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<ミャンマーで今、何が?> Vol.193
2016.05.09

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■コッムウ紀行

 ・01:ミャンマー全土で最も有名な町

 ・02:コッムウへの道

 ・03:HCTAとは?

 ・04:国民総選挙の実態

 ・05:未来を見据えたスーチーの思い

 ・06:今は、野卑な男の時代ではない

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01:ミャンマー全土で最も有名な町

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2008年5月2日・3日、ナーギス台風がイラワジ沿岸地区を襲った。ナーギスの死者総数は138,000人以上。隣接するヤンゴン地区南西部のコッムウ町も大きな被害を蒙った。有名になったのはそのためではない。それまでは、ヤンゴンの喧騒から、まったく忘れ去られた、ミャンマーのどこにでもある田舎の寒村だった。

2012年4月の補欠選挙に、スーチーが立候補すると発表した。その選挙区がコッムウ町であった。2012年1月のことである。このことが、この町を少し有名にした。だが、コッムウ町がどこにあるかを知るミャンマー人は、当時ほとんどいなかった。

補欠選挙の結果、スーチーおよびNLDは圧倒的な勝利を勝ち取った。これによりコッムウの名前は全国区となり、スーチーの選挙地盤として、ミャンマー全土に知れ渡った。

そして、それから3年半。2015年11月8日の総選挙は、国内のみならず、海外マスコミが注目する中でおこなわれた。根こそぎ票を勝ち取り、スーチーはコッムウ選出の国会議員となった。それだけではない、スーチーの率いるNLDはミャンマー全土で宿敵のUSDPを完膚なきまで打ちのめした。弱小野党であったNLDが、絶対多数の軍事政権が巧妙に管理していた総選挙で、天下を制したのである。

これでコッムウの名前は国内だけでなく、国際ブランドとなった。

そのコッムウ町に行かないかと、ムショ帰りの友人が誘ってくれた。政治犯として、二度にわたってインセイン(ミャンマーの網走!)の臭い飯を食った男である。

メルマガ「ミャンマーでいま、何が?」には、こんな美味しい話しも飛び込んでくる。



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02:コッムウへの道

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午前6時にヤンゴンの下街から北へ向かった。7マイル半にあるレストランが集合場所だった。ここで海鮮エビを日本に輸出している中国系ミャンマー人グループを紹介された。それぞれに朝食を済ませ、3台の4WDがコンボイを組み、ヤンゴンを午前7時に出発した。

パラミ通りを西に向かい、インセイン刑務所近くのベイナウン高架陸橋を左折する形でヤンゴン川上流のライン川を渡った。延々と続くラインタヤー工業地区の幹線道路をそのまま西へ西へと進む。この一本道はグエサウンおよびチャウンタの海岸リゾートに通じる道でもある。

ラインタヤー工業地区のラッシュアワー風景に出くわした。揃いのポロシャツ、Tシャツ、あるいは私服の、若い女性作業員たちが、2車線の幹線道路にはみ出し膨れて歩いている。それに自転車が加わり、バイクも加わる。バイクには太ったカミさんと子供3人を前後に乗せ、痩せこけたオヤジがヨタヨタと走り抜けていく。両脇は露天商の屋台が立ち並び、中からは定番モヒンガーの湯気があがる。ワレワレの車列も通行人に注意を払い、カタツムリのスピードで前進していく。

目印となる真っ赤なロゴのAG社の手前を直角に左折した。時計の針は7時40分。ここからは混雑は解消され、コンボイは快調に走る。昇り始めた太陽を左に受け、一本道を直進する。ということは車は南へ向かっている。ニッパ椰子で造った不法占拠者たちの簡易住居がクリークに沿い林立している。ヤンゴン中心から一時間も経たずに景色はのどかな田園風景に変わる。ドライ・ゾーンで見かけるトディ・パームが空高く生えている。地元の人たちがスカイ・ビールと称すヤシ酒の高木である。パンライン川を渡り、車は南下を続ける。

午前8時、トワンテ運河を跨ぐトワンテ橋を渡る。ヤンゴン中心からここまで、ちょうど一時間。それから5分も走らずに十字路に出た。右折すれば、陶器で有名なトワンテの町中に入り、左折すればダラーに至り、フェリーでヤンゴン川を渡れば、ヤンゴン下街に戻れる。十字路をあくまでも直進してコッムウに向かう。

ヤンゴンからコッムウへの道路は、この数年で整備され、快適になったという。それでも、路肩は土が露出し、中央部分のみアスファルト舗装され、表面は波をうっている。時折、車はジャンプし、対向車とすれ違うたびに片輪は舗装からはみ出し、土ボコリがあがる。雨季には道路はぬかるみ、水没することもあったという。この道路整備は、ひょっとしてスーチー効果かもしれない。

トワンテ・パゴダを過ぎ、コッムウ・パゴダを過ぎ、コンボイは赤土の一本道に入る。両側は竹林が延々と続く。

真っ白な石版に大きく“HCTA”と書かれた広大な敷地入口に到着した。時計の針は午前8時40分を指し、ヤンゴンからゆったり運転で一時間40分という距離である。ここが今回の目的地である。



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03:HCTAとは? 

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この石版中央の“HCTA”の上部には“DAW KHIN KYI FOUNDATION” 、下部には“HOSPITALITY AND CATERING TRAINNING ACADEMY”、一番下に“KAW HMU”と書いてある。

スーチーの母親で、故アウンサン将軍の夫人、その名前を冠した「ドー・キンチー財団」、「接客・宴会訓練学校=HCTA」、「地名:コッムウ」とそのまま訳しておこう。

「ミャンマーで今、何が?」と銘打っても、白状すると、知らないことだらけだ。未知のニュースが飛び込んでくる。鵜呑みにはしない。ホンマカイナ?とその報道に疑問を投げかける。すべてはそこからスタートする。

この小村に「ドー・キンチー財団」の本部が置かれた。この財団の議長はウ・ティンチョウだった。そのティンチョウがテインセインの後を受けて、ミャンマーの大統領に就任した・・・などの情報は掴んでいた。これは面白いとなれば、東西南北研究所は情報のストーカー行為を開始する。そのための諜報部員はゴロゴロいる。時にはキワドイ、ストーカー行為もある。今回は、それをレポートしたい。



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04:国民総選挙の実態

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2015年11月8日に行われた総選挙の前に、NLD党首のスーチーは精力的に全国行脚をこなした。と同時に、自身の選挙区であるコッムウでも何度か選挙キャンペーンを張った。

その時のことだ。ある選挙民は“NLDに投票すると職を失うぞと、USDPから脅かされた”と語っている。そして、とっくの昔に死亡した村民の名前が選挙人名簿に多数記載されたままになっていた。NLD支持者の名前が選挙人名簿から意図的に除外されていた。

民度の低い村民の知識では、これらの修正をどういう手続きで、行えばよいのか、まったく見当もつかない。そういう事例を耳にすると、地元のNLD党員が、選挙民を指導して、一件一件軍事政権が管理する中央選挙管理委員会、あるいは警察署に届け出た。

ところが、中央選挙管理委員会は、“機械が故障していて、パソコンが上手く作動しない”と言い訳して、選挙人名簿を修正する意志などまったく示さなかった。ヤンゴン中央部のダゴン地区では50名の物故者が選挙人名簿に記載されていた事例もある。ところが日本のマスコミなどは、中央選挙管理委員会の発表をまともに受けて、今回の総選挙は公正に行われたと報道していた。ジャーナリストとしては基本の批判精神などカケラもない。

だから、スーチーは「恐れを抱いてはいけない。勇気を持ちなさい。貴方たちの生活を良くする政府を選びなさい。毎年雨季になるとずたずたに分断される道路を、整備してくれる政府を選びなさい。それが今度の国民選挙です。そして一人ひとりが、自分の名前が選挙人名簿に記載されているかどうかをチェックしなさい。それが自分の生活を改善する第一歩です。勇気を持ちなさい。恐れてはいけません。」とまるで小学生に諭すように口を酸っぱくして繰り返し訴えていた。

この点では、欧米の、しかもクオリティ・ペイパーと言われる一流紙は、真実を追究するジャーナリスト魂に溢れていた。軍事政権におもねる記事を書き続け、NLDが政権を担当した途端にコロリと態度を変える一部報道にはガッカリさせられる。第二次世界大戦の前と後で、態度を豹変した歴史を繰り返しているような気がする。

終戦の年1945年に、ビルマとも関係の深かったジョージ・オーウェルが「動物農場(アニマル・ファーム)」を発表した。スターリン政治を徹底的に鋭く皮肉った戯画である。ところが、1962年から2011年まで、このビルマを世界の孤児とさせた軍事政権は、まさにこの「動物農場」であった。そして半世紀にわたって、真の教育を施さず、その国民を愚民として家畜化していった。

それだから、一般大衆は軍事政権を極度に恐れて、巧妙に仕組まれた投票用紙一枚についても文句を言えなかった。狙撃兵が銃を構え、狙いを定める中、正面切って噛み付いたのが、ミャンマーで唯一勇気をもっていた人物、スーチーその人であった。

父親のアウンサン青年が密出国し、中国・福建省のアモイで外国勢の支援をむなしく求めた歴史とは対照的に、スーチーは並外れて知的な英語力を駆使して、ビルマに関する英論文を次々に発表していった。そして国連の各機関に、あるいは世界主要国の外交団に機関銃のように送り続ける。そのひとつが、スーチーの書いた「恐怖からの自由」である。そして欧米の一流紙のインタビューを受け、ビルマの抑圧された状況を英語で論理的に力強く訴えていった。

その努力を、スーチーは1988年以降、自宅拘束を解かれるたびに、不屈の精神で継続した。
それらが、スーチーのノーベル平和賞受賞につながるのだが、ネウィンの軍事政権、そのあとを継承したタンシュエも、弱いものイジメを楽しむように、スーチー自身に弾圧を加え、学生や一般大衆を虐殺していった。

それにもかかわらず、スーチーはヒソヒソ声でなく、声を張り上げて、「恐れを抱いてはいけない。勇気を持て!」と一般選挙民に訴え続けた。

その結果が、1990年の国民総選挙であり、2012年の補欠選挙であり、2015年の総選挙であった。すべてスーチーの歴史的な圧勝であった。軍事政権を極度に恐れていた一般大衆が、スーチーの毅然とした闘う雄姿に鼓舞されて、スーチーに歴史的な一票を捧げたのである。



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05:未来を見据えたスーチーの思い

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そのスーチーを作り上げたのは、国父アウンサンではない。父親のアウンサン将軍はスーチーが2歳と一ヶ月のときに、突然あの世に旅立った。だから、記憶力が抜群のスーチーでも、父親の面影は何一つないはずである。だが、その後、国の要職に就いた“三十人の志士”の仲間たちが、子供時代のスーチーに繰り返し父親の思い出を語ることで、スーチーは父親の薫陶を受けたように、自分は錯覚していたようだと、スーチー自身が書いている。

そのスーチーを作り上げたのは、母親ドー・キンチーによる厳格な躾であった。ビルマ陸軍の創設者であり、ビルマ独立の英雄であるアウンサンの娘として、恥ずかしくない作法と教養を徹底的に躾けていった。これはスーチーの周囲にいた海外の友人たちの多くがそう証言している。そして、スーチーその人も、母親に感謝を捧げて、インタビューやエッセイでそのように語っている。

世界のひのき舞台で、綺羅星のような世界の指導者や大物たちと対談しても、まったくひるむことなく、背筋をピンと伸ばして、知的でシャープな会話をこなす、スーチーには稀有で優美な品格がある。これまで世界を牛耳ってきた野卑な野郎たちの泥沼に咲いた、ハスの微笑を思わせる、優雅さである。それをつくったのが母親ドー・キンチーである。

その名前を冠した「ドー・キンチー財団」には、スーチーの強い思い入れがあり、父親の理念を具現化しようとするスーチー人生の強い願望が籠められている。それは、このミャンマーの国に生まれついたスーチーという稀有な人物にしか出来ない宿命という名前のドラマである。



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06:今は、野卑な男の時代ではない

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スーチーはいま、NLDという政党名で、ズタズタに破壊されてしまった東南アジアの一角に新しい民主国家を建設しようとしている。自分の父親が創設した“TATMADAWタッマドウ”という名前の自分の兄貴分である国軍が、一国の基本となる法典(憲法)の支配下に入らず、国内の平和が乱れたときには、無条件でクーデターを起こす権利を保障するなど、無茶な憲法条項を2008年憲法に国軍が勝手にお手盛りした。

スーチーは、1988年8月29日付け“タイム誌”のインタビューに応じ、父親の歴史的な国軍との関係について語っている。
「私の父親は、軍隊は政治に介入すべきでないと語っており、私は100%この見解を支持する」と自分の意見を明確に表明している。

それだから、国軍が自作自演で2008年憲法を捏造し、25%の国会議員(上院・下院ともに)を国民の審査を受けずに、立法の府である議会に送り込むなど、もってのほかだとしているのであり、その25%の制服組が存在するゆえに、憲法の改正ができないなど、不条理だということを国内外に訴えているのである。だが、このことはメルマガ読者の皆さんは百も承知なので、これ以上触れない。

今、レポートしようとしているのは、政治の世界からはまったく隔絶された「ドー・キンチー財団」である。その活動は法的にもNLDとは無関係のスーチー個人の哲学、そして夢を叶えようとしてほんの数年前に設立されたものである。

日本には“国破れて山河あり”という言葉がある。だが、本当のことを言えば、これは盛唐の詩人・杜甫の名言である。英語で言えば、“国破れて”に当てはめる言葉はDevastatedが相応しいかもしれない。そのDevastatedを欧米のマスコミはミャンマーを表現するときに使用する。ミャンマーはベトナムのように戦闘行為によってDevastatedされたのではない。

スーチーの父親アウンサン将軍の後継者によってDevastatedされたのである。その元凶はネウィンにあり、そしてタンシュエ、それから現在の国軍最高司令官アウンミンラインらに脈々と引継がれた。その荒廃された山河を振り返ったときに、スーチーは自身の母親から受けた徳育というものを想い出し、その基本は教育だ、しかも次代を担う若者たちの教育だということを痛切に感じた。

だが、自身の年齢(70歳)も考え、ゆったりと、おちおちなど、してはいられない。そこで即戦力となる、自立ができるような構想が、職業訓練所の開設である。

「ドー・キンチー財団」はまだ端緒についたばかりである。その構想は今後大きく多方面に広がっていくことだろう。

だが、差し当たっての事業は、農村地区の奥地まで入っていける「移動図書館」自動車の運営と、HCTAに代表される職業訓練所の開設である。

このスーチーの遠大な理念に気付いた草の根の支援が世界各国から、少しずつではあるが、この人口約12万人、126ヵ村から成り立つ“コッムウ町”に寄せられるようになった。東西南北研究所が訪れたときには、コッムウ町を主体に選抜された貧困家庭の約120人の生徒たちが、最後の健康診断に集合していた。

この若者たちは、6ヶ月間の職業訓練を受け、2ヶ月間のインターシップ(外部実習)を経て
ホテル運営と料理術をマスターしていく、そしてミャンマー国内の一流ホテルへの就職が保障されている。これはスーチーの名声と理念にホテル業界が賛同支援してくれたお陰である。

「移動図書館」も、同様にスーチーの理念に賛同した日本人女性と日本の自動車メーカーが、書棚とパソコン検索が可能な大型バスを、特別仕様車として製造し、はじめに2台を寄贈してくれたことにはじまる。

スーチーには政治家としての顔と、このように世俗に毒された政治の世界を超越したまったく別の顔がある。そのどちらの顔と付き合うかはアナタ次第。

山本五十六が70年以上も前に語っているではないか。
「男は天下を動かし、女はその男を動かす」と。

時代は昔も今も変わらない。と誤解してはいけない。世界の大きな潮流はすでに変わりはじめた。ミャンマーは特に変化が激しい。世界中で例のない大統領の上というバーチャルではない、現実の世界でスーチーは君臨しはじめた。ミャンマーで右往左往されている読者諸氏、アナタはこの変化についていけますか?

 



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