい。
戦後のマスゴミはひと括りにしてアドルフ・ヒトラーや東条英機を叩くが、このメルマガが意図するのはその名誉回復ではなく、その背後にはドイツ国民の日本人にも通じるひたむきな勤勉さと、技術の粋である職人技が、バックボーンとして脈々と生きていたということを、お伝えしたかっただけである。
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・05:菊の御紋章
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ダイムラー社とベンツ社の歴史は自動車産業の発展史である。その自動車史百年を祝う記念祝典が本社シュツットガルトの博物館で開催される。そこに日本から“陛下のメルセデス”が特別のルートで返還、寄贈されたという。
だが、正面ラジエーター・グリル前面に菊の御紋章がついていない。
それこそが宮内庁からこの車を譲り受ける条件であった。
さらにドアの左右に付いている菊のマークも、これは天皇家の紋章ではない。
日本の宮内庁の指示を仰ぎ、正式には十六弁ある菊の花弁を十五弁に減らしてある。
実はここまで読んで、思い出したことがある。
ステッキ代わりに細身の雨傘を携え、長身の英国紳士がヤンゴンの同じ町内に住んでいた。15年ほど前のことになる。下街の重厚な建物で二月に一回ほどビジネス・フォーラムを主催していた。有力新聞の編集者とか、ロード・ツー・マンダレーという優雅な客船を運航するアイルランド人など主に欧米人とローカルのミャンマー人が寄り集まっては、酒を飲んで軽食をつまんでいた。日本人は初めてなのでと、その紳士はワタシに敬意を表して、特別のネクタイを締めてきた。
その英国人が園遊会に招待され、菊のご紋のネクタイを特別に下賜されたと語ってくれた。そのときに説明されたのが、同様に一枚少ない花弁の物語であった。日本ではまったく縁のない高貴な話が、不思議なことに身近に感じられる。それが、ここヤンゴンの魅力でもある。何が起こるか分からないコスモポリタンの魅力である。
英国王立海軍出身のこの元将校は、アングロ・バーマンなどネットワークが凄かった。あまりにも混みいった情報を熟知していた。MI6から誘いはないかと、冗談めかして鎌をかけると、息子も同じ道を歩んでいる。身を滅ぼすので、それだけはと釘を刺していると語った。
この紳士は特定の人物に聖職者としての名誉博士号を付与する職権も所有しており、実際にその厳かな儀式も垣間見させてもらった。この人物からは、路上喫茶であるいは特別の場所で、ジェームス・ボンド並の話を幾つも聞かせてもらった。無駄の無い語り口で説得力があった。ヤンゴンが退屈だと言う人もいるが、すべては人間である。楽しくもなり、詰まらなくもなる。
そして老獪な英国には、人材が豊富だとも思った。
インド・スリランカ・バングラもそうだが、このミャンマーではインテリ階級は皆、英語を話す。特にこのミャンマーでは“英語”で会話しないと、特別なネタは集まらないことをこの紳士からトコトン教えてもらった。
同じく下町に古びた、重厚な植民地時代の建物があった。すでに、スクラップ&ビルドの解体作業に入っていた。その英国紳士から、このビルはフリーメイソンの東南アジアにおける重要な本拠地だったと耳打ちされたことがある。何かそれを暗示する欠片でもないかと、解体工事現場をウロウロしたが、何一つ見つからなかった。
そして、この英国紳士との付き合いもそれっきりになった。
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・06:もう一冊、夢中になっている英文小冊子がある
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「HANDBOOK OF KONJAK, MYANMAR」と英文名がついている。副題は、コンニャクの栽培、製品化、市場開拓となっている。
2018年10月に発行されたばかりで、今はミャンマー語版の発行を待機しているところだ。
市販はされておらず、日本側のACTMANGとミャンマーのFREDAが共同発行者となっている。
メルマガのバックナンバーVol.77〜Vol.82に連載した、イラワジ河口デルタ最先端でのマングローブ植林事業同行記をご覧いただければ、ミャンマービジネスのヒントが素朴な形で見えてくる。それとリンクするものです。
実は、このACTMANGとミャンマー側のパートナーであるFREDAを組織し、1999年から現在までマングローブ植林計画を主導してきたリーダーが、実はワタシの人生の師匠である。当時、ヤンゴン下街のゲストハウスでお目にかかり、毎晩、酒を酌み交わしお話に酔い、その冒険譚に魅了されてしまった。
師匠は岩波新書から「緑の冒険 - 沙漠にマングローブを育てる」を出版された。日本語文章の達人でもあると同時に、ご夫妻を主体にまとめられた英文「HANDBOOK OF KONJAK, MYANMAR」は、生意気ながら粋がって言わせてもらうと、英語のプロが脱帽するほどの、英語実践レポートの模範文である。全体のグランドデザインを提示して一目瞭然であると同時に、重要な要素も要領よく網羅している。
全国の諸大学に先駆けて、東京農業大学時代に“探検部”を創設したのが、この師匠である。そのネットワークは、北海道から沖縄の国公立私立大学までと、学閥などの枠を飛び越えて全国に拡がっている。お仲間筋、お弟子筋が、これら大学の名誉教授とか客員教授の肩書きで、ネットワークに参加する。
なぜ、ワタシの師匠を2019年年頭に当たりメルマガ読者にご紹介するかというと、実は、この師匠こそ日本人離れした才能の持ち主だからである。弟子の分際で、非常に生意気な口を利かせてもらうが、座談の名手であり、人使いの名手でもある。
欠点も見抜きながら、部下を信頼して任してしまう。すなわち、部下を育てる名手でもある。仕事を抱え込むのではなく、分散して仕事をしてもらう。細かいことは言わない。
前にも書いたが、クビライ・カーンの手法ソックリである。
現在マニュアル重役とかマニュアル経営者という、経済だけの、利益優先の成功者はこの世に“ごまん”といる、だが若者を鼓舞し夢を抱かせる先達は、絶滅危惧種となってしまった。
「緑の冒険」に刺激を受け、北海道大学を辞め、人生意気に感ずと弟子入りを目指した学生もいた。だが「大学ぐらいは卒業しておいで!」のひと言で、同学生は沖縄の大学に再入学した。北海道ではムリだが、沖縄はマングローブの生育地でもある。今では、東南アジアで同グループの指導者のひとりとなっている。
石ころだらけの沙漠では、樹木は育たない。だが、アラビア半島にも海岸線はある。マングローブは潮間帯に生育する。塩水でも育つ。農学部の知識が壮大な思い付きに発展する。
最初は資料も少なくマングロープは未開拓の分野であった。経験不足で失敗の連続だったが、師匠は農業の専門家らしくデータを蓄積し分析していった。国連機関からも学会への招待をたびたび受けるようになる。その功績により1987年度ロレックス賞も受賞した。世界の植物界に君臨する英国の王立植物園キュー・ガーデンにとっても、師匠のマングローブに関する貴重な経験とデータはかけがえの無いものである。
ミャンマーにおけるマングローブ植林計画は1999年から地道に現在も続いている。師匠の戦略はこうだ。ミャンマーの若きエリート森林官を将来の指導者とすべく、日本の一流国立大学に派遣し博士号を取得させた。同博士は現在、ミャンマーにおけるマングローブ界の第一人者となっている。
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・07:メルマガ購読中止へのお誘い
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酔生夢死の人生で幕を閉じようとしている東西南北研究所所長は、ミャンマーの若者の教育問題と絡めて、「HANDBOOK OF KONJAK, MYANMAR」をゲリラ実験してみようと真剣に考えている。
日本人感覚では途方も無く広大な、1000エーカーのゴム農園を経営する友人もいる。彼と話をする手もあるが、資金もなく土地も無いミャンマーの若者たちと、現代人の武器を使用せずに、柔道の無手勝流の要領で、挑戦してみたい。
ヒントは師匠の「HANDBOOK OF KONJAK, MYANMAR」にタップリと書いてある。
ミャンマーは日本の1.8倍の広大さで、日本の半分以下の人口である。老けゆく先進国が増える中で、若者大国のミャンマーは逆転の発想の強力な武器になりそうだ。
経営書にはコロンブスの卵と謳いながら、無能な先進国家は、旧態依然とした山椒大夫の魔手で、ミャンマー進出を謀っている。これでは能が無い。Resilienceがこれからのミャンマーのキーワードになりそうだ。ミャンマーの若者とその辺りから話し合っていきたい。
ということで、メルマガの中身はあらぬ方向に暴発しそうです。気に食わぬ方は、どうぞ、購読中止のボタンをひっそりとクリックしてください。
なお、最後に年始のご挨拶を兼ねたメールをいくつか頂きました。
ありがとうございます。
今年も機会がありましたら、何回目かの一期一会をお願いします。
まだ、ご返事していませんが、夕方の晩酌を再開してからは、体調は元に戻ったようです。ご心配お掛けしました。
欧米人が基督教を妄信するように、ワタシは酔教の狂信的な信者です。
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