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<ミャンマーで今、何が?> Vol.200
2016.09.23
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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・01: スーチーの第71回国連総会出席(2016年)
・02: 4年前の回想
・03:そして2016年、今年のオバマ大統領の対応
・04: スーチーという人物
・05: 恐怖からの自由(Freedom from Fear)
・06: ハーバード大学から名誉ある賞を受賞
・07: 結論のない終章
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01: スーチーの第71回国連総会出席(2016年)
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毎年9月、米国のNYにある国連本部で国連年次総会が開催され、その期間、NYおよび首都ワシントンDCには、世界中の首脳そして外交団が集結し、派手な首脳外交が繰り広げられる。
スーチーの今回の英国におけるロンドン外交、そして米国におけるワシントン外交も、最終日程の国連年次総会に向けた前哨戦でしかない。
英国ではテレサ・メイ新首相から実質的な国家元首として処遇されたことはお伝えした。今回は米国のワシントン外交について報告したい。
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02: 4年前の回想
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スーチーの前回の米国訪問は、ミャンマーでの国会議員に当選した2012年の9月であった。あれから4年が経つ。スーチーは17日間の米国滞在中、名誉称号受賞など約100件の公式日程をこなした。オバマ大統領もスーチーをホワイトハウスに招き、ミャンマーにおける民主化の進展具合などをつぶさに聴取し、米国のミャンマーに対する今後の政治的・経済的制裁措置についてスーチーに親しく相談したと言われている。だが、このホワイトハウスへの招待およびオバマ大統領との会合は完全に非公式とされた。
その理由は、同じ時期にNY入りしたミャンマーの国家元首テインセイン大統領への取り扱いと雲泥の差があったからだ。米国の著名なシンクタンクは、テインセイン大統領に不愉快な思いをさせると、始動したばかりの民主化が元の黙阿弥になると異例の厳重な喚起を促した。だから、米国政府のテインセイン大統領に対する対応は当時、腫れ物に触るようであった。
テインセイン大統領も直前に、スーチーの二人の息子をはじめミャンマーへの出入国を禁止されていた6000名にのぼる膨大なブラックリストを撤廃して、米国入りの手土産とした。米国も入国禁止制裁下にあったテインセイン大統領および外交団一行に対し、特例の入国・滞在許可を発表した。そして大統領ではなくヒラリー国務長官による、外交上形式的な、だが上辺だけ熱烈歓迎の式典が外交団一行のために用意された。テインセイン大統領は9月27日に国連で演説し、わずか3日間だけで米国を後にした。
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03: そして2016年、今年のオバマ大統領の対応
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オバマ大統領は注目の人スーチーを執務室であるオーバル・ルームに招いた。4年前は緊張の中、幾分コソコソした雰囲気で密談したが、今回は正々堂々とスーチーを迎え入れている。それはスーチーが単なる外務大臣ではなく、国家相談役であるからだ。英国だけでなく米国もスーチーをミャンマー憲法を度外視して、大統領の上に君臨する実質上の国家元首と見なしているからだ。
英国と米国が変われば、世の中の見る目が変化する。これはスーチーの政治家としての作戦勝ちと言えよう。世界の見る目が変われば、国内のスーチーに対する反応が変わってくる。したたかなスーチーは、いま英米を動かし、そして世界を動かしている。これが東西南北研究所の見方である。
話はガラッと変わるが、世界でダントツに超豪華で超格式の高いホテルをご存知だろうか?
一見(いちげん)さんでは絶対に泊まれない、金満国の札束を見せびらかしても宿泊できないホテルがアメリカのワシントンDCにある。そこに宿泊するには、そのホテルの主人から招待される以外他に手はないのだ。
英国のエリザベス二世女王陛下が夫君のフィリップス殿下と、米国訪問の度に宿泊し、日本の今上天皇と美智子妃もその来賓名簿に署名されている。
そこが今回スーチーのワシントンDC滞在中の宿舎である。オバマ大統領の心憎い配慮が読み取れる。アメリカ人ならまず知っている超セレブな"ブレアハウス"だ。だが、外国人は知る人ぞ知るというところだろうか。ホワイトハウスの敷地内にあり、真ん前に位置し、ホワイトハウスとは核攻撃にも耐えられる地下でつながり、セキュリティは地球上で最も万全な場所と言われている。
記憶違いかもしれないが、日本の首相は昨年9月の国連総会時、オバマ大統領との個別会談を強く要望した。だが外務省がいくら頑張っても、実現できなかったといわれている。
マスコミが、スーチー訪米に際して、オバマ大統領がミャンマーへの経済制裁解除というニュースだけを追いかけていると、核心の潮流を見失ってしまう。足下が動いているのに、天動説を唱える旧人類といわれても仕方ないだろう。
オバマ政権、野党を含めた米国議会、実業界は、すでにスーチーをミャンマーの国家元首として歓待している。それを読み取った上で、経済がどうした、投資がどうしたを見極めるべきではないだろうか。
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04: スーチーという人物
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いまのマスコミもそうだが、世界の政治家の中で、夢をそして理想を語れるオピニオンリーダー、指導者は極めて少ない。特に次世代を担う若者たちの心を揺さぶる影響力を持った発言者は稀有である。
何度か紹介したがイギリスのインディペンデント紙の外国特派員であるピーター・ポパムの"The Lady and the Peacock"(日本語版「アウンサンスーチー 愛と使命」)によれば、父親アウンサン将軍が暗殺された時、スーチーはわずかに2歳1ヶ月で、ビルマ独立の英雄である父親から愛情は注がれても薫陶は受けておらず、むしろ母親であるドー・キンチーの厳格な躾によって国の英雄の娘として恥ずかしくない振る舞いを身につけた。海外で育っても東洋的な心は失っていない。
スーチーが1964年、オックスフォード大学のセントヒューズカレッジに入学したのは、英国でビートルズの「ア・ハード・デイズ・ナイト」などが大ヒットしたころである。これはネウィンの軍事クーデターから2年後にあたる。
同じ時期にロンドンのインペリアルカレッジで電気工学を学んだ長兄のアウンサンウーは、要領よく米国で就職し、ビルマ人女性と結婚し、ビルマの市民権を放棄し、米国籍を取得した。
時折ビルマ人で、私もスーチーと同じ境遇で血筋に生まれたら、スーチーと同じ道を歩んだという元気な女性もいるが、顔つきは父親似であったと言われる長兄ですら親父の二世としての道は歩まなかった。偶然を切り開きスーチーと同じ道を踏破するのは並の人間にできることではない。
チベット研究の英国人学者と結婚しても仏教徒としての信念は捨てないどころか、ますます仏教の深淵に傾倒していった。この地球上で、結婚相手に左右されずに、個人として自分の信念を貫き通したカップルはどれほどいるだろう。ネウィン政権およびその後の軍事政権は、表面的な外国人との結婚のみにこだわり、非難し、軍事政権が制定した2008年憲法条項にまで明文化するという異常行動に出た。それはミャンマー国軍の最高司令官が死守すると宣誓している、現憲法のことである。
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05: 恐怖からの自由(Freedom from Fear)
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1990年に世界中で出版された一冊の小論文がある。題名は「恐怖からの自由」で、スーチー哲学の骨格をなし、英文で書かれ世界中に影響を与えた。弾圧する側もされる側も、恐怖によってその行動がいかに歪められるかを、鮮明に記述指摘している。ミャンマーに関心を抱く人であれば、これは必読の書である。スーチーを語るなら、これを読んでからでないと、大恥をかくことになるだろう。
スーチーはこのエッセイのみならず、ジャーナリストからのインタビューも、世界共通語となった英語で受け答え、英語で発信し続けた。この点が21世紀となっても、政治家のみならず日本人の最も弱いところである。スーチーが日本の政治家同様に母国語のみで応答発信していたら、今日のミャンマーはなかったであろう、とは「ミャンマーでいま、何が?」の最初の最初に指摘した。
8888。すなわち1988年8月8日前後にスーチーは数多くの発言をし、各国の政治犯、思想犯など、人権侵害に苦しめられている「良心の囚人」を、イデオロギーにとらわれず国際的に救援することを目的とする組織アムネスティ・インターナショナルへ英文の手紙を書き訴えるなど、その他人権委員会や国連などにも、そして多くの国の外交団にも、英文レターで書き送った。いや書きまくった。これらの抜粋などが、膨大な資料として、だが断片的に、残されている。そして数多くの新聞記者たちが、独占インタビューをモノにして、軍事政権の圧政の中で、孤独に闘うスーチーの叫びを世界中に伝えていった。
それが1991年10月14日につながるのである。
同日オスロのノーベル委員会は、アウンサンスーチーにノーベル平和賞を授与すると発表した。
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06: ハーバード大学から名誉ある賞を受賞
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話を今回の米国訪問に戻そう。
9月19日のミャンマーの日刊英字紙GNLMには、第一面に大きく笑顔の写真とともに、"国家相談役ハーバード大学ヒューマニタリアン賞を受賞"と出ている。
スーチーは米国マサチューセッツ州ケンブリッジにあるハーバード大学科学センターで9月17日、2016年度同大学ヒューマニタリアン賞として赤い盾に埋め込まれたゴールドメダルを受賞し、大勢の聴衆に語りかけた。「世界に飛び出し、世の中の憎悪は"恐怖"に根ざしていることをアナタたちの目で見極め世界に発信してください」と訴えた。彼女の哲学「恐怖からの自由」である。恐怖がお互いに壁を作り、恐怖がお互いの憎悪に繋がり、恐怖が差別を生み出すと持論を展開した。
式典の後、スーチーは同大学で最も優秀な数少ない学生たちとの会合に参加し、夕方、スーチーの栄誉を讃えるために開催された、米国でも非常に権威ある晩餐会に出席した。
自分の名誉欲のために、栄誉賞を金の力で買ったり、優秀な官僚たちに根回しさせ運動させるような、政治家は世界中にいっぱいいる。だが、スーチーは違う。自宅拘束といい、周囲が"恐怖"に負け、挫折し、一人一人落後していく、あるいは官憲の手で撲殺されていく中、最後は一人ぼっちの闘争であった。
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07: 結論のない終章
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今回の総選挙でも、政権を担当した経験がないからスーチーは経済運営で失敗するという記事をいくつも目にした。経済発展および成長率しか語れない政治家やマスコミが多すぎるような気がする。そして、いまは異業種や同業者を飲み込んで巨大化する世界企業のひとり勝ちに拍手が送られる。昔は、弱いものイジメや勝ち馬に乗るのは卑怯で恥だった。ヤセ蛙を応援したり、判官贔屓が日本人の意気そして粋だったような気がする。
M&Aのような欧米式経営が果たしてミャンマーに相応しいのだろうか?
分際や分限を知る一昔前の日本式経営はミャンマーには相応しくないのだろうか?
スーチーは手を差し伸べてくれるすべての国に援助を申し入れている。だがその一方で、世界の巨大企業が進出してくれば、ミャンマーの中小企業が市場から簡単につまみ出されることも懸念している。盛んにGNLM紙上で見かけるSME(スモール・ミディアム・エンタープライズ)の言葉である。スーチーには、その政策を指南してくれるブレーンがいない。いや、まだ育てていない。仕方なしに、海外の優秀だといわれるブレーンに頼りたくなる。東南アジアの歴史では、悪魔は常に海からやってきた。
日本が大事にしてきた、終身雇用、家族的雰囲気の経営、共存共栄、職人肌の製品開発などは、もう時代が受け付けてくれないのだろうか? 今回の日本帰国でこのような疑問が頭をもたげてきた。
海賊版DVDのコレクションからスタンリー・キューブリック監督、脚色はアーサー・C・クラークとの共作の映画「2001年: 宇宙の旅」を引っ張り出し、ヤンゴンのカビ臭い部屋で深夜に独り鑑賞する。
漆黒の宇宙。宇宙の暗闇が延々と続く。曙光が見える。太陽が地球の裏側から昇る。人類の夜明けだ。
印象的なシンフォニーが宇宙を流れる。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ツァラトゥストラはかく語りき」が荘厳に響き渡る。リヒャルト・シュトラウスの同名の交響詩の有名な導入部分だ。
シュトラウスはフリードリヒ・ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」から着想を得て、この交響詩を書いたという。「火」を神聖視するゾロアスター教(拝火教)の開祖のドイツ語名である。
人類の夜明け、そこでは猿人がある偶然から道具を使用することを覚える。大ぶりの獣の骨だ。これが他の獣を襲う武器となることを発見する。猿がヒトになった瞬間だ。水飲み場を勝ち取り、食料を手にいれる。喜びのあまり歓声をあげながらその骨を空中高く放り投げる。
骨棒が空中でスローに回転し、最新鋭の軍事衛星にモーフィングしていく。画面は未来都市を思わせる人工衛星の中だ。
このSF映画が製作されのは1968年で、初公開されたのは同年4月6日、アメリカのワシントンDCアップタウン劇場であった。アーサー・C・クラークの小説もハードカバー版で同年6月に米国で出版されている。
アポロ11号でアームストロング船長らが人類史上初の月面着陸に成功したのは1969年7月20日であった。あれから人類はどれほど遠くに来たのだろう。どれほど進歩したのだろう。このヤンゴンでつくづく考える。
日本から持ち帰った大量の書籍から「古代ギリシャの知恵と言葉」を引っ張り出す。古代ギリシャは知的にもっともっと豊かだったような気がする。ヤンゴンはまだ闇の中だ。夜明けには未だ早い。
第71会国連総会第二日目の本日、スーチーがニューヨークの国連本部で演説するという。ミャンマーでは今夜(21日)ライブで中継される。自宅のワイドスクリーン最前列で鑑賞を受け入れてくれる友人を探さねばならない。スーチーのさらなる思想を知るために。
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