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<ミャンマーで今、何が?> Vol.239
2018.1.12
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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■ウ・ソウのような本当の話
・01: 真珠湾攻撃直後の目撃者
・02: 三代目ビルマ人首相ウ・ソウ
・03: 恐ろしいほどに老獪な英国
・04: ウ・ソウの世界漫遊旅行
・05: ウ・ソウの政治的大バクチ
・公式ツイッター(@magmyanmar1)
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01: 真珠湾攻撃直後の目撃者
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日本とビルマの関係で、どうしても避けては通れない人物がいる。
サンフランシスコからシンガポールに向かうパンアメリカン航空のクリッパー機が給油のためホノルルに着水した。今から76年前の1941年12月7日午後のことである。
歴史をひもとけば、日本海軍の機動部隊がオアフ島の真珠湾を奇襲攻撃したのは、まさにその日曜日の午前中であった。当然、駐機中の戦闘機は狙い撃ちされ、飛行場は使用不可能となり、米国太平洋艦隊が大損害を受けていた。
クリッパー機とは大型飛行艇のことで、水面に発着するように設計された水上機である。普通の水上機と異なり、乗員・乗客・諸設備などを収める胴体部分が船形となっている。
ホノルル空港が機能しなくなった中で、しかも、日本の戦闘機が一斉に引き上げた後で、幸運にも海上に舞い降りることができた。もし午前中であれば、戦闘に巻き込まれていた可能性大である。
その大型飛行艇から出てきたのが、首相補佐官を伴った現役ビルマ首相のウ・ソウであった。
ウ・ソウとは英国植民地の下、初代バモウ博士、二代目 ウ・プーに続く三人目のビルマ人首相である。
だが、そのウ・ソウがどうして奇跡的なあの時間帯に真珠湾に現れたのだ、という疑問が当然出てくる。
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02:三代目ビルマ人首相ウ・ソウ
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話を端折って、ダイジェスト版で説明すると、こうなる。
初代のバモウ内閣は1939年2月16日、内閣不信任案可決で倒された。
コックレイン総督はバモウ首相より12歳年長のベテラン政治家ウ・プーをビルマ人二代目の首相に指名した。この時、ウ・ソウは初入閣し、農林大臣に就任した。
1940年9月、今度はウ・プー内閣に対する不信任決議案が提出された。
ウ・ソウは閣僚でありながら、賛成票を投じてウ・プー首相を裏切った。ウ・プー内閣は1年7ヶ月で崩壊した。
コックレイン総督はその後任に、農林大臣であったウ・ソウを指名し、ウ・ソウは念願の首相に就任した。
ところで、このコックレイン総督(Sir Archibald Douglas Cochrane, GOVERNOR)だが、当時の大英帝国が経営する植民地ビルマにおいて、ビルマ人首相をも指名できる最高の権力者であった。この後、日本軍が英国軍をビルマから追い出し、1943年8月1日バモウ博士を元首とする内閣が発足するが、英国人が英語で書いたこの時期のビルマ史にはすべて、日本の"傀儡政権"と書いてある。
このメルマガは、外国人が他国の領土を占有する植民地主義には反対の立場をとり、ビルマを植民地化した大英帝国も、それを真似した日本も、もちろんケシカランと声を大にするが、この英国人によるビルマ史、すなわち日本の"傀儡政権"という歴史のスリカエには、狡猾で老獪なイギリス人魂が露骨に表現されている。コックレイン総督が指名した三人のビルマ人首相こそ英国の"傀儡政権"そのものである。
今回の英国によるスーチー・バッシングも同様にその狡猾で老獪なイギリス人魂の発露でしかない。それを悲しいかな日本のマスコミは自分で分析せず、欧米の論調を真似して、バッシングに参加する。小学生のイジメよりタチが悪い。
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03: 恐ろしいほどに老獪な英国
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話は大きく飛躍するが、今回、英国のヘンリー王子が婚約した。英国王位継承は第5位の順位である。問題はその相手のアメリカ人女優メーガン・マークルである。日本の皇室であれば問題にされるであろう彼女の離婚歴など親父のチャールズの経歴からして、英国王室の歴史からして全く問題はない。メーガンの父親はオランダ・アイルランド系の白人である。母親が差別用語を避けてアフリカ系アメリカ人というが、事実、黒人であることが英王室内で最大の問題とされた。ここではシロクロをはっきりするため、この表現を使用する。
例えばの話である。
オバマ大統領の母親は血統書付きの白人で、父親はケニア出身の黒人である。
だが、その息子であるオバマ大統領には黒人としての容貌が色濃く出ている。
将来生まれるであろうヘンリーとメーガン(2分の1黒人)の子供たち(4分の1黒人)の容姿に、どちらの要素が強く出るかは、生まれてみないとわからない。
兄のウィリアム皇太子と共にこの兄弟は、チャールズに離婚されたダイアナ妃の息子である。
次男のヘンリーには母親のダイアナに対して冷酷であった英国王室に対する反逆心が子供心に備わっていた。ヘンリーのスキャンダルは山ほどある。例えばイートン校に入学した14歳ですでにアルコール依存症に罹っている。乱行パーティでストリッパーを膝に乗せた写真とか、自身のヌード写真などが、イギリスの大衆紙サンにすっぱ抜かれている。
その延長線で捉えると、ヘンリーとメーガンの子供の一人に黒いオルフェが生まれた時、世界のマスコミの大騒ぎをよそに、ひとりニコリと微笑むのがヘンリーである。これこそヘンリーの英国王室、ひいては父親チャールズに対する最大の復讐劇である。
チャールズ・ダーウィンを輩出した英国である。英王室を始め、その取り巻きの学者連中は、十分にその可能性を熟知している。ケンケンガクガクと諮問し、討議したが、堂々巡りで終わった。トラウマのように心の奥底に潜むヘンリーの複雑さは、親族、識者による説得を冷徹に拒絶した。それがヘンリーの婚約発表であった。日本では新聞もテレビも、ロイヤル・ウェディングとハシャグかもしれないが、ハシャグだけでは狡猾で老獪な英国は読み解けない。
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04: ウ・ソウの世界漫遊旅行
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余計な無駄話が続いた。ウ・ソウの話だった。
ここで閑話休題といきたい。
1940年9月英国植民地ビルマの第3代目ビルマ人傀儡政権としてウ・ソウ内閣が発足。
ウ・ソウ首相は、コックレイン総督の後任となったドーマン・スミス新総督に、国内で山積みの問題には目をつむり、1941年7月29日、英国訪問の希望を申し出た。さらには英国訪問後に米国と英連邦ドミニオンであるカナダにも立ち寄りたいと付け加えた。
英国政府は、ウ・ソウが世界見聞を広めることは良いことと前向きに判断し、この二つの申し出に許可を与えた。
1941年9月23日ウ・ソウは首相補佐官を伴い、ラングーンから英国に向け飛行艇で飛び立った。
24日付のロイター電は、ウ・ソウを乗せた飛行艇は、シュエダゴンパゴダ上空で3回旋回した後、西に向かって飛んでいったと報じている。
カルカッタ、カイロ、ラゴス(アフリカ西海岸)、リスボンを経由して、1941年10月10日英国ブリストル市の飛行場に到着した。そこから鉄道でロンドンに向かい、ハイドパークにあるドチェスター・ホテルに宿をとった。
ウ・ソウは1941年11月5日まで26日間英国に滞在した。
その間、チャーチル首相、ウッド蔵相、インド・ビルマ担当大臣のエイマリー、イーデン外相およびモリソン内相、ロンドン市長、コックレイン前ビルマ総督などと会談を行っている。さらに、ウ・ソウの強い希望で国王ジョージ5世への謁見も果たした。
親善訪問ということで、ウ・ソウ歓迎の夕食会、昼食会、シェリーパーティなどが15回以上設定された。
そして11月5日、ブリストル市の飛行場から、次の訪問地である米国に向かった。途中でポルトガルのリスボンに立ち寄り、大型飛行艇のクリッパー機で11月12日に米国のワシントンDCに到着した。
ルーズベルト大統領やハル国務長官と会談し、11月24日から一週間カナダを訪問し、12月1日に米国のサンフランシスコに移動した。
ウ・ソウは英国滞在中、米国とカナダを訪問した後、太平洋回りで英領ドミニオンのオーストラリアとニュージーランドを訪れ、カナダ以外のドミニオンについても実態を視察したいとの図々しい希望を提出し、総督とビルマ省から正式な許可を受けていた。そこでウ・ソウは1942年12月7日、太平洋戦争勃発の運命のホノルルへ向かったのである。
このようにウ・ソウの人生は波乱万丈である。
当然ながらクリッパー機の飛行はホノルルで打ち切りとなり、ウ・ソウはそこで足止めを食らう。
だが、そこでウ・ソウが目にしたものは、日本側の大戦果と米国側の大損害である。政治家ウ・ソウが政治的な大決心をしても、何らオカシイことはない。英国ビルマ省はウ・ソウとの連絡手段をこの数日間失っていたという。数日後、米国本土に向かう飛行機の席をやっと確保できた。
ウ・ソウはもと来た道を辿りサンフランシスコへ戻る。そこから大陸横断鉄道で東岸のニューヨークへ向かった。そして、飛行機で英領バミューダ経由、大西洋を渡った。中立国ポルトガルのリスボンに到着したのが1941年12月29日、二度目のリスボンである。ヨーロッパにおける第二次世界大戦は1939年9月に始まっていた。リスボンには年末年始の5日間滞在した。
年が改まり1942年1月2日、BOAC(英国国営航空)の飛行艇カタリナでリスボンを離れ、マルタ、カイロ、パレスチナのティべリアスを経由して、ビルマに向かう。
現職の首相が、国内で問題を抱えながらも、3ヶ月以上にわたって官費で世界漫遊旅行を行ったのである。
その全てを宗主国のイギリスに認めさせている。ロンドンでの派手派手の歓迎会を含め、英国国王にまで拝謁する栄誉を英国政府に認めさせている。
ウ・ソウのアクの強さといい、押しの強さといい、説得力の凄さといい、見上げたものである。良い度胸をしている。これら全てがウ・ソウの性格を露骨に語るエピソードである。
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05: ウ・ソウの政治的大バクチ
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年末年始の5日間、ウ・ソウはリスボンで政治的な大バクチを打った。
なんと大胆にも、英米の敵となった日本国公使館に駆け込んだのである。
そこで、一転してビルマの対日協力と日本の支援に基づく"自由ビルマ政府"の樹立を申し出た。
どこかのチンピラ団体の代表ではなく、歴とした英領植民地の現職首相がである。宗主国であるイギリスへの最大の裏切り行為である。英米人の若者なら"アンビリーバブル!"、日本人なら"信じられな〜い"と叫ぶところである。
真珠湾攻撃直後の惨状を目撃し、勝ち馬券は英国ではなく、日本で決まり、と見たわけだ。
老獪な国の大文豪シェークスピアの「始め良ければ全て良し」ではなく、「終わり良ければ全て良し」という警告を教養のないウ・ソウは無視したわけだ。
この経緯を報告し、問い合わせるため、リスボンの日本公使館は東京の本省に暗号電報を打電した。
2018年の読者はご承知の通り、日本当局の暗号電報は当時全て米国海軍に傍受されていた。数日後には解読が終了し、米国政府はチャーチル首相に極秘暗号で緊急警告電報を発信した。ウ・ソウの裏切りを知ったチャーチルはカンカンになって激怒した。
1月12日、ウ・ソウと首相補佐官はパレスチナのティべリアス空港で緊急拘束される。二人はエルサレムに連行され、英国官憲の執拗で徹底的な取り調べを受けた。
その尋問で、リスボンの日本公使館と接触したことをウ・ソウは認めた。だが、英国の疑惑を全面的に否認した。巧妙な言い訳は、日本に住む留学生たちを敵国臣民として扱わないよう申し出たの一点張りであった。怒りの収まらない英国はウ・ソウを国家反逆罪で起訴しようとした。
そのためには、米国海軍が解読した日本の暗号電報を証拠として裁判に提出する必要がある。
日本政府は日本の暗号電報が敵側に解読されていることに気づいていない。証拠提出はその事実を公開することになる。連合国に絶対的に有利な手の内をさらけ出すべきではない。判断に悩んだ英国は、国益を最優先して、起訴を諦め、超法規的にコトを処理した。
ウ・ソウは即刻、首相職から解任され、1942年4月初めに、極秘裏に英領ウガンダに送られた。そして、ボンボという小さな町の一軒家に無期限で軟禁された。
第二次世界大戦が終了すれば、英連邦ドミニオンのビルマ初代首相という栄誉ある地位に最も近かった主役が、政治の表舞台から突然奈落の底に転落した。かといって、政治的に死んだわけではない。ウ・ソウは地獄の底から這い上がるのである。
非常に勉強となったアッパー・ビルマの旅行から戻り、まだ疲れが抜けていない。
今回はここまでにしておきたい。
今回のストーリーは根元敬著「抵抗と協力のはざま」岩波書店発行を参考にさせてもらった。
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