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<ミャンマーで今、何が?> Vol.282
2018.11.14
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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━━【主な目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■オリバー・ストーンのアメリカ発掘DVDは最高 (5)
・16: アノ映画みた? アノ役者好き! キモイ!
・17: 日本とアメリカの報道姿勢の違い
・18: ユダヤ人虐殺も、連合国側の態度に責任ありと指摘
・公式ツイッター(@magmyanmar1)
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16: アノ映画みた? アノ役者好き! キモイ!
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日本人の会話はこれですべて語り尽くせるらしい。非常に効率的で簡便なのだ。
これがコンビニ式の質問で、答え、と敢えて言いたい。
若いときに読んだ本を、何年か経って読み返す。若いときに気付かなかったディテールが、見えてくる。作者の意図した主題は、これだったと老いてはじめて理解する。
よくある話だ。
同じひとりの人間でも、読後感は人生の時季によって異なる。
他人同士では、違う見方があって当然だ。
その違いを話し合い、リスペクトするのが大切とスーチーは語る。
例えば「The Jane Austen Book Club」。6人のメンバー、6ヶ月間、JAの著作を6冊読む。一ヶ月間に一冊のペースである。もちろんヤンゴンで調達した海賊版DVDの筋書きだ。自分にダブらせて各々が作品を語り合う読書会の話である。肩の凝らないお勧めDVDである。
スーチーも母親の名前をかぶせた“移動図書館”を運営したり、情報大臣に指示して各市町村で“読書会”のキャンペーンを続けてきた。情報大臣というと、数年前までは泣く子も黙る憲兵隊長のように怖れられていた。だが、今は違う。マスコミを統括し、文化活動も幅広く支援している。経済発展やドル為替のみの御仁には、ミャンマーの変革は見えてこない。
東西南北研究所も、海賊版DVDを活用した高等教育の設立を極秘に企画している。コレクションの膨大なDVDで大抵の分野には対応できる。NLDには内緒だが、可能ならば「海賊版国際DVD大学」、その傘下として「国際老獪大学」および「国際モノマネ・コピー大学」、さらには海賊版DVDの美味しいところのみを編集する「映像技術研究所」まで手がけたい。その資金調達をどうするか、アルコールハイマーの頭で思案中である。お知恵を拝借願えればありがたい。
コノ遠大な企画も、途中で外部に漏れると、潰される可能性がある。拷問を受けても、読者の方はコノ機密を死守願いたい。
スーチーの読書会も、それを取っ掛かりとして、若者たちで意見を発表し、意見を交換することを目指している。そしてさらにスーチーが強調するのは、自分と異なる意見があることを認め、お互いにそれを尊重することを基本としている。冷戦以降、国連の場ですら、イガミ会いの風潮が当たり前になってきた。スーチーは、次代を担う若者たちに、真の国際性を学ばせようとしている。
読書会とはチョッと異なるが「84 CHARING CROSS ROAD」もお勧めのDVDである。戦後、物資の恵まれなかった1949年、名作古典の原書を漁るニューヨークに住むアメリカ人女性作家と、その注文に応じるロンドンの古書専門店主との物語である。時代性が反映されており、監督は異なるが、ストーンが語った、戦時中・戦後も豊かなアメリカと、物資不足に悩むロンドンの違いを映像で楽しめる。監督はデイビッド・ジョーンズ、主演はアン・バンクロフトとアンソニー・ホプキンス。
話の枕は、このくらいにして本題のストーンに戻ろう。
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17: 日本とアメリカの報道姿勢の違い
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米国大統領という肩書きだけで恐れ入り、本人の資質もチェックせずに、最初から平身低頭して媚びるのが日本の総理大臣で、日本のマスコミだった。その伝統は21世紀の今も続いている。中曽根とレーガンがファースト・ネームの“ロンとヤス”と呼び合っただけで、日米は対等な外交関係にあると、見当はずれの報道がなされた。
同様のことは、原子爆弾投下に対するアメリカの報道姿勢にも現れ、日本ではそれを分析・批判することなく、さらに受け売りした。
ストーンはそれを誤った歴史教育だったと指摘する。
しかも、ストーンの解釈は画期的である。それを一年掛けて、TVシリーズとして、アメリカ国民に訴えた。
報道においては、BBCもそうだが、アメリカも、自国政府に遠慮などしない。
東西南北研究所も、それをさらに受け売りして、メルマガで特集記事にまで仕立ててしまった。
情けない日本人である。
第一章が始まる;
『最後の日本上陸に当たり、何十万人の若き米兵が犬死するのを避け、米国は嫌々ながら原子爆弾を投下した。と、アメリカ人は代々教えられてきた』とストーンは口火を切る。
『しかし、事実はもっと複雑で、もっと興味を引くもので、もっともっと騒然としている。多くのアメリカ人の見解は、第二次世界大戦をノスタルジックに思い起こし、それは“良い戦争”だったと看做している。米国と連合軍は、ドイツのナチ、イタリアのファッシズム、日本の軍国主義を打ち倒し、勝利した、という見方だ。
一方では、そんな気楽なものではない。第二次世界大戦は人類史上最悪の血なまぐさい戦争だったと反論する』
ストーンは数字を挙げて惨状を説明する。画面には現地民を殺戮する記録映画が次々に映し出される。
『戦争が終結した時点で、60-65百万の人々が死体の山を築いた。推定値だが、ソビエトでは27百万、中国では10-20百万、ユダヤ人が6百万、ドイツ人が6百万以上、非ユダヤ人であるポーランド人が3百万、日本人が2.5百万、ユーゴスラブが1.5百万、それにオーストリア、英国、フランス、イタリア、ハンガリー、ローマニア、米国がそれぞれ25万人から50万人』
ストーンのジャーナリスティックな目はさらに深掘りする。
文字数削減のために、第一次世界大戦をWW1、第二次世界大戦をWW2に置き換えた。
『WW1と異なり、WW2は忍び寄るようにゆっくりと始まった。急速に工業化した日本の関東軍が、1931年、満州の中国軍を蹴散らしたことが、戦争の発端となった。ヨーロッパでは、WW1での完敗をリベンジするため、ナチス党首のアドルフ・ヒトラーがドイツ軍の再構築を着々と進めていた』 画面は演説中のヒトラーで、字幕は「ドイツ人は自力で頑張る」と出ている。
ストーンの語り口は高校の先生のようだ。非常に分かりやすい。お陰でクタバル年齢になって、ようやくWW2の西部戦線が見えてきた。恥ずかしい!!
『ヒトラーの戦友であるイタリアのファッシスト党首ベニート・ムッソリーニは1935年10月、エチオピアに進軍した。それでも米国、英国、フランスはほとんど抗議しなかった。その結果ヒトラーは、連合軍は戦争に対してそれほど真剣ではない、と判断した』
『1936年3月、ドイツ軍は非武装地帯(*ドイツとフランスの中間地帯にある)のラインラントを占領した。これはヒトラーにとって人生最大のギャンブルであった。そして、それはうまくいった。“侵略後48時間が、人生最大のハラハラする神経を擦り減らす時間だった”、とヒトラーは回顧している』
『もしフランス軍が、ラインラントに雪崩れ込んだら、ドイツ軍は尻尾を巻いて撤退する以外に道はなかった』 ヒトラーのドイツ語を英語字幕が解説する。“ラインラントへの進軍は、人生最大の難事で、大胆な決心だった”と。
『スペイン内戦も国際的な反応は鈍く、心を痛める出来事であった』とストーンは語る。先にお伝えしたファッシスト・フランコ将軍のことである。
ソビエトのリーダー、ジョセフ・スターリンのみが武器と戦時顧問団を反ファッシストの共和制支持者側に送り込んだ。
しかし、フランス、英国、米国も、救いの手を差し伸べなかった。そしてこの内戦は3年間も続いた。アメリカのFDRが中立の立場をとり、大統領の方針を無視して、米国の大企業がフランコ側に武器援助をしたこともお伝えした。
アメリカの多くのカトリック教徒が、ヒトラーとムッソリーニがしたように、フランコ将軍の支持に回った。そして、ヒトラーとムッソリーニがしたように、大量の支援物資と何千という兵士を送り込んだ。と、驚くべき事実をストーンは明らかにしてくれる。
そして、ヒトラーの怖れられた“コンドル軍団”が、スペイン北部バスク地方ビスカヤ県にある町、ゲルニカ、を情け容赦なく爆撃した。それをテーマにしたピカソの壁画で、“ゲルニカ”は世界的に知られるようになった。
ストーンが続ける。
『フランコは勝利し、1939年春には、共和制は崩壊した。10万人以上の共和制側兵士が葬られた。外国人義勇兵5000人も夢と希望とともに瓦解した。1939年ルーズベルト大統領は、自分の閣僚に語った。“スペイン内戦に対する西側の政策は重大な過ちだった。我々は巨額の代償をまもなく支払わされるだろう”と』
さらにストーンの解説が入る。
『西側列強には協力して、ナチスの侵略を真剣に押し留める気はないと、スターリンは見抜いた。ソビエトの独裁者は、1934年に国際連盟に加盟して、お互いに提携して、ヒトラーとムッソリーニに立ち向おうと西側列強に懇願した。だが、ソビエトの訴えは、その都度無視されてきた』
連合国と一括りにした言い方で、歴史を学習してきたが、ストーンの解説だと、ソビエトと、米国・英国の間には、温度差というか大きな隔たりが横たわり、しかも、ルーズベルトとチャーチルの間にも、大きなズレがあったようだ。
それだけではない。ストーンはさらに細部を追求していく。
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18: ユダヤ人虐殺も、連合国側の態度に責任ありと指摘
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『1937年、強力な日本軍が中国の都市を次から次に陥落していくと、中国は全面戦争となっていった。1937年12月日本兵が南京に突入し20-30万の市民を虐殺し、何万人という婦女をレイプすると、蒋介石の国民党軍は逃げ出し、日本軍は間もなく、2億人が住む中国の東沿岸を支配下に置いた。1938年にドイツがオーストリアを併合すると、国際情勢は一気に悪化し、連合国側はミャンヘンのヒトラーに降伏し、チェコスロバキアは分割され、チェコのズデーテン地方はドイツに接収された。
英国首相ネビル・チェンバレンはナチスに対する悪名高き宥和策を積極的に推し進め、米国とその同盟国もドイツが1938年末に起こしたユダヤ人社会に対する血祭りのバカ騒ぎ(*水晶の夜=Kristallnacht)に対しても公式に支援することはなかった』
*水晶の夜とは、日本大百科全書(ニッポニカ)によれば、1938年11月9-10日の夜にドイツ全土のユダヤ人を襲った迫害(ポグロム)。11月7日パリのドイツ大使館の書記官ラートがユダヤ系ポーランド人の一少年に暗殺されると、宣伝相ゲッベルスは報復を呼びかけポグロムを組織した。ほとんどのシナゴーグ(ユダヤ教会堂)が焼き討ちにあい(191件)、打毀され(76件)、7500のユダヤ人商店が破壊された。
街路がガラスの破片で覆われて輝いたので、「水晶の夜」とよばれる。この迫害によるユダヤ人の死者は91人で、2万6000人が強制収容所に送られたという。反ユダヤ主義がユダヤ人絶滅という最終的新たな段階に入った事件といえる。
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