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<ミャンマーで今何が?> Vol.2
2012.7.17

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■ビルマorミャンマー?
・これまでの経緯
・マスコミの対応
・結論は?
・アセアン外相会議
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・ビルマorミャンマー?


<これまでの経緯>

自国を“にほん”と呼ぼうが“ニッポン”と呼ばれようがまったく意に介さない国もあれば、その国名を巡って喧喧諤諤なのが、現在のミャンマーである。

話がややこしいので、このメルマガでは基本的に軍事政権が英文での国名を公式に変更した1989年を境にしてそれ以前を“ビルマ”、それ以降を“ミャンマー”で統一したい。しかし、欧米を中心とする諸外国が強く意識する政治的な意図はまったくない。軍事政権容認とか、反体制派支持など一国の命運を左右する真剣な問題にアウトサイダーが気楽にを容れることは避け、事実の積み重ねでのドキュメンタリーになればという思いだけである。いずれにせよ、時が来れば決着するものと東洋的な鷹揚さでみているだけである。

もうひとつ断らなければならないのが、英語では“Burma”と表記し“バーマ”と発音する。“ビルマ”はそれとも異なる日本独自の発音となる。そして中国語では“緬甸”と記載する。だからアウンサン将軍が日本での名前を「面田紋次」としたのもその字解から頷けるだろう。

国連、アセアン諸国政府、人権問題のアムネスティ、フランス・ドイツ・ノルウェー・中国・インド・日本などの機関・団体・政府は英文では“ミャンマー”を採用しているが、米国・カナダ・英国などの各政府はかたくなに“バーマ”にこだわっている。

スーチー議員および彼女の率いる政党NLDも“Burma=バーマ”を主張している。

これは、1990年5月、30年ぶりの自由選挙が行われ、アウンサンスーチー女史の率いるNLD党が489議席の内392議席(80%)を勝ち取るが、軍事政権はこの結果を無視し、政権を譲るどころか弾圧政策を続け、当時のスーチーさんおよびその主要党員を逮捕した。それゆえに、軍事政権が勝手に国名を変更したとしてスーチーさんおよびその政党が強く反対し、あくまでも昔の名前“Burma=バーマ”を主張するのは納得できるだろう。

英米政府はスーチーさんを強く支持し、彼女の釈放を強く要求する意思表示と、同時に、軍事政権に反対を表明する意図で“ミャンマー”を無視し、“Burma=バーマ”を執拗に唱えているのが現状である。



<マスコミの対応>

マスコミ界ではBBC英国放送および“ワシントンポスト紙”が頑固なまでに“バーマ”を使用しているのに対し、“ニューヨークタイムズ紙”と“ウォールストリート・ジャーナル紙”(WSJ)はかなり以前から“ミャンマー”を使用している。続いて、今年始めに大きな変化が起こった。

“フィナンシャル・タイムズ(FT)紙”といえば、1888年に創刊された英国を代表する日刊経済新聞で、質の高い報道を行う一流紙(クォリティー・ペーパー)として内外で高い評価を受けている。

そのFT紙が「長いこと残虐行為を続けてきたビルマ政府が1989年にその国名を“ミャンマー”に変更したが、FT紙は20年以上にわたって“ビルマ”という呼称にこだわってBurmaを使用してきた」と述べ、「しかし、今後はわが社の方針を変更し、明日よりその公式な国名“ミャンマー”を使用する」と2012年1月5日付けの社説で宣言した。

ロンドンのシティーに出勤する人たちが小脇に挟んでいるのがこのFT紙である。そして資産運用を彼らに任せている上流階級の英国紳士もこのFT紙を朝食のお伴としている。コーヒーの用意が少し位い遅れてもジョンブル精神は我慢する。しかし、フレッシュなFT紙が朝食の食卓に用意してなかったら彼らはこの上もなく下品な英語で悪態をつくはずだ。

ロンドンのシティーそしてニューヨークのウォール街、共に世界の金融を動かしているのは自分たちだと豪語している。生き馬の目を抜くといわれる世界の金融街で、朝の必携のお伴がFT紙でありWSJ紙である。当然、世界の動きの一歩も二歩も先を行く。その2つの主要日刊経済紙が時代の先を読んだのである。動きの遅い政治に付き合ってはいられない、経済はその先を読まねばならない。世界中に星の数ほどある各国の新聞社は、この日の朝緊急会議を開いたはずだ。WSJ紙のみならずFT紙までが“ミャンマー”を採択した。そこでわが社は?と。それほどに影響力のある両紙である。ミャンマーという国だけが変化しているのではない、今世界が変わろうとしているのである。

これほどに権威のあるFT紙である。その格調の高い英語で宣言されると英国の紳士を除いてほとんどのインテリ外国人はその文章を字面どおりに読み、そして納得する。

少し脱線するが、東西南北研究所は「長いこと残虐行為を続けてきたビルマ政府が・・・」の部分でニヤリとする。ビルマの歴史、あるいはガンジー自伝をお読みになれば、「長いこと残虐行為を続けてきた大英帝国は」に置き換えてもまったく違和感がないからである。もうひとつ面白いエピソードは、ヤンゴン川近くの英国領事館図書館には大量の英文書籍が揃っており多くのミャンマーの学徒が利用している。そこでこのガンジーのオリジナルの自伝を探してもらったが、最後にはパソコン検索しても置いてないと言う。困り果てたが、ひょっとしてと思って近くにあるインド大使館の図書館を訪ねた。パソコン検索するまでもなくガンジー自伝の異なる版を数冊あっという間に用意してくれた。

チャールズ皇太子の名スピーチだけでなく、FT紙の経営陣にもこの老練な英国人のDNAが流れているはずである。残虐行為の極致ともいえるアムリッツァル虐殺事件(これは英国人リチャード・アッテンボロー監督の名画「ガンジー」で見事に描写されている)などを棚上げして、そのイメージをビルマ政府に置き換えているのである。実に巧みな技である。このような歴史のトリックを見る目は必要であるが、これは本来の話題ではないので割愛する。



<結論は?>

本題に戻ろう。

これは古くて根の深い問題だが、この国名問題が最近また蒸し返されてきた。スーチー議員の初の海外脱出となったバンコク、そしてそのあとの欧州訪問で、スーチー議員はロックスター並みの出迎えを受け、行く先々での行事が世界のビッグ・ニュースとなった。彼女が何を語るかが注目され、自国のことを語るたびに“バーマ”を連発してきた。それが衛星放送で世界中にブロードキャストされたのである。当局にとってはカチンときたのであろう。6月22日付け国営日刊英字新聞“The NEW LIGHT OF MYANMAR”は連邦選挙委員会の名前で、何人も“バーマ”を使用する権利はない、すべての政党は憲法に記載された国名“ミャンマー”を使用せねばならないと釘をさした。だが、それを守らなかったといって処罰される規定は何もないようである。だが、今回は‘憲法を守る’という宣誓をしたうえでの議員デビューである。

スーチー議員は、国名の変更という重要な問題は国民の意見を反映させねばならない、それを国民に図りもせずに押し付けるのは民主的でないと語っている。だから、憲法を修正していく必要があるとまで踏み込んだ発言をしている。

一方、政府側は、わが国には135の民族が共存しており、英文で“バーマ”といった場合、134の民族を無視してビルマ族だけを代表する国家名になってしまう。だからすべての民族をカバーする“ミャンマー”を使うべきであるとしている。

今年の1月、米国のジョン・マケイン上院議員がミャンマーに飛来する前日バンコクで記者会見を開き、“明日ミャンマー入りする”と米国政府高官として初めて“ミャンマー”発言をした、しかしその後の質疑応答の場面ではまた“バーマ”に戻ってしまった。これに負けずにミャンマーのウンナ・マウン・ルイン外務大臣も、昨年米国国務省高官がミャンマーを訪問した際に、一度“バーマ”という表現をして国務省高官をびっくりさせている。

米国当局は4月4日の記者会見で、今後も“バーマ”と呼ぶと明言している。しかし時折、報道官が“ミャンマー”を口にすることもあり、記者団から、「今のは意図的に言ったことか」と質問され、“バーマ”と協議していると、時折“バーマ”を使用することの不自然さを感じることもあるが、公式の慣習として“バーマ”を使用することにしていると回答している。

こうなってくると、この問題はお互いにうんざりという感じで、お互いにもう少し素直になったらどうだいと声を掛けたくなる。

1989年に軍政府が英語表記の国名を変更したのは英国植民地時代に決別するためで、市町名なども同時にミャンマー固有の名前に変更されている。そして、全国の主要都市には新たにボージョー・アウンサン(アウンサン将軍)通りに改名されたところも少なくない。

もしスーチー議員が、国名を植民地時代の名前で呼ぶことにこだわるのなら、筋を通す意味で通りの名前もボージョー・アウンサン通り以前の名前を採択すべきではないかとの反論が出てくる恐れもある。その場合に父親の名前を全国の通り名から消すという脅しにスーチーさんは対抗できるのであろうか。

政府当局も、現在経済制裁の解除と共に“ミャンマー”国名を採用する国々が順次増えていること、そしてそれよりも影響力のあるマスコミに転向組みが多数出てきたことを票読みすれば、いずれは熟柿を手に入れられるとみないのだろうか。逆に、こだわり過ぎると「スーチー憎し」の勢力がかなり隠れているととられかねない。

そこで、参考になるのが極東の一国。そう目くじらを立てずになるようになるさと白黒を決めずに自然の決着を待つ手はどうだろう。



<アセアン外相会議>

7月12日付プノンペン発でロイター・AFなど各通信社から次から次に外電が飛び込んできました。これはカンボジアで一週間開催された第45回アセアン外相会議の閉幕式を13日(金)に控えての報道です。

この会議にはアセアン以外に米国そして中国の外相も参加しています。

その中で米国のヒラリークリントン国務長官はアセアン加盟国であるミャンマーの過去1年半に成し遂げた民主化への努力を絶賛し、あらためてミャンマーへの支援と協力を国際社会に求めます。

今回の一連の会議では南シナ海を中心とする中国とフィリピン・ベトナム・インドネシア・ブルネイなど近隣諸国との領土問題が激しく討議されていますが、今はこの主題からは外れます。

この会議で再び顔を合わせた米国の国務長官とミャンマーの外務大臣との出会いは両国の蜜月時代を象徴する以外の何物でもありません。

そしてヒラリー国務長官の発言に欧米の報道陣は大きな変化を見て取ります。非常に注意深く言葉を選択して、“ミャンマー”とも“バーマ”ともこの国の国名に触れようとしないのです。これまでは国際社会でのイジメとも思えるほど不必要に“バーマ”を連発していたのに、明確な国名では表現せず、この東南アジアの国とか、アセアンの重要な加盟国とか、完全に風向きは変化しています。

そしてこのカンボジアで、ヒラリー国務長官はテインセイン大統領に米国のビジネスグループを紹介する予定にしています。

ネイピードでは新国会が開催されスーチー議員もすでに登院しました。

ミャンマーの副大統領の交代も軍部から発表され、タンシュエ元上級将軍の懐刀とされたタカ派で序列で見ると大統領に次ぐ第2位です。憲法上、大統領に異変があったときにはその地位につく資格を持った人物です。

そして、東西南北研究所がかってない実力派大物大使と見る米国のデレック・ミッチェル新大使が7月11日22年ぶりにミャンマーに着任しました。

ミャンマー劇場の第2幕はどういう展開になるのか、誰も読み取ることはできません。その折々で旬の情報をお届けしますのでメルマガをお見逃しなく。


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