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<ミャンマーで今、何が?> Vol.222
2017.7.4

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■ミャンマー分析の方法

 ・01: ウワサを馬鹿にしてはいけない

 ・02: ネイシュエトゥエイアウンWho?

 ・03: タンシュエの性格

 ・04: 悪人正機説

 ・05: スーチー哲学

 ・06: スーチーの寺子屋学級

 ・07: 一時間目の授業

 ・08: 又しても言い訳

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東西南北研究所の編集クラブで喧々諤々(けんけんがくがく)の問題が発生している。

それは「ミャンマーの今」をどうやって読み解くかである。

日本人なら、ミャンマーとは、アメリカとは、中国とは、と簡単に割り切って議論を始めるが、並の日本的手法は取りたくない。あくまでもヤンゴン方式を貫きたい。

スーチーが投げかけた「ミャンマーは複雑なんです!」という言葉を分析しながら。

アメリカ人が参加すれば、彼自身がアメリカ階層社会のどこに属するかを見極めて対応しないと、議論はかみ合わない。東部の大学を出たエリートなのか?あるいは西海岸の自由な雰囲気で育ったかで、大きく異なる。黒人でもアフリカ系なのか、西インド諸島かで異なる。スペイン語の達者なアメリカンもいる。すなわちメキシコ系アメリカンである。白人とひと口に言ってもアイリッシュも、イタリア系も、ユダヤ人もいる。アメリカは多様な移民で成り立つ国家である。

中国人も多士済済だ。日本人が決めてかかる中国人らしき人物は一人もいない。ここヤンゴンでは、むしろ福建省系か広東省系かが決め手になる。そして中国語を話さない中国人も大勢いる。国民党軍の残党もいれば、雲南省出身の得体の知れない超金持ちの中国人もいる。総ヒノキ造りという言葉があるが、この雲南省人の総ヒスイ造りの応接間には腰を抜かしたと友人は語る。

先日のミャンマー人の集まりもそうだった。10人ほどが飲み食いした。ビルマ語を話しているが、ビルマ民族は一人もいない。アナタたちミャンマー人はと一括りで話す日本人は多い。参加したカレン人は、ビルマ人がいない時に限って、冗談を交えてビルマ人を徹底的にコケにする。ビルマ人と血みどろの戦いをした歴史を知らないと冗談が解せない。ここでも多様な民族を思い知らされる。

少数民族という多様性を受け入れると、スーチーの「複雑なんです!」が分かるような気がする。軍人世界も同様だ。日本人が考えるほど、白黒がハッキリしている訳ではない。兄弟が、息子が、あるいはオジ貴が軍人だというのは結構いる。それも万年二等兵か、将校クラスかで家庭環境は全く異なる。軍人に類する種族で元警察官もいる。これもランク次第で、千差万別である。

これらを前提にして、ミャンマーの今を読み解かねばならない。



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01: ウワサを馬鹿にしてはいけない

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これはバックナンバーVol.172 (2015.12.02)のタイトルである。
スーチーNLD党首が11月19日ネイピードの自宅で元独裁者タンシュエの孫と会見したというウワサを、スーチー本人が11月26日に認めたとの報道である。だが、会談内容については何も流れてこない。

ここで突然登場する"タンシュエの孫"という存在に注目したい。
スーチーの謎の言葉を理解すれば、アメリカ、イギリス、中国、ロシアの大使館がこのウワサに敏感に反応したことは想像に難くない。

それでは次の週のバックナンバーVol.173 (2015.12.09)を見てみよう。
タイトルは<スーチー戦略がゆっくり始動開始>となっている。

これによれば、12月2日午前中スーチーとテインセイン大統領との会談、45分間。同12月2日午後、スーチーとミンアウンライン国防軍最高司令官との会談、1時間となっている。

11月8日の総選挙からまだ一月経っていない。スーチー率いるNLDが大勝し、政権交代が確実となった。だが、1990年の前科がある。
翌年2016年3月30日、本当にバトンタッチされるのか何の保障もない。そういう雰囲気の中で、飛び切りのニュースが飛び込んできた。

12月4日といえば、大統領および最高司令官会見から2日後である。
スーチーがネイピードにある広大な、だが秘密に包まれた、タンシュエ私邸で、二人だけの極秘会談が持たれたという。
当時スーチー70歳、タンシュエ82歳。その極秘会談は2時間続いた。テインセインやミンアウンラインとの会談が小粒に見える超ド級の会談である。

総選挙勝利直後、スーチーは大統領と最高司令官との会談を申し入れた。が、延び延びにされ12月2日にやっと実現した。同時にタンシュエとの会談もマル秘で申し入れた。それが実現したのが12月4日。

当研究所は実に愚かであった。スーチーのいう「複雑なんです!」に気付いたのは、心臓の異常発作に倒れ人生の終焉を覚悟してからだから、この一・二ヶ月のことである。人生の末期に気付くとは、かなり鈍感だ。多分、ヤンゴン駐在の米国大使館、中国大使館、英国大使館、ロシア大使館の情報局あるいは武官は、この時点で確信したはずである。

何を確信したのか?

01: テインセインもミンアウンラインも、スーチーとの会見を自分で決定できなかったこと。
02: すべてはタンシュエの決断次第。そのお伺いを得て12月2日の会談となったこと。
03: タンシュエは2010年8月27日に軍籍を離れたが、超越的支配力を未だ保持していること。
04: その支配力は絶対で、大統領でも国軍最高将軍でも終身逆らえないということ。
05: タンシュエにとって大統領も国軍最高将軍も使い捨てで、信用していないこと。
06: 信用したのは身内の孫だけであったこと。
07: スーチーはこのカラクリをすべて見抜いていたということ。

だからこそスーチーは、憲法上も法律上も何ひとつ権力のない、だがミャンマー 社会では超越的な支配者タンシュエとの会談を要求した。複雑さの最大根拠はココにある。




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02: ネイシュエトゥエイアウンWho?

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彼こそタンシュエの孫で、スーチーとタンシュエ会談の仲介をした人物である。当時24歳。頭文字から以下NSTAと略す。
タンシュエ同様にこの孫も何ひとつ権力も権限も持たない。だが、超越的支配者の成人した孫という意味で、忠実な部下を装う将軍たちより、タンシュエの絶対的信頼を得た唯一の人物である。

そのNSTAが歴史的な会談後、フェースブック(FB)に貴重なメッセージを載せている。さすがに現代っ子である。
「ド・スーが総選挙に勝利したこと、ミャンマーの未来の指導者になる事実を、国民の誰もが受け止めねばならない」と語ったタンシュエの言葉を引用した。
この場合、ド・スーの"ド"は年配の権威のある女性に対して、それでいながら"スー"は愛着を込めた呼びかけである。

ここで見逃していけないのが、その露払いとなった11月19日の出来事である。
総選挙の結果が判明してから、わずか10日しか経っていない。
スーチーの招きでNSTAがその自宅を訪ねた。

NSTAがその当日の11月19日に、自分は今ネイピードにいて「今夜は歴史的なものになるだろう」と、フェースブック(FB)に載せた。これがウワサとなってミャンマー全国を駆け巡った。すでにミャンマーはSNSの時代に突入し、トランプ国に決して引けを取らない。
諜報能力を備えた大使館なら、即座に気付いた。

スーチー党首のコメントはミズマ紙がスクープした。それを参照して、NSTAは感謝のメッセージを11月26日のFBに載せている。「アンティが会談の事実を公に確認してくれた。私にいえることは唯ありがとうのみだ」と書いている。ミャンマーでは、年輩の女性にはアンティ(叔母)が、男性にはアンクル(叔父)が最大の敬意を意味する。 

イレブン紙のネット版では、スーチーのネイピードの自宅でNSTAは11月19日に面談したとなっており、11月26日のFBにも「これ以上皆さんを悩ませたくない。彼女は自分に対して温かく接してくれた。国のためになることを自分はやっていきたい」とNSTAは記載している。 法的には何の権限も持たないが、独裁者の孫としての意気込みを読み取らねばならない。

スーチーは何も語らないが、NSTAは真実の糸口を巧妙に吐露している。



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03: タンシュエの性格

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ウィキペディアなどで公表されているので、前歴からそれを探ってみたい。

その前に、気になったので、例のDVDを繰り返し観てみた。
日本語訳では「大統領の陰謀」となっている。が、これは正確な翻訳ではない。英語では"ALL THE PRESIDENT'S MEN"である。意味するところは「全員が大統領の意のままに動く男たち」あるいは「全員が大統領に忠実な男たち」だ。

そこで"大統領"を"タンシュエ"に置き換えてみた。ミャンマー劇場にピッタリのタイトルだ。
ミャンマーの軍隊は一人残らずタンシュエ個人に忠誠を誓った組織であることが見えてきた。
そのプロトタイプはネウィンなのだろう。
消せと言われれば消す。殺せと命令されれば殺す。

ミャンマーの軍事政権は残酷だ!、人権無視だ!と憤る読者の方もおられるだろう。
だが当研究所の編集クラブは少しばかり意見が異なる。
まずは熱り立たない。
多様な視点から問題を掘り下げる。
ワインでも飲みながら。

英語版と比較すると、日本語版のウィキペディアでは肝心なことが抜けている。その欠けてる部分は、タンシュエが1958年4月から1958年11月までソ連邦のKGBが主宰する陸軍将校の特別コースに派遣されたこと。帰国後、心理戦争司令官となり、1963年12月18日中央政治大学のインストラクターに就任。1969年〜1971年再びソ連のFrunz Academyで高級司令参謀コースを受講して卒業したこと。

タンシュエはこれまでに軍で出世した武闘派と異なり、1958年2月26日に新設された心理戦争部門に移管され、それをキッカケにKGBの特別コースを受講している。カレン族虐殺 に野戦の経験はあるが、ほとんどは超エリートの情報ばたけに従事し、そして極め付けはソ連邦の高級司令参謀コースで2年間も特訓を受け卒業している。

その面がまえからして獰猛でガサツで無教養な独裁者としてのイメージが強いが、上記の特別任務を落ちこぼれずに、しかもロシア語で受講して卒業できた。ということは、その仮面の下には隠された非凡な能力がある。その体得した心理作戦を国土防衛には活用せず、国内全土に恐怖政治を作り上げた。その能力たるや並ではない。

その恐怖政治も、タンシュエが最大に苦心したのが、軍隊組織内部での恐怖心の創造であった。これは大企業内部での重役の人事管理にも似たところがある。優秀な部下を競わせ、忠誠心を誓わせ、最後は恐怖心を募らせる。あまりの惨さに国際社会の、人権団体の、あるいは海外メディアの標的になると、その担当将軍をいとも簡単に切り捨てる。これこそソ連邦のエリート士官学校で学んだ成果であろう。

これは余談になるが、タンシュエの政商テイザーが戦闘機などの武器輸入で財を成したと伝えられる。その輸出相手国はソ連である。上記の履歴からしてソ連・ロシア政府、ヤンゴン在のロシア大使館とはタンシュエにつながる想像以上に太いパイプが出来上がっていると見るべきだ。どれほど太いかというと、古くはインヤーレーク・ホテルはロシア政府の建設寄贈、新しきはタンシュエの孫NSTAが友人グループと雪のモスクワを訪れていることで納得できる。

年が改まると新年の北京詣は、かってのタンシュエにとっては恒例行事であった。スパイマスターにとって、中国は陽動作戦のカモフラージュで、実際にはネイピード/モスクワ回線を隠匿する心理作戦であった。



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04: 悪人正機説

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本論に戻る。
タンシュエは雲の上に置いておくとして、マスコミが騙されてきた大物軍人たちはすべて、単に使い捨ての道具であった。テインセインをも含めてだ。使い捨てにされる方からしたら、人生は虚しい。これほど忠誠心を尽くしのにお払い箱とは、トホホとなる。

日本には女性専用の駆け込み寺がある。ミャンマーの僧院も寛大だ。あれほど残虐非道の将軍をも受け入れてくれる。悪人正機説とはこれら軍人を見込んでの説法だったかも知れない。
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と歎異鈔に残された親鸞の言葉である。

ミエンスエ上級副大統領の前任者Tin Aung Myint Ooは辞表を提出すると僧院に籠った。テインセインも大統領の役目が終わると僧院に入った。本当に自分の前科を悔いたのかはウワサに聞こえてこない。

タンシュエからすると、もう十分にタップリと稼がせてやっただろう、ということになる。ミャンマーの軍人は出世するほど金回りは良くなる。ミャンマー方式は、星の数に従って、子供の教育費、奥方の贅沢費用、ガールフレンドのお手当、シンガポールでの老後医療費などを、自分で在任中に稼ぐ仕組みになっている。日本の役人はどうなっているのか、寡聞にして知らない。

とにかく下っ端はどうでも良い。問題は元凶のタンシュエである。深夜に一人、悪夢にうなされることはないのか? 報道陣の皆さん、直撃インタビューする度胸はありませんか? スクープですよ! 
当然現代っ子の孫は、ルーマニアのチャウシェスク大統領夫妻が簡易裁判の直後、裏庭に引っ張り出されいとも簡単に、銃殺刑に処せられた秘蔵ビデオを一家団欒で見ているはずだ。

スーチーは形だけの会見は行った。大統領と最高司令官に対してである。彼らがどれほどプライドを重視しているのか、複雑なミャンマー事情も熟知している。これは単に形式的な会見であった。
ミャンマー軍事組織階層のトップに登りつめた人物の地位は、使い捨てでしかないということを、スーチーはタップリと観察した。

敵は本能寺、タンシュエとの差しが重要な会談であった。
スーチーは自宅監禁の余暇に、膨大な書物を熟読し、瞑想した。そしてタンシュエに世界の歴史を説いた。
この世は憎悪に満ちている。リベンジにリベンジ。その歴史で埋まっている。日本では親の、あるいは主君の敵討ちが美徳とされている。悪循環の輪廻は、輪廻転生して、止まることがない。
アウンサン将軍の祖父は英国軍の打ち首となり村中の晒し首となった。父親のアウンサン将軍も英国政府の陰謀で殺害された。家族の歴史を語った。

ワタシは今、国民の総意で新政権党の指導者となった。憲法上は阻止されているが実質上の元首である。親族の仇である英国と対等に話し合える立場となった。
軍事政権がこの国を支配してから、大虐殺の犠牲になった一般大衆の数は無数である。その家族の恨み辛みは全国民の嘆きとして今も聞かされる。

だが、新政権に移管されたら、実質上の元首として、この憎悪の輪廻を、仏教にすがる想いで、すべて断ち切りたい。犠牲になったご家族の怒りがどれほど大きかろうと、ワタシは跪いて心から過去を許しを乞うつもりだ。

この世は複雑である。国連の過激な人権団体など、過去を清算しろと、マスコミを総動員して世論を湧きたたせている。だが西洋社会に満ち溢れている人民裁判は、このミャンマーには相応しくない。そのためにも私は憲法を超越して大統領の上に君臨する。
アコージー(Ako Gyi)がそうであったように。
アコージーとは尊敬と同時に親しみを込めた年配男性への呼びかけである。この場合はタンシュエ。

そこでスーチーは最後の切り札を出した。

「どんなに一般大衆が騒ごうと、世界のマスコミが扇動しようが、アコージーの身の安全は、大統領の上に君臨するものとして、生涯保障する。」

孫のNSTAがハシャグほど狂喜のメッセージを流した真意はココにある。

一部マスコミは、スーチーは軍部と手を握ったとスーチー攻撃に専念するので、読者には真意が見えてこない。



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05: スーチー哲学

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偉大なガンジーの弟子はこの世に多数存在する。
どれほど悪逆無道な仕打ちを受けようと、当局に対して、非暴力に徹した者たちである。
一般にはスーチーもその一人に数えられている。

だが、この「過去を許す」という心境に、スーチーが到達した時、スーチーはガンジーを超えたと、前にもこのメルマガで書いた。これはスーチーが独自に開拓した、新境地の哲学である。

晩年になって世界の歴史書を読み直している。お恥ずかしいほどに不勉強だったと後悔しても始まらない。多くの賢人が語った通り、それは戦争の歴史でしかなかった。中国が何千年の歴史と豪語しても、それは戦争の歴史でしかない。今科学がこれほど発達したが、科学は兵器の製造には貢献しても、平和な世界の実現には何ひとつ貢献できない。

それが21世紀の今の現実である。
愚かな指導者たちは「賢人会」と称して、戦争への道を選択している。「過去を許す」という哲学こそが、誰もが成し遂げなかった平和への糸口ではなかろうか?

スーチーが135の民族を包括する「21世紀のパンロン和平協定」を成し遂げれば、世界平和のロールモデルになる。 シリア対策でも北朝鮮対策にしても、世界が進めている方向は、愚かな戦争の歴史に陳腐なページを付け加えるだけである。上向き経済しか語れない世界の指導者に、若者たちは未来の夢を託せない。

イケナイ、イケナイ、また寄り道だ。



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06: スーチーの寺子屋学級

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スーチーは夢も語れるが、欧米式素養で裏打ちされた実務家でもある。

シュエマンをスーチーはピックアップしたが、ミエンスエとミンアウンラインは軍部が指名した。すなわちこの二人はタンシュエが許可した人選である。
日刊英字紙GNLMを開くと、この三人は写真付きで頻繁に顔を出すようになった。その大半は海外の要人との会見写真だ。これほどのマスコミ露出度となると、ミャンマー人好みのプライドは大いに満たされ、海外のマスコミにもそれは反映される。

これは明らかにスーチー新政権の新現象である。
民主化以前は、タンシュエの了解を得ねば、海外の要人とは迂闊に口もきけなかった。スーチーはこの三人にできるだけの会見の機会を与えている。マスコミがフラッシュで一斉射撃する。

中国やロシアの政権発表が面白くないのは、一党独裁の紋切り型だからだ。ミャンマーの軍政時代はそれ以下だった。自分の意見を述べるのをタンシュエから禁じられていた。それに飼い慣らされた軍人を変革せねばならない。スーチーはそこから始めた。

ヒラリーがシュエマンと初めて会見した時のエピソードを語っている。
発足したばかりのミャンマー議会下院議長シュエマンが並み居る国会議員を前に、自由闊達に議論して欲しいと促すが全員ピカピカの一年生議員は誰一人として、人前で公言するのを恐れ何ひとつ喋らないという。同様に一年生のシュエマンもアメリカで大ヒットした連続TV政治ドラマ「ウエスト ウイング」を見ながら、民主的議会の進行を勉強中だとナイーブにも白状している。
バックナンバーVol.207 (2017.01.05)を参照。

このエピソードは、今から6年前に発足したばかりのミャンマー議会の話である。
軍服を伝統的な民間服に着替えているが、議席の大部分は民主主義など全く学習したことのない元軍人議員で埋まっていた。言ってみれば、民主主義ゴッコの学芸会みたいなモノであった。

そしてNLD議員で埋め尽くされた2016年の国会が、やっと誕生する。NLD議員も軍人同様、民主主義など全く知らない。彼らはタンシュエの恐怖政治で育ち、生き延びた元気の良い連中は長いこと刑務所暮らしだ。松下政経塾を卒業した次世代など、ただ一人もいない。スーチーの苦労がお分かりだろうか?

ヤンゴン大学卒業と聞いて、東大卒と同レベルと勘違いする日本人は多勢いる。軍事政権では大学キャンパスは抗議デモの巣窟と見ていた。だから、大学に通学させない、授業を受けさせない、集会を開かせないことを、政府の最大教育方針としていた。大卒の免状を持っていても、何も知らないのが実情である。専攻分野のことを聞いても、信じられないほどに無知である。その環境で育ったのが、今議員になっている。そして「ウエストウィング」で政治を勉強したと、ほざく。スーチーの苦労が理解できるであろうか?

スーチーは後継者を育ててこなかった。そのツケが新政権の体たらくだ。との批判、そしてその欠点をあげつらう報道記事は、幾つも目にしてきた。嫌になる程見てきた。そのようなミャンマー報道で恥ずかしくないのだろうか?

ではスーチーは彼らをどのように指導していくのだろう。
信じられないほどに堕落した大企業に、あるいは親方日の丸体質の政府系民間企業に乗り込む、荒武者経営者の心境を想えば、察しがつくかもしれない。

これこそスーチーの寺子屋学級である。まずは、シュエマン、ミエンスエ、ミンアウンライン、それぞれへの個人授業である。スーチーのスタイルは頭から変革していくトップダウン形式で始まった。



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07: 一時間目の授業

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シュエマンは追放されたとはいえ、USDPの元党首だ。自民党総裁に匹敵する人物であった。だから、下っ端の軍人議員など屁とも思っていない。サラリーマン社会と同じで、タンシュエから干されたとはいえ、国軍No.3の実績は、隠れ崇拝者もいれば、依然有効である。しかも、一時は大統領を目指した人物でもある。シュエマンに忠誠を誓った元部下もいる。そのシュエマンが、今ではスーチーに忠誠を誓っている。

しかも、スーチーが新設したシュエマンのポジションは、例えば、トランプ大統領を弾劾裁判に引っ張り出す権限を持った法制委員長のようなモノである。これから議員ががその恐ろしさを知るようになれば、軍事政権の専売特許であった汚職には迂闊に手を出せなくなる。シュエマンは寺子屋学級の超優等生になりつつある。有望だ。

この辺りを老獪さに長けたスーチーは、シュエマンを嚆矢として軍人部落の切り崩しに取り掛かった。

そして、二番手は上級副大統領のミエンスエである。
スーチーはタンシュエのこの人事には何一つ文句を言えなかった。だが、ミエンスエを籠絡することには自信があった。ミエンスエを例の問題のラカイン州暴動調査委員会の委員長に据えた。
ラカイン州の暴動を押さえる総指揮官はミンアウンラインで、ミエンスエではない。
ミエンスエはあくまでも調査委員会の委員長である。

スーチーの教育方針は、徹底的な調査、ワンサイドに偏らない仏教徒側・イスラム教徒側、両サイドからの綜合調査、第三者の記者団から指摘されても対応できる資料収集および作成、そして大統領府および国家相談役執務室への報告書提出。これらを励行させた上で、内外記者団とのオープンな記者会見および質疑応答を励行させた。

現在、スーチーを訪ねる海外要人の数は、たぶん米国大統領、日本国首相をはるかに上回るだろう。
そして質疑内容も千差万別で、多岐にわたる。
ラカイン州問題が話題に上れば、調査報告で唯一権限を与えられているのはミエンスエ調査委員会委員長で、暴動鎮圧作戦の唯一責任者はミンアウンラインであると、即座にスーチーはこの二人を海外要人に紹介する。

ミエンスエは、スーチーに指示された通り、幾つかの作業委員会を設立し、必要に応じて海外メディアを含めたオープンな記者会見を開き、自由な質疑を行っている。その記者発表も地図を提示しての詳細なモノである。そしてスーチーはタンシュエとの秘密会談の一部を吐露して、これからは民主的な方法で透明な記者発表を行うよう指示した。タンシュエからお墨付きをもらっているので、新しい国づくりに副大統領として全力を尽くしてほしいとでも、語ったのであろう。

ミエンスエは何かが吹っ切れたように、現在その職務に没頭している。多分これまで押さえつけられていた恐怖の重しが取れたのだろう。これらはGNLM紙をジックリと繰り返し読めば、見えてくることである。だが、字面だけを読んでもダメだ。行間を読まねば。



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08: 又しても言い訳

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三番手であるミンアウンラインの調教について書こうとしているが、朝が来て、眠くなってきた。
又しても次回に繰り越しである。
サドンデスが人生だ。
約束はできない。

話題は突然変わる。
昨夜は美味な海鮮料理店での晩餐会に招待された。
隣に座ったミャンマー人から自分の経営するラバー・プランテーションに行くが、一緒に行くかと誘われた。ワタシは信用できない人間よりも、植物の方が何千万倍も大好きだと答えた。

バンガローもあるし、池には1メートルを超えるナマズが多数棲息している。 ビールもウィスキーも用意する、四輪駆動で行くから、是非にと誘われた。ナマズも美味そうだし、敵は私の弱点を見抜いている。

ワタシもQガーデンを経営している。貴君のプランテーションはどの位かと尋ねた。センエーカーと答えた。1,000エーカーかと聞き直すと、ソウダと答えた。
ワタシは猫の額ほどのQガーデンを即座に描いた。だが、千エーカーは想像できない。

この世の見納めにと決心した。
1,000エーカーのプランテーションに土葬される。
雨に濡れた大農園も魅力的だ。
私の夢は荒野を駆け巡る。
悪くない。


東西南北研究所








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