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<ミャンマーで今、何が?> Vol.112
2014.09.17

http://www.fis-net.co.jp/Myanmar

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■カカボラジ山

 ・01:東南アジアの最高峰

 ・02:ミャンマー人だけによるカカボラジ挑戦

 ・03:ミャンマー人によるカカボラジ山制覇の快挙

 ・04:登頂に成功した二名が行方不明

 ・05:実業界の大物ウ・テイザー

 ・06:尾崎隆

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01:東南アジアの最高峰

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ミャンマーのお国自慢は沢山ある。インドネシアで産するのが50歳以下のイエローチークなら、ミャンマーのは100歳にもなんなんとするゴールデンチークだ、などの類である。その中でも、どの国も敵わないのが、ミャンマーで最高峰のみならず東南アジアで最高峰といわれるカカボラジ山5881mだ。富士山の3776mも、キナバル山の4101mもとても敵わない。

それもそのはず、ミャンマーの最北部カチン州の最北端に位置し、中国・チベットと国境を接し、大ヒマラヤ山系の東端ということは、エベレストとは兄弟分といってもよいだろう。大河イラワジ川もこのヒマラヤの氷河の一滴を最初の源流とするといっても大法螺ではない。

日本のプロ登山家・尾崎隆が1996年9月15日午後3時12分に初登頂を果たし、続いてミャンマー人・ナンマー・ジャンセンがこの頂上の雪にミャンマーの国旗を突き立てた。ミャンマーの最高峰・カカボラジ山世界初登頂の瞬間である。

このナンマー・ジャンセンはカカボラジ山麓のタフンダン村に居住するチベット族で、岩場の登攀や高地での働きに超人的な敏捷さがあると見込んで尾崎が近代的登山技術を見に付けさせカカボラジ山征服のパートナーに選んだ人物である。



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02:ミャンマー人だけによるカカボラジ挑戦

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今、国際的に勢いづいているミャンマーが、この自国の最高峰に全員ミャンマー人の登山チームで再挑戦したとしても誰からも文句を言われる筋合いはないだろう。

実際に、ヤンゴン大学ハイキング登山協会から8名の代表を選抜し、年齢24-33歳からなる全員ミャンマー人男性によるカカボラジ山遠征チームが編成された。そして2011年末から訓練を開始し、カカボラジ山登頂準備の一環として今年4月には中国雲南省の5,200m級のハバ峰にも登頂した。

遠征隊は7月31日に、カチン州最北端の町プタオを出発している。この一帯もモンスーン雨季の影響を受ける。連綿と続く熱帯雨林地帯を約16日間トレッキングしてベースキャンプに到着したはずである。山頂から標高差約900m下にベースキャンプを設営し、高山病に順応するために軽作業などで身体を慣らしていった。



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03:ミャンマー人によるカカボラジ山制覇の快挙

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そして8月31日午後5時、チームリーダーのアウンミエンミャット(33歳)とチームマネジャーのウェイヤンミントゥ(28歳)の両名がミャンマーの最高峰カカボラジ山の頂上を制覇した。

便利な世の中になったものである。両名は両方向の通信機器で頂上からベースキャンプに報告してきた。そして頂上でミャンマー国歌を斉唱し、用意してきたミャンマー国旗、登頂記念のプレート、仏像を山頂に奉納した。

山頂での決められた作業はすべて完了したので、これから下山開始すると報告すると同時に通信機器のバッテリーが乏しく音声が弱くなっていると伝えてきた。



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04:登頂に成功した二名が行方不明

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それ以降、この両名とベースキャンプの連絡は途絶えたままとなっている。ベースキャンプで待機していた6名の支援隊は9月9日午後7時カカボラジ山麓のタホンタン村に戻ってきた。この村はプタオとカカボラジをトレッキングする途中にある。

9月11-13日も救助作業は再開されたが、山岳地帯の天候は不順で、救助作業は難航している模様だ。ヘリコプター2機も捜索に加わり、この地区の軍隊も協力している。9月13日には中国の民間救援隊BSR(Blue Sky Rescue)の9名がヤンゴン空港経由プタオに向かった。



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05:実業界の大物ウ・テイザー

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前の軍事政権と緊密な関係にあるとして米国の財務省からブラックリストに掲示され、今でも経済制裁を受けている実業界の大物ウ・テイザーがこの企画には深く関与している。
トロピカルのミャンマーで、万年氷河と雪を被った山岳地帯をリゾート地として開発するためウ・テイザーはこの自然公園一帯を空から視察していた。だが、搭乗していたヘリコプターが急変した悪天候で不時着し何日間も雪山に閉じ込められたことがある。ミャンマー空軍が保有しない特殊ヘリコプターをタイ空軍から特別に借り受け、ウ・テイザーは九死に一生を得たとされる。2011年のことである。

今回のミャンマー人によるカカボラジ登頂計画もそのウ・テイザーをパトロンとしたもので、ミャンマー軍の支援、中国人の救援チーム、特殊ヘリコプターの手配等、大々的なバックアップ態勢がとられているものの、トロピカルになれた普通のミャンマー人には想像を越す、不慣れな気候条件下で、しかもヒマラヤ級の山岳地帯のことである。一刻も猶予できない救出が望まれるが、あまりに時間が掛かりすぎている。そして情報が乏しすぎる。



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06:尾崎隆

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尾崎隆の著「幻の山、カカボラジ」(山と渓谷社)を覗いてみた。彼ほどのプロの登山家でも、というよりもプロだからこそ、というべきかもしれない。入念な準備に準備を重ねた上で、天候状態およびチームの体力など、状況を判断して第一回目の1995年には、勇気ある初登頂断念を決心した。そして翌年の1996年に再挑戦して成功している。

尾崎隆は世界の8,000m峰14座のうち7座を征服し、8,000m峰のスターと呼ばれた。そしてカカボラジ初登頂で、その年に創設された「植村直己冒険賞」の第一回受賞者となった。そしてエベレストには2回登頂しているが、2011年5月12日エベレスト南東稜登攀中に高山病で死亡したとされる。

尾崎隆とカカボラジに登ったナンマー・ジャンセンも今回の救援作業に参加している。

あの当時から比較して、登山用具も一段と進歩していることだろう。しかし、近代的装備だけでは安全は守れない。そして山頂に無事立つことができたとしても、それは全行程のちょうど半分でしかない。終わり良ければ、そこで初めてすべて良しである。

当然このような大事業を成し遂げるには、先人の尾崎隆の経験を十分に参考にした上でのことだと思うが、今回の行方不明は今のミャンマーを象徴するニュースのような気がしてならない。

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