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<ミャンマーで今、何が?> Vol.186
2016.03.16
http://www.fis-net.co.jp/Myanmar
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■大いなる疑問?
・01:お詫び
・02:大統領および副大統領の決定手続き
・03:新大統領:U Htin Kyaw=ティンチョウとは?
・04:上級副大統領:U Myint Swe=ミエンスエとは?
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01:お詫び
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・・・ではじまる文章は駄文の見本かもしれない。だが、今週号は進退窮まった。
Gメールのすべてのアカウントが開封できないのだ。3月9日以降、私信も含めてプロバイダーへの発信も、受信もできなくなった、この国では、あまり詮索しないことが身のためだとの忠告に従った。だから、理由は書かない。
これがお詫びの全文である。
その代わりといっては何だが、3月16日用に用意していた原稿を全面的に書き直した。というのも、状況が刻々と進展しているからだ。
この原稿もいつ発信できるか不明だが、メルマガ今週号は、メルマガ読者である友人の協力を仰ぎ、プロバイダーに発信し、急場をしのぐことにした。ご了解いただきたい。
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02:大統領および副大統領の決定手続き
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下院・上院ともに過半数を制したNLDがついに大統領候補者の名前を明らかにした。
下院ではU Htin Kyaw=ウ・ティンチョウを指名し、上院ではU Henry Van Thio=ウ・ヘンリー・バン・ティオをそれぞれ大統領候補として指名した。すでに他紙で報じられた名前だ。
この対抗馬として、野党に下ったUSDPが、下院でドクター・サイモックカム(現副大統領)、上院でウ・キンアウンミエン(現上院議長)を指名した。USDPは役者不足で代わり映えがしない。
2008年憲法で、25%の議席を死守する軍部は、国民選挙によらない、独自の、大統領候補を指名する権利が付与されている。その特権を利用して、軍部はU Myint Swe=ウ・ミエンスエ(現ヤンゴン地区首席大臣、元情報局長官、強硬派と見做される)を指名した。USDPには本当に役者がいないのかもしれない。
このゲームのルールは次の通りである。
両議院制における上院と下院それぞれの大統領候補者が議員の多数決で決定される。この二人の候補者にプラスして、最初からシード権を付与された軍部指名のミエンスエを加えた合計三人の決選投票が上院・下院の合同議場で行われた。
最多得票を得たティンチョウが大統領となり、残り二人は副大統領となる。この場合の序列にも、軍部の立てたミエンスエが上級副大統領となり、ヘンリ・バン・ティオは次席副大統領となる。
この点からも、2008年憲法は巧妙に仕組まれた軍部の謀略と西側メディアが指摘し、スーチーがその改正を求めるゆえんでもある。なぜなら、大統領に“まさか”が発生した場合には、国民のスクリーニングを受けない上級副大統領が自動的に“大統領”に選抜されるからだ。そして憲法に則った大統領のすげ替えだと、強弁できるからだ。軍部にとってはたやすく“まさか”を仕組むことができる。
過去の例からも、軍部が支配するミャンマーにおいては、ディペインにおけるスーチー暗殺未遂事件から学習したとおり、大統領抹殺の可能性は常に存在するのである。
昨年11月8日の総選挙の結果、最大野党NLDが上院・下院合同議席数657のうち、390議席を獲得した。そして、数の論理で、大統領はティンチョウ、上級副大統領はミエンスエ、次席副大統領はヘンリー・バン・ティオに決定した。
だが、ここに至るまで、軍部はNLDの指名した候補者の厳重な資格審査を要求したり、些細なところで、イジメとしか思えない嫌がらせを行ってきた。
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03:新大統領:U Htin Kyaw=ティンチョウとは?
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CNNのレポーターが、大統領候補者の名前(Htin Kyaw=ティンチョウ)を“ティンカウ”と発音したり、スーチーの運転手としてNLDに採用されたなど、誤った情報を流していたが、CNNともあろうものが、あまりにも杜撰な報道に驚かされた。アメリカのマスコミも質の低下で、勉強不足といわれても仕方がないだろう。
新大統領のティンチョウは1946年7月20日生まれで、スーチーより1歳若い。そして高校はスーチーと同じダゴン第1BEHSに通った。
NLDの情報担当官がフェースブックに流した履歴によれば、ティンチョウはヤンゴン大学で経済学における学士号・修士号を修得し、大学の教師となった。
1971年、新設された大学のコンピュータ学部から初の海外研修要員となり、ロンドン大学旧コンピュータ科学で勉強した。この時期はスーチーのロンドン滞在と一致する。スーチーは後に、ロンドン大学東洋アフリカ学部に学んだ。一方、ティンチョウはネウィン将軍が政権をとったビルマ式社会主義の母国へ帰国した。
ティンチョウはコンピュータ科学における二つ目の修士号を修得し、1975年には工業省に、5年後には外務省海外経済関係部署に入省した。海外での学位取得は継続し、、1987年にはマサチューセッツのアーサーDリットル・スクールで学んだ。これは現在のハルト国際ビジネススクールである。
ティンチョウは日本でも学んだとの情報があるが、この詳細はまだ確認できていない。
1992年には外務省を退官し、現在は、スーチーの母親の名前を冠したNPO団体“ドー・キンチー基金”の役員を務め、政党NLDの執行役員でもある。
ティンチョウはNLDの創立メンバーであるウ・ルインの娘、ドー・スースールインと結婚しており、この夫人は現在国会議員(下院)で、スーチーの側近でもある。スーチーの自宅軟禁時代を通して、この夫婦は常にスーチーの近くにあった。なお、ティンチョウの実父は有名な詩人・学者で、1990年の総選挙で当選したが、ご承知のとおり、その結果は軍に拒否されている。
NLDはこれがティンチョウの公式履歴であるか否かは、何一つ確認していない。
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04:上級副大統領:U Myint Swe=ミエンスエとは?
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これが良く見えてこない。NLDおよびマスコミが主張するとおり、軍関係の情報は透明性のはるか向こうの霞の中に隠れているからだ。だが、当研究所の機能をフルに展開してみた。
生年月日は1951年6月21日(現在65歳)。モン少数民族出身。2011年3月11日よりヤンゴン地区首席大臣。
1971年に国防軍事アカデミーを卒業。2001年からSPDC(国家平和発展評議会)委員となる。2004年に当時の首相キンニュンが追放されると、国軍情報局(セキュリティ関係)のトップに就任し、2006年1月には特別任務局の頭となった。
2005年には中将となったが、これはモン族出身としては異例の出世である。その後、物資補給全般を監視する将軍となり、2009年には当時タンシュエに次ぐ、No.2であったマウンエイ上級将軍の地位を引継ぐとウワサされた。
ミエンスエの異例の出世には、主要な三つの出来事の隠されているといわれる。
ひとつは2002年、クーデター謀議の嫌疑で目の玉が濁りはじめた闇将軍ネウィン一家の逮捕劇。
二つ目は、2004年のキンニュン一派の逮捕劇、これは、タンシュエ・マウンエイ・キンニュン間で均衡を保っていた3頭政治で、各将軍のヤバイ秘密を情報局のトップとしてキンニュンひとりが握っていることに、他将軍派閥が危機感を募らせていたことが原因と見られている。
そして三つ目が、2007年の大規模なデモに進展した仏教僧のサフロン革命の殲滅である。
これらの陣頭指揮を執ったのはすべて、今回上級副大統領となったミエンスエである。
したがって、ミエンスエを今回起用・指名した軍部に対して、学生グループ、僧侶グループ、市民グループなど各方面から燎原の火のように非難の声があがっている。
ミャンマーの現在史を整理してみると、この国を牛耳っていた軍人階層制度の頂点にいたタンシュエが、No.2のマウンエイを道連れに国防三軍および政治の世界から全面的に引退し、軍服を民間服に着替えた野心のない将軍、テインセイン、にあとを託した。2011年3月末のことである。
そしてミエンスエの先輩である元下院議長シュエマンはスーチー政権に取り込まれたので、ミエンスエ自身、今現在、周りを見回すと、自分の上には気を使うべき上級将軍はいない。強いて言えば、テインセインUSDP党首のみで、ミンアウンライン最高司令官は、ミエンスエの後輩に当たる。そしてミンアウンラインは先輩のミエンスエを立てて、副大統領に指名した。
ひとかどの人物が、その真価を問われるのは、エシャロンの頂点に立ったときで、ネウィン然り、タンシュエ然りで、彼らは歴史上、自ずからの汚点を残した。これは重火器を突きつけても書き直すことはできない。
ミエンスエが、ミャンマーの民主化という歴史の流れを、今、どういう風にとらえ、自分がどういう風にふるまうかで、すべては決定される。さあ東西南北研究所としては、副大統領としての今後の働きに注目してみたい。
もうひとつ、ミエンスエに関しては、非常に気にかかる事件がどこかにあった。どこにしまいこんだか、片っ端からデータを探ってみた。
2012年、当時のティンアウンミエンウー副大統領が自己都合で辞任を申し出たとき、軍部はミエンスエを副大統領に推しているとのウワサが広がった。調査の結果、ミエンスエの娘がオーストラリア人と結婚しており、親族に外国籍の人間がいると副大統領には就任できないということをミャンマーの全国民に知らしめた。
これは、大統領職を狙うスーチーに対する当て付けだと、誰もが思った。
それが、どうして今回、副大統領に就任できたのか?
大きな謎である。
正式な説明は何一つない。だが、大統領・副大統領調査委員会は、三人の候補者の経歴・身辺・家族関係に問題はまったくないと発表した。
各メディアを片っ端からチェックしてみると、この問題のオーストラリア人(ミエンスエの義理の息子)はミャンマーおよびオーストラリア双方の国籍を取得していた。そして最近、オーストラリアの市民権を抹消したらしいとのウワサに出くわした。そして現在は、ミャンマー市民のみのパスポートを所有しているとのウワサである。
話をさらに発展させてみよう、このウワサが本当なら、スーチーの二人の息子、長男アレキサンダー、そして次男キムが20歳になる前に、当時のビルマ政府から一方的に剥奪されたミャンマー市民権の復活を要求すれば、あるいはその手続きを匂わせれば、ミンアウンラインをはじめとする軍事政権側はどういう反応を示すことだろう。非常に興味のあるところである。
スーチーが100%コントロールする忠実なティンチョウ大統領が、自分の部下である副大統領に、この問題を諮問すれば、ミエンスエ副大統領は自分の息子を鏡としてどのような意見を吐くことだろう。
本当は次席副大統領ヘンリー・バン・ティオの紹介をして、その上で、スーチーの戦略にはいっていこうと思ったが、この上級副大統領で紙数が尽きてしまった。
これらは次回に繰り越したい。
どちらにしても、ミャンマー劇場は花盛りである。そして、動きが早い。
次回水曜日も定期的にアップロードできるか不安だが、最近は日本のマスコミもスーチー新政権に注目しているという。薮睨みの「ミャンマーで今、何が?」など、あまり当てにせず、そちらで十分に補っていただきたい。
そしてこれは、公私混同になりますが、東西南北研究所関係のGmailアカウントが私信を含めてすべて使用不可になってしまいました。ついては、先週3月9日以降に発信されたメールはすべて未読の状態で、アクセス不可となっています。
解決策がまったく見つかりません。
恐縮ですが、状況ご理解お願いします。
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