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 <ミャンマーで今、何が?> Vol.281
 2018.11.12
 
 http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
 
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 ━━【主な目次】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 ■オリバー・ストーンのアメリカ発掘DVDは最高 (4)
 
 ・12: 1945年07月16日午前5時29分45秒
 
 ・13: DVD物語の構成(エピソード)
 
 ・14: DVDの前半
 
 ・15: ストーンの歴史改革は例証が盛り沢山
 
 ・公式ツイッター(@magmyanmar1)
 
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 12: 1945年07月16日午前5時29分45秒
 
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 世界最初の原爆実験が行われ、成功した瞬間である。
 場所はアメリカ合衆国ニューメキシコ州ロスアラモス(アラモゴード)に1943年に設立した原子力研究所。所長はジョン・ロバート・オッペンハイマー、最高責任者はL.グローブス陸軍大佐で、機密保持の暗号目「マンハッタン計画」の名前で呼ばれた。
 
 メルマガVol.279 で、この日付を6月16日で終戦2ヶ月前と・・またもや誤記した。上記に修正してお詫びします。だから、無責任なメルマガなど信用しないことです。
 
 核爆発の瞬間、DVDの画面に閃光が走り、画面は真っ白となる。数秒遅れて、きのこ雲が盛り上がり、原爆だったことを観客はビジュアルで知る。そしてストーンの語りが再びはじまる。
 
 オッペンハイマーは、ヒンドゥ教の“Bhagavad Gita”を引用して、“明るさは太陽よりも強烈だった”とその直後に語っている。『今、私は死となった。この世の破壊者である』
 
 ストーンが、その後を淡々と続ける。『この恐るべき兵器は米国をひとつのジャーニーに旅立たせる・・建国の父たちの避難場所だったこのアメリカが・・軍事国家に変っていく』(STONE: “The terrifying weapon would launch the US on a journey … turning the refuge of the founding fathers into a militarized state”)
 
 
 
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 13: DVD物語の構成(エピソード)
 
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 この4枚組みDVDを完全に理解するため、苦行を強いられている。何十回と繰り返し鑑賞するが、まだ飲み込めない。そこでNHさんのヒントを活用し、インターネット検索も駆使してみた。
 
 2012年11月から2013年10月までの1年間、アメリカのTVシリーズ・ドキュメンタリーとしてストーンが製作し、エピソードは下記の10回分となっていることが見えてきた。その後、序章エピソードAとBを追加してDVDおよびBlue-Rayを製作したようだ。
 
 序章エピソードA:1900-1920年 第一次世界大戦、ロシア革命、ウッドロウ・ウィルソン
 序章エピソードB:1920-1940年 ルーズベルト、ヒトラー、スターリン:(イデアの闘い)
 
 第01章:第一次世界大戦
 第02章:ルーズベルト、トルーマン、ワラス
 第03章:原子爆弾
 第04章:冷戦:1945-1950年
 第05章:1950年代:アイゼンハワー、核兵器と第三次戦争
 第06章:J・F・K:ギリギリの瀬戸際へ
 第07章:ジョンソン、ニクソンとベトナム:運命の大転換
 第08章:レーガン、ゴルバチョフと第三世界:権利の勃興
 第09章:ブッシュとクリントン:アメリカの勝利主義 − 世界の新秩序
 第10章:ブッシュとオバマ:恐怖(テロ)の時代
 
 
 
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 14: DVD物語の構成(エピソード)
 
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 賢明な読者は、ルーズベルトといっても1901年から1909年まで第26代大統領を務めたセオドラ・ルーズベルトと、1933年から1945年まで第32代大統領を務めたフランクリン・デラノ・ルーズベルトおよびその賢夫人アンナ・エレノア・ルーズベルトの違いもご存知だ。
 
 同様にブッシュといっても、1989年から1993年まで第41代大統領を務めたジョージ・ハーバート・ブッシュ父と、2001年から2009年まで第43代大統領を務めたジョージ・ウォーカー・ブッシュ息子の違いもご存知だ。
 
 さらには、クリントンといって、1994年から2000年まで第42代大統領を務めたウィリアム・クリントン(通称ビル・クリントン)と、その夫人でオバマと大統領選を争ったヒラリー・ローダム・クリントンの違いもご存知だ。
 だから、上記エピソード案内もこれ以上は詳述しない。
 
 無法地帯といわれた西部劇の舞台ですら、アメリカには決闘のルールがあった。
 西部劇の大御所といわれたジョン・ウェインもゲーリー・クーパーもそのルールは厳しく守った。それがアメリカ人の先祖カウボーイの鉄則であった。
 無防備の背中に向かって銃を撃たない。相手より先には銃を抜かない。
 相手がホルスターから銃を抜いた瞬間、目にもとまらぬ速さで銃を抜き、相手を撃ち倒すのである。これがサムライにも通ずる、アメリカ人の格好良さでもあった。
 
 ところが、戦争ゴッコが、多くの国を巻き込むと、人間としてのモラルが消え失せた。それが第一次世界大戦から第二次世界大戦へと価値観がコペ転した重要なポイントである。ストーンのDVDは教えてくれる。戦争に従事していない民間人を殺傷しても、キリスト教的言い方をすると“罪悪”と思わなくなった。日本人的な言い方だと弱き婦女子を殺しても“卑怯者”と思わなくなった。
 
 そこのところを、ストーンはビジュアル実写を走馬灯のように展開させ、理路整然と教えてくれる。コンビニ的ひと括りだと、事態もつかめず説明もせず、マニュアルには書いてありません、で終わりだろう。
 
 コンビニ的簡便な総括は危険だが、駆け足でこのDVDを見てみたい。
 
 フランクリン・デラノ・ルーズベルト(*FDRの愛称で親しまれ、FDR関連のDVDも何枚か蒐集済みだ)は、西部戦線で第二次世界大戦が勃発すると、アメリカの中立を宣言したものの、反ファッシズム陣営の側に立つことを明確にし、武器貸与法で軍事援助政策に着手、イギリスと大西洋憲章を発表し、さらには1941年12月7日アメリカ領土である真珠湾が攻撃されると、翌日対日宣戦布告を発して、米国は第二次世界大戦に参戦した。そのときの大統領がFDRである。
 
 このFDRは、1921年小児麻痺(急性灰白髄炎)に罹り、生涯車椅子の人生であった。だが、アメリカの大統領としてはバランス感覚と高い見識を備え、ラジオ放送を通じての炉辺談話などで国内の人望・人気は他に敵なしで、1944年アメリカ史上初の大統領4選を成し遂げた。
 
 そのまま、大統領任期を全うし、第二次世界大戦の終戦を主導して、戦後の国際秩序に貢献していれば、世界の歴史は大きく変ったことであろう。だが、IFは許されない。FDRは終戦間近の1945年4月12日脳溢血で死去した。終戦4ヶ月前である。
 
 米国憲法に従い、当時の副大統領ハリー・S・トルーマンが第33代大統領に繰り上がった。ミズーリ州の高校卒業後、第一次世界大戦に参加、除隊後3つの事業に失敗し破産も経験した。1934年に民主党上院議員に選ばれた。だが、地味な性格で政界に敵が少ないのが唯一取柄と言われた。
 
 第二次世界大戦終了後60年以上経過して、英国・米国・欧州各国・ソ連・ドイツ・イタリア・日本両サイドの歴史的資料が明らかになり、ストーン監督のチームがそれらを綿密に精査し、このDVDに纏め上げてくれた。だからこそ、第二次世界大戦を関連付けて全体的に鳥瞰できるようになった。画期的なことで、これは大いに感謝すると同時に、このDVDに出遭ったSerendipityに歓声を上げたくなる。
 
 そのDVDによって当時の両陣営の動きを見比べると、日本政府の最高指導者会議や御前会議は、世界の潮流の大きな変化に気付いていなかったことが分かる。下世話な言葉で言えば、井の中の蛙で、情報活動の未熟さである。これは今のミャンマーにも当てはまる。海外でエリート教育を受けたスーチーは別として、中央・地方政府内部にも、軍人グループにも、民間人にも、若者たちにも、大海をみて育った人間は少ない。だから、このDVDは彼らにとって宝モノとなるはずだ。海賊版DVDをミャンマーの若者たちのために役立てたい。
 
 そして、このメルマガの趣旨も、日本で流行している単なる軍部批判、ヒトラー批判だけで一括りにしたくはない。ヘイト・スピーチがヘイト・スピーチを呼ぶ流行には加わりたくない。スーチーの言う複眼的な視点で物事を見ていきたい。それが、冷徹なストーン目線でもある。
 
 話は脱線するが、書店を覗くと中古・新書を含めてヒトラー関係の書籍が目立つ。ミャンマーにおいてヒトラーは絶大的な人気がある。ミャンマー駐在の外交官に訊いてみるが良い。「どうしてヒトラーはミャンマーで人気があるのでしょう?」と。どの国の大使も任期はせいぜい4-5年、最初はミャンマーをほとんど知らない。そして任期が切れる頃、やっとミャンマーが分かりかけてくる。この質問はミャンマーに駐在する外交官の知的インテリ度を確認するリトマス試験紙である。あるいは、その国の情報機関のレベルが量れるバロメータでもある。
 
 意地悪だが、このメルマガではその答えは明かさない。
 スーチーとオックスフォード大学の見解の相違を読み取く鍵がそこに隠されているからだ。
 
 
 
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 15: ストーンの歴史改革は例証が盛り沢山
 
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 英語にUnsung Heroesという言葉がある。ストーンが序盤で語った忘れ去られたヒーローのことである。歴史教育からも忘れ去られ、アメリカの子供たちは知らない。歴史に埋もれてしまった無名の(=Unsung)英雄たちのことである。
 
 そのひとりが“Henry A. Wallace”である。
 ワタシはまったく無知であった。賢明な読者もご存じの方は少ないと思う。
 1910年アイオワ州立大学卒業。農業専門誌を編集し、トウモロコシの品種改良に従事していた。そこをFDR大統領に認められ、農務長官に抜擢された。さらには1941年から1944年、FDRの信頼すべき副大統領を務めた。
 
 問題は1944年7月イリノイ州シカゴで開催された民主党大会である。
 体力が弱って党大会に出席できないルーズベルトのランニング・メイト、すなわち副大統領を指名投票するお祭り行事である。ワラスは現職の副大統領としてダントツの人気候補であった。ルーズベルトのみならず、夫人のエレノアまでがワラス応援のスピーチをした。異例のことだった。
 
 会場は“Wallace”、“ワレス”、と“Wallaceコール”一色の議員団で一杯となった。
 誰かがアンプに繋がったマイクを取り上げ、“アイオア!、ワレス!”を繰り返す。それが会場に木霊し、会場はさらに盛り上がった。そのまま指名投票が行われたら、間違いなくワレスが副大統領、将来の第33代大統領に就任したと、ストーンは語る。
 
 どこの国でも反対派はいる。この騒ぎの中で政界大ボスの一派が、田舎出で学歴もパッとせず、会社を3つもダメにした経歴のトルーマンを担ぎ出した。ヤリ手のワラスには政敵が多い、トルーマンの取柄は政敵が少ないことである。直前のギャラップ調査でもワラス65%、トルーマン2%の数字を示していた。大ボス一派は、大喧騒の中で一瞬の虚をつき、副大統領使命投票を翌日に延期させてしまった。
 
 日本でもアメリカでも、政治は一寸先は闇である。江川事件でモデルにしたのが、これだったのかと、東西南北研究所は分析中である。翌日も朝から“Wallaceコール”は続いた。だが最終結果は、トルーマンが1031票を獲得し、ワラスは105票であった。ワラスは敗北を認めた。だが、ルーズベルトに忠誠を尽くし、閣内の留まると発表した。ルーズベルトが主役となり、ワラスは脇役に引っ込んだのである。
 
 当研究所では、古代ギリシャを引用して、そして現代のPhD学位の意味する哲学の重要性に言及してきた。特に一国の指導者は、人生の意義そして平和の意味を追及する、哲学心を持った人物でないと、危険ではないかと。ストーンが指摘するのもトルーマンのその危うさで、実際に歴史を誤った方向にミスリードしたとして、トルーマンを強く非難している。その陰に葬られたのが、“Henry A. Wallace”であると、アメリカの次世代にストーンは伝える。
 
 さらに時間は1936年7月に遡る。欧州一帯の西部戦線ではドイツ・イタリアの部隊が我が物顔で隣国を蹂躙していた。スペインの一角でも、呼応するようにフランコ将軍のファッシズムがヒットラー・ムッソリーニの支援を受け、一般市民を恐怖に陥れていた。国際社会の非難は高まった。このときである、ピカソが壁画にゲルニカの爆撃の惨状を描いたのは。
 
 それでもルーズベルトのアメリカは中立を装った。
 そして、FDRは両陣営に対する武器輸出の禁止を発表した。
 しかし、フォード社、GM社、ファイアストーン社など米国の大企業は、ファッシスト国にトラック、タイヤ、重機類を提供した。テキサコ石油会社もフランコに必要なだけ、しかもツケで提供すると約束した。
 
 これは当研究所がアラ探ししたのではない。ストーンがビデオ付きで証明してくれている。アメリカの一流どころが、金儲けできるところには、国の法律を犯してまで、投資していることが分かる。これが中国の貿易交渉でも、そしてミャンマーの最後の経済フロントでも、トランプの手の内を読み取る、あるいはアメリカン手法を予測する一端とならないだろうか。
 
 ルーズベルトは激怒した。テキサコに輸出禁止を命令し、罰金を科すと脅かした。
 その一方で、“Abraham Lincoln Brigade”というアメリカの勇壮な志願兵2,800名がフランコと戦うためにスペインにやってきた。その内、約1,000名はアメリカに帰還しなかった。
 
 反ファッシストの立場でこれを取材したのがアーネスト・ヘミングウェイで、1940年“誰がために鐘は鳴る”の長編を仕上げ、この原作は1943年にはゲーリー・クーパー主演で映画化された。
 
 一昨日、若き日マドリードに留学した知人から久しぶりにメールを貰い、嬉しくなってしまった。感謝の気持ちを込めて、無理矢理ヘミングウェイにまで話をもっていった。スペインはレコンキスタの鬩ぎ合いの地であり、カソリックとイスラムが同居するところにその魅力があると思います。ヘミングウェイが惹かれたのも、そのエキゾティックさでなかっただろうか。スーチーの哲学で言えば、将来ラカイン州が異文化が共存するエキゾチックな地になる可能性はありそうな気がします。
 
 パンプロナの聖フェルミン祭りも、闘牛士も、ヘミングウェイを連想しますが、本日(日曜日)はメルマガも一段落したので、昼真っから一杯いきたいと思います。スパイス代わりに音楽がほしいですね。盲目の作曲家ホアキン・ロドリゴにアランホェース協奏曲でも頼みましょう。盲目の作曲家とトルコ美人ピアニストの組み合わせもロマンがありますね。どうして盲人に美人が必要なんだという、コンビニ的発想のクレームは受け付けません。
 
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